縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

瞽女さと義の塩の物語をもつ米を被災地に運ぶ・・・能登半島沖地震ボランティア

2024年03月08日 07時00分33秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
昨夜、能登行きの食料の買い出しから戻ったら玄関に米がおいてあった。
お隣の「居酒屋ユメジ」さんご夫婦が、困っている人にあげてくださいと持ってきてくれたらしい。2キロ入り×8袋の寄付・・・アリガト(´;ω;`)
昭和レトロがコンセプトの「ユメジ」さんは安くて美味い人気店。ご主人が竹下夢二のファンだそうだ。オヤジの葬儀の時も親身になって助けてくれた。
店の外も中も昭和の匂いがプンプンする「ユメジ」さんの店を「ぬなかわヒスイ工房」と間違う人が多いらしい。趣味が合うのねw
 
 
たとえ米1合の寄付でも10人いれば1升、100人で1斗になる。あずかって手渡しますヨ。
 
まだ広域断水中だからレンジでチンするご飯や無洗米を食べている被災者が多いが、断水は3月いっぱいで復旧見込みだ。水道が使えるようになった最初の炊飯に「義援米」はいかが?とメッセージしたい。
 
かって越後は盲目の女旅芸人の瞽女(ゴゼ)が盛んな地域だった。角付け歌「こうといな」や「かわいがらんせ」を一節うたった報酬が、袋にいれてもらう茶碗一杯、二杯の米。
先頭は目が多少は見える瞽女さんで、左手をその背中にあてた三人組が多かったそうな。
 
いく先々で少しづつでもらって集めた米を町で換金してもらったそうだが、各地の米が混じった瞽女さの米は縁起がいいと高く買ってもらえた。
 
だからお金も米も物資も、色んな人から集めると縁起モノという物語をもつ。米どころ越後の、瞽女さと1合の布施米の物語に、上杉謙信の「義の塩」の物語もまぜて「義の米1合運動」といった感じで、能登とは浅からぬ縁のある地区の人に話したら、総会で議題にすると快諾してくれた。
 
米やお金のみならず、多くの人が「見捨ててない」という物語を被災地にもっていきたい。