糸魚川駅北火災の瓦礫撤去作業が始まった。
年度末3月に終了予定と発表されたが、これは予測していた事。
来年度予算で整備計画という処か。
全焼した幼馴染の実家では、家族だけで貴重品探しをして何も見つからず諦めていたらしい。ダメモトで支援ボランティアに頼んだら、奇遇にも高校卒業以来の30年振りに会う私の班が担当。探していた古銭やヒスイ製品、アルバムなどが掘り出されて安堵のポーズ。子供の頃から別嬪だった彼女は昔のまま・・・髪形も・・・だったので、私もある意味ホッとした(笑)
さて、焼け跡の瓦礫撤去直前に、ボランティア達が幾つかの「思い出の品」を掘り出した別のお宅。
残念ながら人力では到底動かす事の出来ないボリュームの瓦礫の下に、未発掘の「思い出の品」が埋蔵されていると推測された。
被災者のおばあちゃんから聞き出した間取りと、2階建ての木造家屋が倒壊した分を考慮して怪しい箇所をピンポイントで特定。
瓦礫撤去の重機オペレーターにその旨伝えて、お手柔らかにと頼んでおいた。
そして瓦礫撤去の4日後、再度ボランティアが乗り込み、ピンポイントで発掘したら・・・形見のダイアモンドや結婚指輪などがザクザク出土して、持ち主のおばあちゃんに大変喜ばれた。
こんな事も、日々メンバーが入れ替わるボランティアの中に、連続参加できる地元の人間がいる事の意義があるのだ。
お姉さんの形見の指輪との事で、今度は無くさないように指にはめたまま大事にすると破顔一笑・・・ボランティア冥利に尽きるというもの。
被災地の多くは古い木造家屋が立ち並ぶ地帯で、この時も瓦屋根と土壁だった事が幸いして、崩落した瓦と土砂が火災の高熱から貴金属を守ってくれたらしい。
だから瓦礫撤去が終了しても諦めてはいけない。
こんな事をブログで公開すると、いたずらに火事場泥棒を助長しかねないのか?とお叱りを受けるかも知れないが、既に全国放送のニュースで流れてしまった事だし、一度でも被災地にボランティアをした経験のある人なら、そんな心配は杞憂だと理解できるだろう。
暮れにニュースになった火事場泥棒は、焼け跡に露出していた物品を持ち去ったのではないか?
それに現在は常に警官が巡回している。
また今回の場合は、多くのボランティアが膨大な手間暇をかけた上で、瓦礫の中から掘り出した結果であって、かなり事情が違うのだ。
もしこのブログを読んだ泥棒が盗掘を目論んでも、広大な焼け跡の何所をどれだけ掘れば貴金属が出てくるのかと、途方に暮れるに違いない。
我々ボランティアは、被災者から詳細な間取りと探し物を保管していた位置を聴き取った上で、ピンポイントで掘り出している。
そしてその作業内容は、大きな瓦礫を手で移動した後に、園芸用の移植ゴテで丁寧に土砂を削り取って小さな貴金属を探し出しているのだ。強風で横殴りの雨や雪が降っても、こんな作業を黙々としてやっている。寒さと腰痛、立眩みとの戦い・・・7割のボランティアが県外市外から駆けつけてくれている・・・せめて糸魚川の重鎮は労いや感謝の言葉もかけてやって欲しいのだが・・・。
もっともボランティア初日は貸し出された普通サイズと小型スコップで土砂を掘っていたが、私は遺跡の発掘と同じ作業だと思い、翌日からは発掘作業に倣って移植ゴテを使ってみたら、作業効率が良くなり、成果も挙がった。
その旨をボランティアセンターに報告したら、翌日から全員分の移植ゴテを揃えてもらい、「思い出の品」を移植ゴテで丁寧に掘り出すという糸魚川スタイルが確立したのだ。
貸し出し用の道具類は、社会福祉協議会のネットワークで集めた各地の被災地で活躍してきた歴戦の道具だが、そこに糸魚川で使った移植ゴテが加わって、次の被災地でも活躍してくれるのだろう。
過酷な環境下での、これほどまでに根気がいる作業・・・盗掘されるという事は絶対ないと断言してやる。