徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

脊振おろし

2016-02-21 21:28:06 | ファミリー
 今日は、孫娘みわの誕生日祝いと弟てっぺいのサッカー試合を見に、家内と連れ立って久留米へ出かけた。昨年、母が具合が悪くなってからは遠出ができなくなったので、久留米へ出かけたのは随分久しぶりだ。多分、1年半ぶりくらいかと思う。みわや両親もてっぺいの応援に来て、脊振おろしの寒風の中、さかんにハッパをかけていた。家族が揃って元気な姿を見るのは嬉しいものだ。
 サッカーの試合が行われたのは、筑後川沿いの佐賀県みやき町北茂安体育館グラウンド。僕が鳥栖に勤務していた時分もこの辺りには来た覚えがない。
 北茂安町(現在はみやき町)というのは、筑後川の築堤を行なった佐賀の戦国武将・成富茂安にちなんだ地名。実は成富茂安は加藤清正とゆかりが深い。朝鮮の役、天草五人衆の戦、関ヶ原などで清正と一緒に戦った武将で、清正は茂安を高く評価し、厚遇で召し抱えたかったらしいが、茂安は主君鍋島公への忠義を守り、「たとえ肥後一国をもらっても応じかねる」と断ったという。筑後川沿いの道を帰りながら、ふとそんなエピソードを思い出した。