徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

海達公子の生誕97年

2013-08-24 18:09:07 | 文芸
 昨日、8月23日は大正から昭和初期、天才少女詩人と呼ばれた海達公子の生誕97年に当る日だった。彼女が16年半という短い生涯のほとんどを暮らした荒尾市では、海達公子顕彰会が3年後の生誕100年に盛大な記念事業を実施すべく、準備を進めていると聞いているので楽しみである。
 さて、公子が大正5年8月23日に生まれたのは、長野県飯田町(現飯田市)の一軒の農家だった。実はそこは海産物などの行商を営む彼女の母マツヱや親族たちの行商拠点となっていた借家だった。母マツヱたちは当時「阿波のいただきさん」と呼ばれた徳島県阿部村からやってきた一団だった。行商先で出産するというのも凄い話だが、阿部村を出るとだいたい5ヶ月は帰らなかったという。9月の阿部村の秋祭りには必ず帰るしきたりがあったそうなので、公子が飯田にいたのはほんの短い期間だったと思われる。さらに、父親松一はその頃、熊本県荒尾町(現荒尾市)の三池炭鉱に職を得ていたので、阿部村に帰ったのも束の間、荒尾に移って親子が一緒に暮らし始めたようだ。公子はものごころがついてから阿部村には一度しか帰っていないようだが、彼女の作品から、ずっと阿部村を心のふるさととして思い続けていたことがうかがえる。
 そんな公子誕生前後の顛末も含め、公子の生涯を1本のショートムービーにまとめたいと思っている。完成はいつになるかわからないが生誕100年までにはなんとかしたいものだ。
※参考文献 「評伝 海達公子」規工川祐輔著(熊日出版)

▼公子が生まれた長野県飯田市の風景(門脇俊照様撮影)


▼公子の心のふるさと、旧阿部村(現徳島県美波町)の浜(海司広幸様撮影)


▼小学校時代を過ごした荒尾市万田の家近くにある厳島神社