江戸時代初期に書かれた史書「当代記」によれば、日本の伝統芸能の一つ歌舞伎は、慶長8年(1603)、京の都で、出雲の巫女であった国と名のる女芸能者によるかぶき踊りから始まったとされています。
そして、その4年後の慶長12年(1607)の2月20日には、お国かぶきは江戸に招かれ、江戸城本丸・西の丸で勧進かぶきを行ないます。つまり、409年前の今日は、の演じるサブカルチャーとして始まったかぶき踊りが、ついにメインカルチャーに登りつめた日なのです。この1週間前の2月13日からは、同じ場所で観世・金春の勧進能が行われており、能・狂言に次ぐ位の芸能として認知された記念すべき日となったのです。
ところで、出雲大社の巫女出身であるという「出雲のお国」の呼び名が一般に定着したのは、なんと明治時代になってからのようです。また、「出雲のお国」というのは舞台での名乗りにすぎず、彼女の出自が本当にそうであったかどうか疑わしいとする説もあるようで、お国が諸国に下った時はその場所に応じて転々と異なる肩書を名乗っていたのではとする研究者もいます。そういう話を聞くと、僕の研究テーマである加藤清正に招かれた「八幡の国」のことも腑に落ちる思いがします。
阿国歌舞伎図(部分)
そして、その4年後の慶長12年(1607)の2月20日には、お国かぶきは江戸に招かれ、江戸城本丸・西の丸で勧進かぶきを行ないます。つまり、409年前の今日は、の演じるサブカルチャーとして始まったかぶき踊りが、ついにメインカルチャーに登りつめた日なのです。この1週間前の2月13日からは、同じ場所で観世・金春の勧進能が行われており、能・狂言に次ぐ位の芸能として認知された記念すべき日となったのです。
ところで、出雲大社の巫女出身であるという「出雲のお国」の呼び名が一般に定着したのは、なんと明治時代になってからのようです。また、「出雲のお国」というのは舞台での名乗りにすぎず、彼女の出自が本当にそうであったかどうか疑わしいとする説もあるようで、お国が諸国に下った時はその場所に応じて転々と異なる肩書を名乗っていたのではとする研究者もいます。そういう話を聞くと、僕の研究テーマである加藤清正に招かれた「八幡の国」のことも腑に落ちる思いがします。
阿国歌舞伎図(部分)