渡辺義一郎さんから「ヌナカワ姫三部作」の完結本が贈られてきたので、翌日の会社経営者の会合で頼まれていた講演のメインテーマを縄文からヌナカワ姫に変更した。
「古代越後・奴奈川伝説の謎」を30代前半で出版した渡辺義一郎さんは御年76歳になるらしいが、ヌナナワ姫の著作も3冊目となり、足掛け43年の及んだライフワークが完結。
*渡辺さんは一般的な表記である「奴奈川姫」と漢字表記されておられますが、「出雲國風土記」以降に当て字れるようになった漢字の奴は、たとえひらがなの「ぬ」、カタカタの「ヌ」に対する当て字であったにしても、文字の由来は「捕らわれた女奴隷」を表す象形文字とあっては姫があまりにもお気の毒なので、私は敢えて奴奈川姫とは表記せず、ヌナカワ姫、ぬなかわ姫としております。
「ヌナカワ姫と八千鉾神とのラブロマンス」が語られ始めたのは1970年代以降で、海岸部の市役所に設置されたヌナカワ姫の銅像は、昔は市街地、そして子供の建御名方神が鎮座する諏訪大社の方角の南を向いていたが、平成の市役所移転に伴い、出雲のある西に向きが変えられてからは「ヌナカワ姫は遥か出雲を望んで八千鉾神を偲んでおられる」という文言が登場し、観光客誘致活動が顕在化するようになった。
子供の頃は南を向いていたのに、Uターン帰郷したら西向きになっていたヌナナワ姫の銅像。西向きに変えた関係筋に聞いたら、「銅像のすぐ北を走る国道バイパスのドライバーに尻を向けるのは無礼である!」という理由だったらしいが、何で西向き?糸魚川市民に尻を向けても無礼ではないのかな?要するに出雲の方角に向けてラブロマンスの広告塔にしたかったのね・・・セコくね?( ´艸`)
古代のラブロマンスが語られるようになった70年代には、青森の五所川原村(現在は五所川原市)が古代の津軽に王朝があったとする謎の古文書「津軽外三郡誌」を郷土史に組み入れて観光客誘致活動を始め、一定期間は大盛況であったようだが、偽書と報道されて以降は熱気が尻すぼみとなり、今や関係者の誰もが口を閉ざすようになった。
考古学的な検証抜きの「古代のラブロマンス」だけを喧伝すると、規模は小さくとも五所川原の轍を踏む可能性もあるが、「とにかく興味を持ってもらって、糸魚川に来てもらうことが大事」とする考えも聞く。
しかし悲劇の口碑を記述した渡辺さんや清水友邦さんの著作の読者が、ラブロマンス一辺倒の糸魚川に来たらどんな感想を持つだろうか?
あるいは糸魚川に来てから興味を持って、自分で調べて口碑を知ったら?
ガッカリとかビックリしない?
岩手在住の清水さんは、縄文や抹殺された女神を世に出す活動をする著述家として有名な方。「よみがえる女神」の表紙は、長者ヶ原考古館に置かれているヌナナワ姫象。数年前に糸魚川フィールドワークのガイドをした縁で意気投合、私の兄貴分のようになった。
私を訪ねて来た観光客をフォッサマグナミュージアムに案内すると、入口で流れる「古代のラブロマンス」のビデオと、私から聞いた口碑のギャップに「観光のために歴史を捏造していいの?観光客を騙してまでお金が欲しいの?!」「伝説とは逆のラブロマンスにつくりかえるなんて女として許せない!ヌナナワ姫がかわいそう!」といった反応が返ってくる。
冷静に考古学的な考察をすると悲劇の口碑に現実味が増していくばかりだし、町おこし団体がキャッチコピーにしている「世界最古のヒスイ文明のまち」は明らかな誤りだし、文明と文化を取り違えているので日本語として如何なものか。
またマスコミに情報提供したり、市民講座で教えていたらしい「ヌナナワ姫は出雲の八千鉾神と結婚して連合国家を樹立して、北陸一帯から山形まで支配していた」という説は、学術的な根拠もないトンデモ説。
弥生時代に国家は存在せず、それほど広範囲な地域を支配していたなら卑弥呼に匹敵する権力者であるのに、糸魚川には大型墳丘墓も青銅器などの威信材の出土はなく、出雲勢力の進出が伺える四隅突出型墳丘墓の北限は富山市。
地域の歴史や文化を観光に利用するなら、Cool headとWarm heartを併せ持ち、ことによると1,700年近くも子々孫々と語り継がれてきた口碑を蔑ろにせず、考古学にも興味を持って欲しいものですと講演を終えたら、「いやぁ、知らなかった・・・」と何度もつぶやいて、ショックを隠せない人もいたようだ。
ウケさえすれば何でもアリという考え方は後から恥ずかしいことになるのデス。COOL!
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