徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

“祇園”のはなし

2013-08-14 08:37:41 | 歴史
 熊本市民にとって「祇園(ぎおん)」といえばまず思い浮かぶのは花岡山の麓にある北岡神社。つい先日、「祇園まつり」が行われたばかりだが、神社近くの「祇園橋」や市電の「祇園橋駅」などがおなじみだ。しかし、「“祇園”ってナニ?」と聞かれてもなかなか的確には答えられない。僕も「北岡神社の本社は京都の八坂神社で、別名“祇園さん”と呼ばれている」ことや「八坂神社の周辺には“祇園”と呼ばれる花街がある」くらいの知識しかなく、なぜ“祇園さん”と呼ばれるのかなど詳しいことはわからなかった。
 そもそも“祇園”とは「平家物語」冒頭の「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。」という有名な一節の、「祇園精舎」から来ている。「祇園精舎」というのはお釈迦様が説法を垂れたというインドの寺院の一つで、そこの守護神が「牛頭天王(ごずてんのう)」といって通称“祇園さん”と呼ばれた。ところが、いつの頃からか日本では古来の神様信仰と仏教信仰とが混じり合って「神仏習合」という考え方が生まれた。その流れの中で「牛頭天王」と「八岐大蛇(やまたのおろち)」退治の伝説で有名な「スサノオノミコト」が同一視されるようになり、「牛頭天王=スサノオ」を祀った神社を「祇園社」と呼ぶようになった。しかし、明治新政府は「神道」を国教化すべく「神仏分離令」を発し、神社から佛教色を排除させた。その際、ほとんどの祇園系神社の名称から「祇園」が消えた。八坂神社も然り、北岡神社もまた然りで、御祭神は「スサノオ」と妻の「クシイナダヒメ」と8人の皇子たちとしており、「牛頭天王」の名前は表には出て来ない。
 八坂神社の名を冠したり、“祇園さん”を祀った神社は日本中至るところにあり、明日から山鹿灯籠祭が始まる大宮神社の境内にも八坂神社がある。ちなみにわが家の息子たちは七五三を祝って東村山の八坂神社に詣でた。
▼北岡神社祇園まつり より