被災者になった時のために覚えておいてほしいこと。
岸田総理が「一人も取り残さない・全力でとりくむ」と言っている支援策を、避難所と仮設住宅について検証した。
発災直後は1次避難所ですごした被災者は多いようだ。なかには自主避難で親戚を頼ったり、傾いた家に戻ったり、ビニールハウス泊や車中泊を選択する人もいる。直接あって話を聞いた被災者のなかで、2ヶ月の車中泊をしていた老夫妻もいた。
ペットの世話・プライバシーの保護・地区ごとに寄り添いたいなど、自主避難の理由は様々。
その後に仮設住宅が完成するまで市外のホテルなどの2次避難所に移るケースもあるが、仮設住宅が完成する前に2次避難所の退出期限となる被災者もいると聞いては、行政支援の齟齬にため息しかでてこない。
1次避難所のなかでは規模が大きい珠洲市正院小学校も多大な被害を受けたが、玄関が支援物資集積所と炊出し施設になっており、コンテナ式の簡易医療室なども用意されていて、3月時点で体育館で暮らす被災者もいた。
給水所や仮設トイレも立派なものが設置されていて、校舎の裏に医療所もある。
小学校前に仮設住宅が次々と建設されていた。プレハブではなくカラフルなコンテナハウスで、ズラリと並ぶ様相は壮観ではある。
1次避難者が抽選で入居できるが、抽選だからお隣は誰になるかはわからない。家族3人で暮らしているお宅でお茶をいただいたが、間口2m×奥行き4mほどの広さで、ひとり暮らしの学生アパートのような感じの部屋。大人が3人で暮らすには狭すぎるが、4人以上の家族だと倍の面積になる。
エアコンにシステムキッチンと設備は立派でも、プライバシーが守れ・寝る・食うための最低限の広さしかなく、家具も置けないから住宅というよりシェルターに近い。ちなみに仮設住宅に入居すると支援物資は打ち切り。
仮設住宅に入居できても、悩みはつきない。
①家財道具の置き場所がない問題
損壊をうけた自宅から生活物資を持ち運びだせる状態であっても置く場所がなく、発災2ヶ月経っても家財道具の搬出に手がついていない被災者は多い。公費解体の前に家財道具をどこに保管すればいいのか?
全壊認定をうけた築80年のお宅から貴重品だしのお手伝いをしたが、必要なものをみつけても保管する場所がないので、貴重品以外は「災害関連ゴミ」として処分するしかない。保管場所さえあれば家電製品や季節ごとの衣類も生活基盤の再建に役立つのだが、残念ながら行政はそこまで心配してくれない。
②仮設住宅の入居期限は2年という問題。
全てを失った被災者が、たった2年で住宅再建できるのか?
40代前半の世帯主なら住宅ローンを組んで住宅再建もできもしようが、年齢や収入の問題で再建資金の算段ができない人の方が多いのではないか?
これは東日本大震災の時と同じで、今後は住宅ローンが組めないからと都会に出てのアパート暮らしや、公営アパート暮らしを選択する人も多く出てくるだろう。すなわち地域コミュニティの崩壊、文化の消滅、そして孤立と孤独死・・・。
東日本大震災で津波被害をうけた集落が、集落ごと高台に移転したケースでは、住民の合意形成や用地買収に手間取り、宅地造成が完成したのは6年後。しかし発災後6年も経っていては、避難先で生活基盤ができていた若い世帯は帰ってこなかったと聞いた。
以下は素人の愚行だが・・・
早い段階で地区ごとの公営団地の建設を明言しないと、おなじ場所で住宅再建をあきらめた人たちが三々五々と出てゆき、誰もいなくなっちゃうと思うけどな。
一階が老人世帯の2LDK、二階が3人以上の世帯用に3LDKで、公衆浴場と集会所のある長屋形式なんてどうだろう。