横綱の土俵入りには、せり上がりの時に左手を挙げる雲龍型と、両手を挙げる不知火型があるが、ジンクスを担ぐ商売なのに、歴代の不知火型横綱の力士人生は短命とされるなか、あえて不知火型を選んだ横綱の土俵入りには、悲壮感が漂うようで応援したくもなる。
この二つの型は、幕末の雲龍と不知火なる横綱がしたことで命名されているのだが、古墳時代中期の形象埴輪「力士」が雲龍型のようなポーズをしている。
福島県立博物館展示品より
果たして同じ儀礼が古墳時代にあったのだろうか?
当時からあった型を、雲龍と不知火が見事に、あるいは洗練させて披露したから命名されたのか?
締め込みをしているのに、ひざ下に線があるけどなんで?
扇のような髪形はどうやって結ったの?被り物なの?
考古学に興味のない人でも、興味を持ってもらえる面白い埴輪。
巫女や武人の埴輪は厳しい顔つきをしているが、他の埴輪は漫画チックな笑顔に見える。
日本列島に住む人々はカワイイが好きなのね、昔から。