「古代のラブロマンス」に埋没していた、ヌナカワ姫の悲劇的な伝説と稚児ケ池が初めてマスメデイアで紹介された。
9月30日の新潟日報の夕刊で紹介されたのだが、あまり突っ込んだ内容ではないところは媒体の性格上、無理もないこと。
ヌナカワ姫と稚児ケ池にまつわる伝説は、数あるヌナカワ姫伝説の中でもっとも具体的、かつ考古学の調査結果と整合性が高いのだが、糸魚川市が宣伝している「古代のラブロマンス」とは真逆の陰惨な口碑なので、これまでマスメデイアで取り上げられることはなかったようだ・・・。
観光客増大の目的はよいにしても、都合の悪い情報に蓋をして古事記の一部を拡大解釈して創作された「古代のラブロマンス」を、史実のように宣伝してしまっていることろが問題。歴史修正主義とまでは言わないが。
地域のためというなら、まず最初に信仰の対象であるヌナカワ姫と、伝説を語り継いできた祖先たちへの敬意を忘れてはならないのではないか?
口碑は地域の文化遺産ということも忘れてはならない。
実際に「古代のラブロマンス」を真に受けて糸魚川観光に来た女性グループをガイドして、稚児ケ池にまつわる悲劇的な口碑を教えたら「なんて酷いことを!女として許せない!」と怒っていたが、こういった事態は宣伝という点で逆効果ではないか。
こんな話がライター氏の琴線に触れたようで、パレスチナ問題やロシアのウクライナ侵攻、アイヌ民族への迫害の歴史へと脱線していった。
破れ去りし者、滅びし者は語る口を持たない。それでも小さな、耳を澄まさないと聴こえてこない小さな嘆きの残滓が、悲劇の口碑ではないだろうか。
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