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なんでアイヌ民族は上長下短の弓を使わなかったのか?・・・縄文の弓

2021年05月18日 07時21分10秒 | 縄文
郡山市の大安場古墳の博物館で、縄文晩期出土の「上長下短」になった丸木弓を発見!
3,000年前のマユミ(真弓)で作られた湖南町の「山ノ神遺跡」出土品であるとのこと。縄文時代の弓の完形は、富山の桜町遺跡で観た以来の珍しい出土品。
 
日本の弓、すなわち和弓は、手に持つ部分より上が長い「上長下短」の特徴をもち、「世界に類例のない日本独自の弓」とする武具の研究図書を読んだことがあるが、そんなことはなく、私のような素人でさえラオスで観たことがある。
 
ただしラオスで観た「上長下短」の弓は、弦の中央が小さな籠編みになっていたので、矢ではなく石礫を飛ばす弾弓であるらしく、調べたら正倉院に螺鈿細工の同様な弾弓が収蔵されていることがわかった。
 
しかし「魏志倭人伝」には、倭人の弓は「上長下短」の特徴を持つことが珍奇であるニュアンスをもって記述されており、世界的に少数であることは確か。
 
樹の枝を利用するので、幹側と枝先側では密度が違うことから均等の力で弓を引くためにこの形状であるとか、片膝をついて矢を放つためであるとか、飛距離を伸ばすための長弓の振動を減ずるためとかの諸説があるが、人類学者の金関丈夫は水面下の魚を狙って獲る漁労具という民俗例を紹介している。
 
不思議なのはですねぇ、アイヌ民族の丸木弓(単材弓)が「上長下短」ではなく、上下が対称形であるということ。
 
縄文以来本州で使われてきた「上長下短」の和弓を、往古は不明ながら、なんで近代のアイヌ民族は使わなかったのか?
 
北海道方面の弓はシベリア系であり、「上長下短」の弓は本州以南で考案されたから?
 
北海道の縄文遺跡からの弓の出土例を調べてないので、これ以上は私にはわからない。
 
あぁわからない、わからない・・・調べるほどわからなくなるのが面白い( ´艸`)