最強の格闘技を決める異種格闘技戦なんて、野球とサッカーの試合をして球技の世界一を決めるようなもんでしょ?そんな批判をものともせず、アマチュア空手家も興行の世界に引き込み、格闘技ブームを作ったアントニオ猪木。
昨夜は猪木の追悼で「四角いジャングル・格闘技世界一」を視聴したが、出てくる人のほとんどは故人となっていて、熱い時代の熱血漢たちを偲んだ。
モハメド・アリと戦った男の看板があったから、イスラム圏では猪木の知名度は高かった。
湾岸戦争で人質となった40数名の在留邦人を、個人の立場としてバクダットで新日本プロレスの興行と共に、サダムフセインに人質解放の直談判に成功。
帰国した人たちが「外務省はなにもしてくれなかった。猪木さんのお陰です」と猪木を称えたが、外務省や政治家は面白くなかっただろう。
バクダットの人質救出の二匹目のドジョウを狙ったのか、北朝鮮出身の力道山の弟子だった縁を頼りに、拉致被害者救出のために北朝鮮で初めてのプロレス興行もしたが、こちらは成功せずに借金が増えただけだった。
3秒以内なら反則が許され、お客さんが喜べば結果オーライというプロレスルールを事業や政治の世界でも発揮したから、独善的なスタンドプレーや会社資金の私的流用など批判も多かった。
燃える闘魂、アントニオ猪木は、なにをやっても、最後までプロレスラーだった。熱い姿を見せてくれてありがとう、と謝辞を贈る。
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