縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

縄文リンゴの正体は?・・・長者ヶ原遺跡の春

2023年04月05日 07時32分45秒 | 縄文

冬枯れから芽生え時への移行期の長者ヶ原遺跡で、ひときわ目立つ彩りが山椿の赤い花。

この遺跡から出土した石斧の柄が山椿であることから、5,000年前の植生を再現するために植栽されている訳ですな。
クルミやホウの樹はまだ葉っぱがでていないが、これなんの樹?なにに利用したと思う?とクイズをしながらガイドしている。
この赤い実はなんですか?食えますか?・・・わたしは縄文リンゴと呼んでおるが、食えるかどうかは自分で食ってみろ!と答えているが、知らないとは言わないのがボクで~す(笑)
 
どなたか「縄文リンゴ」の正体をご存知なら教えてくださいな。食感はしなびたリンゴっぽく、味はホウヅキに似たエグさと渋みがあって美味くはないデス。
 
追記
アオキという在来種の常緑樹で、赤い実は野鳥のエサになると教えてもらいました。とりあえず在来種なので「縄文リンゴ」は当たらずといえども当からず!( ´艸`)
 
 

アメリカ人には勾玉より土偶がクールジャパンという学び・・・縄文オカリナ

2023年03月28日 07時08分30秒 | 縄文
遮光器土偶の眼をつくる手順は横棒が先か?輪郭が先か?
やってみたらどちらでもよいことがわかったが、最小限の表現なら横棒だけでもワカイイのですな。
輪郭だけだと不気味?
このような生命誕生の研究(笑)をしていたら、地元の人がヒスイ加工の現場を見学したいとアメリカ人観光客を連れてきた。
 
ベトナム戦でPTSDとなった建築店社長とのことだが、ヒスイ製品よりDIYした工房のシステムに興味がそそられ、作りかけの縄文オカリナにこれはなんだ???と驚いていた。
サイズもデザインもバラバラなのは手づくりの証し!
 
型抜きじゃないの?キルン(窯)はどこ?バーベキューコンロで焼いてるって!?粘土なのになんで黒いの?3,000年前に流行したチャコール着色の技術だって!ワォ信じられない!と、今時の日本で家内制手工業をしていることに感激して、土産にと買ってくれた。
 
ほんとは勾玉買って欲しかったが、アメリカ人は勾玉より土偶がクールジャパンという学びをしました( ´艸`)
 
 
 

燻し焼き・・・縄文オカリナができるまで

2022年11月13日 08時51分17秒 | 縄文
デコモリ風ヘアーや栗っぽいカタチ、大きさと焼き色もバラバラなのは、手づくりの証し。
洗って乾かした後も、ペンダント紐をつけ、パッキングに入れてと色々と面倒なのだ。
開放型ストーブの上で炙り焼きしてあるから、バーベキューコンロで炭をカンカンに熾したらドーナツ状に広げ、真ん中にオカリナを置く。自然に温度が高くなるように炭を足して・・・
炭に着火して40分くらいでオカリナの上に炭を乗せた状態・・・このまま約1時間弱放置
バーベキューコンロを使って焼成した直後は、ハニワと同じ赤っぽい黄土色をしている。
 
熱いうちに燻し焼きをして黒くするが、数が多いから一発で綺麗に黒くなるのもあれば、部分的に色ムラも出てしまうこともあるので、ある程度は均質になるまで繰り返す。燻し焼きしてないオカリナより値段が高いのはそのため。
 
きれいに色ムラがついたオカリナは「この色ムラがかわいい!」と女性客が喜んで買ってくれるが、やはり均質に色が付いているオカリナから売れていくし、実物を観て選べないネット通販や、京都の「民族楽器コイズミ」さんに卸す商品は、色ムラの少ないオカリナを選んで売っている。だから色ムラのオカリナが売れ残ったら、次回の焼成の時に再度の燻し焼きをしている。
利益面を考えると微妙で、ヒスイ加工したほうが儲かるぞとは思うが、面白いからやめられない(笑)
 
 
 
 

縄文オカリナのつくりかた・・・遮光器土偶オカリナ

2022年11月12日 08時06分44秒 | 縄文
オカリナつくり体験会で、参加者の目の前で遮光器土偶オカリナをチャッチャと作ってみせたら、「本当に型抜きじゃなかったんですね!」と驚かれたが、わたしは嘘をつかない(笑)
売り物の場合は数を作るので、目の横線を描いてから、次の個体にとりかかる。
粘土がベタベタしなくなるまで乾いたら、数個まとめて目の輪郭を描く。
 
乾燥具合をみて目の輪郭に縄目を施文して、各部分の成形。
翌日に目の中を磨き仕上げして、粘土が白くなるまで乾燥。
開放型ストーブの上にのせて赤くなるまで「あぶり焼き」をして、快晴・無風の日に本焼きをしている。
 
土器やオカリナ作りをしている人は、それぞれの製作環境にあった工夫をしているので各人各様のやり方があるが、工程に応じた乾燥具合の見極めが重要な訳ですわ。
 
そして今日が絶好の本焼き日和!今年最後のオカリナ作りになるだろう。
 
 

長者ヶ原遺跡の竪穴住居の茅補修・・・信州の茅葺職人

2022年07月26日 06時17分58秒 | 縄文
信州の友人、茅葺職人の渡辺拓也さんが、長者ヶ原遺跡の竪穴住居の修復に来ている。
右が渡辺さんで左がお弟子さん。渡辺さんと出会ったのが、3年ほど前の縄文イベントだった。
遺跡公園はいってすぐの20号住居は、だいぶ前から煙だし付近から雨漏りしており、雨降りの縄文キャンプの夜に赤い傘をさして寝ていたのが、イダキ演奏家のKnobさんだった( ´艸`)
棟部分にかぶせる杉の樹皮と結束用の藤蔓
 
クリ材の又首(サス・屋根垂木に相当)も痛んでいて、部分的に交換したそうだが、今時クリ材が入手できるとは流石に信州の職人だ。
 
古い言葉で屋根の棟を串(グシ)というが、髪もオグシともいう。
渡辺さんの仕事を見学して、棟の部分の茅を左右にふりわけて編みこんでいく工程が、まるで女性が髪を三つ編みする様を連想した。
 
なるほど棟をグシと呼ぶのは、茅葺屋根時代は家の髪として認識されていた名残ではないか?と納得。
滅多に見られない茅葺職人の技、今日が最終日である。タイミングよく今日は遺跡で縄文体験会があるので、子供たちに究極のSDGs建材、茅を触ってもらおうではないか。
 
糸魚川最後の茅葺職人さんは、お亡くなりになった能生谷の渡辺さんで、掘立柱建物の修復をしていたのは私がUターンして丸木舟を作っていた10年ほど前。孫の世代の信州の渡辺さんが引き継いでいるのも何かの縁か。
 
願わくば、天津神社や白山神社の茅葺も、渡辺さんに修復して欲しいものだ。彼と話していると、わたしのヒスイ加工と共通している部分が多く、話が尽きないのだが、こんな人に地元の神社の修復をして欲しい。
 
 
 

クルミの子供・・・梅雨の長者ヶ原遺跡

2022年06月14日 07時27分30秒 | 縄文
長者ヶ原遺跡をガイドしたら、クルミの実の子供が成り、ホウの花芽が咲いていた。
川に流れ落ちたクルミが海岸に漂着することが多く、浜っ子の私は石でクルミを割って食っていたとガイドすると、驚いていた。
ホウの花芽。ホウバ味噌のホウですぜ。
 
好奇心旺盛のお客さんを案内するのは愉しいネ。
 
工房はついに外壁作業に突入した。
 
 
 

縄文時代にスキーはあったのか?・・・マタギの必須アイテム「コスキ」が怪しい!

2022年02月14日 09時02分13秒 | 縄文
上越市在住のオランダ人のウイレムさんから、雪国の暮らしを紹介する英語ブログを書いているが、縄文時代にスキーはあったのか?と英文の質問メールがきた。たまに歴史や民具などの質問メールがくるのだが、日本語以外は苦手なので翻訳アプリの助けを借りておりマス。
ぬなかわヒスイ工房の玄関に飾られたコスキは、不用品を頂いたもの。木製の鋤だから木鋤で、地方によってはキスキ・ユキハネなど様々な呼び方があり、軽くて雪がくっつかないからと、今でも山間部で愛用するご老人がいるらしい。ちなみに材質はブナが多いようだが、糸魚川では斧や鉈の柄にもイタヤカエデが好んで使われるので、持山のある人は自分で伐採して作る伝統が残っている。
 
「日本列島は酸性土壌なので有機物が残り難く、縄文時代のスキー・ソリ・カンジキの類型は出土してはいない・・・しかし伝統的なマタギが雪山に入る時に杖や除雪具として持っていくコスキ(木鋤)は、坂道を降りる際にはコスキで山側に体重をかけて見事に滑り降りる道具としても使われるので、コスキが縄文時代にあったのであれば下り坂限定のスキー代りとして使われていた可能性はありますね」、と以下の県立博物館の資料を添付した。
https://jmapps.ne.jp/ngrhk/det.html?data_id=27121
 
翻訳アプリで「酸性土壌」は「Acid soil」と翻訳され、勉強になったヨ。ちなみに雪国の民具なら、十日町博物館が最も充実しているのでご参考までに!とも。
 
 

縄文文字はギャートルズ文字だった!・・・歴史探偵ごっこ

2022年01月10日 07時20分01秒 | 縄文
謎の古代文字「カタカムナ」なるものを縄文文字と教えている人に、文字が書かれた縄文時代の出土品があるの?と質問したら、いやいや5万年前の壁画に描かれていますと言われ、フハッ~!と化した。(フハッ~!は、水木しげる漫画で多用される感嘆符ですネ。)
 
5万年前だと縄文時代より3万年以上も前で、アニメ「はじめ人間ギャートルズ」の旧石器時代だから、ギャートルズ文字ということにならんか?
 
それに、たとえ遺跡の壁画に文字が書かれていても、遺跡と同時代に書かれた文字と限らず、また顔料に炭化物が混入していないと年代測定はできないし、線刻なら年代測定は不可能なのだが・・・。
しかしながら私は旧石器時代のことに詳しくないので、正月に「旧石器時代ガイドブック」で勉強したら、現時点で日本列島の旧石器時代の遺跡は、4万年前までしか遡れないとありますぞ!著者の堤先生は「浅間縄文ミュージアム」の館長さんで、いちどだけお逢いしたことがある。
 
この本は図版も多く、小学生にも理解しやすく書かれているので、今はお袋が「この本、面白いねぇ!」と読んでいる。
 
この時代の私の関心は、3万6千年前から作られていた「局部磨製石斧」が、3万年前くらいからの姶良カルデラの火山灰の降灰期を境に途絶え、縄文時代の磨製石斧に連続していないこと。
 
かって「野尻湖ナウマン象博物館」の中村館長(当時)から、野尻湖の旧石器時代の局部磨製石斧は、白馬や小谷あたりで採取したらしき姫川水系の透閃石岩で作られていると教わったが、その採取ルートや断絶から縄文時代の磨製石斧が登場するまでの関係性はわかっていないらしい。
ヒスイ加工にも断絶期があるし、加工法や交易方法とそのルートも謎だらけ。
 
疑問を調べるほどに謎は深まり、「可能性がある」「かもしれません」と、言葉遣いが慎重になっていくが、アマチュアといえどもガイドや講演をするなら、「自分の考えはこうだけど、考古学ではこう言われている」くらいの情報を伝えるのが誠意だろう。そうでないと教えられた人が恥ずかしい思いをすることになる。
 
 
 

わらう埴輪の謎・・・必殺ほほえみ返し

2021年11月03日 08時04分28秒 | 縄文
埼玉県本庄市の「前の山古墳」の石室入口を守る「盾持ち人埴輪」は、なぜが笑っているのか?かわいすぎる埴輪だ。
本庄早稲田の杜ミュージアムから拝借した「盾持ち人埴輪」の写真
 
古今東西、魔除けの形相は目を見開き、歯をむき出して舌を出す憤怒の表情、すなわち「張目吐舌」が一般的。
 
「アッカンベー」もこの類型で、これは普段はみえない、そして弱点である肉体内部を無防備にさらけ出すことで相手を侮辱している訳だ。
 
それとは真逆にタイのボクサーやムエタイの選手は、いいパンチをもらうとニカリと笑って、効いてないぜ!とアピールするのだが、中学生くらいの前座ムエタイボクサーだと笑いがぎこちなくて、ちょっと痛々しい。
 
わたしは「必殺ほほえみ返し」と呼んでいるが、「盾持ち人埴輪」も古墳に忍び寄る邪悪な存在を、座頭市のように「およしなさいヨ、無駄なこと!」と笑って追い返しているのか?
 
そういえば「黄金バット」や、バルタン星人もよく笑う。黄金バットは悪い奴をやっつけるのが楽しく、バルタン星人は悪いことをするのが楽しくて仕方ないから笑うのか?ケムール星人などは、走りながらもフオフオフオッと笑い続けているではないか。走るのが楽しいらしい( ´艸`)
 
だとすると善悪はともかく、天真爛漫で無邪気なヤツらなのかも知れないが、躁病的な気質も疑われますな(笑)

地質図と地図でブラカトリ・・・5,000年前の地域の姿を推測する

2021年10月29日 07時49分36秒 | 縄文

地質図と地図でブラカトリ

三内丸山遺跡までヒスイを運んだ縄文時代の「海のヒスイロード」の出発地はどこであったのか?
 
現在の天津神社前から糸魚川駅付近までが湖沼域であり、そこから海に出たという確かな筋の説があり、その位置を知りたかった。
フォッサマグナミュージアムの香取学芸員に相談したら、彼の元職場の「地質調査総合センター」でWEB公開している「シームレス地質図」で、海面上昇シュミレーションの機能があると教えてもらい確認したら、まず「図幅」という地質図でその付近が水色に塗られた「泥及び砂」堆積物であることが判明した。
さらに縄文中期前葉の海面上昇を5mと想定したシュミレーション図を重ねてみたのがこれ。駅前は浅い湾になっており、鉄道付近でかっての湖沼域に接しているゾ!ちなみに私の子供の頃は糸魚川駅の南側は大雨で床上浸水することが多く三反田という地名だった。
 
この作業が面白いので、さらに国土地理院のWEB地図で標高5mまでを濃い青で塗ってみたのがこれ
 
天津神社と市役所が湖沼に突き出た半島であったことがよくわかるだけでなく、長者ヶ原遺跡を源流とする城之川が湖沼に流れ込んでいることが確認できた。
 
遺跡から城之川のV字谷を下れば1キロ弱で湖沼に出られるのだが、その標高差は80m前後。
 
このV字谷は現在は樹々が生い茂っていて歩くことが困難だが、明治時代に新田開発のために導水トンネルを掘ったと書かれた石碑とその痕跡を森の中で発見したことがあり、これまで調べていた蓄積が一気に繋がっていった。
 
標高5mを汀線に塗った国土地理院の地図で全国の主要遺跡や都市をチェックすると、遺跡は岬や沿岸の微高地に位置するし、都市部は汽水湖や海の底にあった沖積平野であることも一目瞭然で面白い。
 
ただし汀線が全国一律に同じ標高であったことは考え難いので、あくまでも参考データ。より「確からしさ」を高めるには、シームレス地質図で堆積物を確認して、地域の民俗誌や歴史を調べる必要もある。
 
しかし最近になって発見された、上越市大潟区で発見された沿岸の高地性の前方後円墳も汽水湖の沿岸であることもわかった。
 
古墳空白地帯だった新潟県内でも、昨年は下越の沿岸の高台から前方後円墳が発見されており、これらの地質図や地図を使いこなせば、アマチュアでも前方後円墳が発見できるかも・・・。
 
たとえば大和政権が越後平定のために青海首(おうみのおびと)を派遣して、糸魚川地域に拠点を作ったことから地名となった青海地区や、ヌナカワ彦が大和の市道将軍と戦った伝説のある能生地区などなど。
 
「四隅突出墳丘墓」が発見できれば出雲勢力が進出した痕跡と証拠となるが、現状ではどちらも威信材の出土がまったくといっていいほどないので可能性はとても低い(笑)
 
興味ある方はやってみてちょうだい。パソコン仕事が苦手な私でも、格闘すること30分~1時間で求める情報が得られましたわ。