能登島の全壊家屋から仏壇の搬出お手伝いをした、Kさん宅の瓦礫に大量の輪島漆器が混じっていた。
輪島漆器のルーツは6,500年前の縄文時代早期にある世界最古級の漆器。江戸時代の欧州ではJAPANが漆器の代名詞となり、そのなかで輪島漆器は別格扱いで取引された歴史がある。
また漆器は生き物と同じように優しく扱うから、食事作法もおのずから洗練され、器というモノから日本文化というモノガタリに昇華した工芸品ともいえる。器としての機能は100均製品と変わらないが、その日本的な情緒を育んできた漆器は日本文化でありJAPANそのものなのだ。
JAPANは死なず!よみがえれJAPAN!我々の世代で終わらせては日本文化の喪失になるから、瓦礫として処分されるにしのびない。そこでKさんに売ったらお金になるかもですよう!と提案したら、はじめは恥ずかしがっていたが10万円になったら乾燥機付き洗濯機が買えますぅ!20万円で売れたらエアコンも買えますぅ!と煽った結果、好きなようにと許可をもらったので、瓦礫から漆器を掘りだして売るプロジェクト開始。
断水しているから雨水を溜めて泥だらけの漆器を洗った。海から強風が吹きつけて寒かったが、これで5,000円!これで10,000円と嬉々として掘りだしては洗う作業を繰り返す。
最終的には段ボール7箱分くらいになり、車に満載して帰宅。Facebookで紹介したら大バズりでうれしい悲鳴!
持ち帰った大量の漆器を風呂場に持ち込みお湯洗いをする。
シャワーで泥を流し、ぬるま湯のなかで豚毛ハブラシで高台の隅の汚れを落としてから、木綿布で全体を優しく手洗い。水気をガーゼタオルでふき取って完成となるが、洗いおわった漆器が座敷を占領した( ´艸`)
明治~昭和初期につくられ、2か月近くも風雨に晒されていたとはいえ、洗ったら輝きをとりもどして新品と見まごうほど綺麗なのは流石の輪島漆器。
高台の底にコと書いてあるのはKさんの屋号で、集落の冠婚葬祭で貸し借りした時に返却してもらうための風習。
屋号が書かれていない漆器は塗りムラも少し観察できるので、無理算段して数だけ揃えた明治の初代が誂えたもの?
茶色い透き漆でコとあるのは、ちょっと余裕ができた大正期?
金文字で堂々とコとあるのは経済的に余裕ができた昭和期?
延々とつづいた作業のなかで、息抜きに漆器から被災者のファミリーヒストリーを推理する。
縄文以来の漆器のモノガタリ、被災者一家のモノガタリ、震災の瓦礫からよみがえったモノガタリ・・・モノ言わぬこの漆器たちは器に非ず、モノガタリなのだ。今日からセットを組合せてカタログつくり。
このプロジェクトが成功したら他の被災者も続いてくれるかも知れない。多少なら傷付いたり塗が剥げている漆器であっても安く買ってもらい、補修を「輪島塗商工業協同組合」に依頼すれば被災地にお金がまわるし、壊滅的な被害をうけた輪島塗産業に多少なりとも復興のお手伝いになるのだ。