5月25日に二隻目の丸木舟で能生町~上越間26キロの航海実験決行。
「海のヒスイ・ロード」復活作戦の第一段である。
そして8月13日に万を期して第二弾をSUP(スタンドアップ・パドル・ボード)での航海実験を実行した。
前日、サップに防水バックをベルト固定する実験をした。非常用の飲料や食料、衣服などを持っていくためである。
今回はカヌーが趣味のN潟日報の田中記者が、自前のインフレータブル・カヌー(ゴムボート式のカヌー)で同行。いわゆる従軍カメラマンである。
この時期は朝10時前後から針路とは逆の下り潮(東からの潮)となるため、早朝4時半の出航と決め、朝3時に田中記者と合流、真っ暗の押上海岸でヘッドランプの灯りを頼りにセッティング、船出となった。
04:15 城の川河口に到着。青いカヌーは田中記者。海水はぬるま湯状態。
前にも書いたが、縄文時代に糸魚川ヒスイが各地に運び出された海上ルートは、天津神社周辺にあった村から城の川を下って日本海に船出したと推測されている。「海のヒスイ・ロード」の起点である。
ところが現在の城の川河口周辺はテトラポットで護岸されており、丸木舟を下せる場所がないために、第一弾目の航海実験は縄文航海者にとって第二レグだったのではないかと推定される能生町からのスタートとなったという経緯がある。
だから第二弾は本来とは順序が逆になるが、縄文航海者の第一レグと推定している城の川河口~能生町間をサップで航海しようと計画したのだが、小型軽量といえども城の川河口近隣でサップが下ろせる場所は1.8キロ東にある押上海水浴場のみ。
目的地の能生町とは逆の西方向に1.8キロ漕いで城の川河口に到達してからが航海のスタートとなるが、それより方法がないのでやむを得ない。
05:30 朝日が昇ると陸風が吹き出した。風速3m程度だが、田中記者のカヌーは風に弱いタイプ。いつの間にか沖合1キロまで流されたので慌てて岸寄りに針路を取ち直す。
9:00 浦本漁港沖到達。この頃から下り潮になって速度が落ち、日差しも強くなってきた。
漁港沖に派手なシットオンタイプの釣り用カヌーが二杯いたが、糸魚川でこんな釣り船に乗っているのは長野県人と相場が決まっている。
魚探やGPSまで装備した本格スタイルなのだ。
「えっ、能生まで行くの?止めたほうがいいよ。潮が逆だあ。糸魚川ならあっという間に行けるよ~!」頓珍漢な短い会話をして別れる。
11:00 「パドルよ、あれが弁天岩だ!」ついに目的地が見えてきた。
暑くてバテ気味だが、能生川を過ぎてから潮が止まったので、サップはグイグイと進みだした。
11:30 フィニッシュラインの曙橋通過!弁天岩の赤い鳥居がセクシーだぜ。
弁天岩を一周してのウイニングラン。弁天岩の周りは水路状に岩が点在していて冒険心をくすぐるから好きな場所だ。
結果は以下の通り
航海距離;15.13キロ
最高速度;7.2キロ
平均速度;3.3キロ
航海時間;4時間31分 (実働)
休憩時間;2時間26分