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今の時代、上杉鷹山だったら何をするか?・・・理知と慈悲の政治家

2020年03月12日 07時51分56秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
なぜ学校で歴史を教えるのか?過去に学び同じ失敗を繰り返さないためだと思う。
 
暗闇の海で航路を失いつつある現代社会において、灯台のように一隅を照らす人に想いが至る。
 
江戸時代最大の餓死者を出した「天明の飢饉」で、甚大な被害を受けた東北諸藩の中で唯一、一人の餓死者、逃散者を出さなかったのが米沢藩(現在の山形県米沢市)だった。
米沢藩主、上杉鷹山は過去の飢饉を教訓とし、15万石の藩主自ら鍬を振るい粗食を率先垂範、春先からの天候不順を飢饉の前兆と見据え、謙信公以来の家伝の宝物を売り払い、借金までして米を備蓄、領内の酒造り餅菓作り米を禁止、救荒植物の絵解き本を領内に配布して飢饉に備え、いよいよ飢饉が顕在化すると備蓄米を惜しげもなく炊き出して領民を手厚く救済。
 
他藩は増税で民百姓を絞り、商人の米買い占めもあり甚大な被害を出したが、藩政の怠慢と批判を恐れ正確な餓死者数は隠蔽改ざん。
 
人肉を喰らい、この世の地獄とされた「天明の飢饉」は、少なくとも30万人以上の餓死者を出したと推定され、資料によって南部藩は逃散者も含めて推定50%の人口減とある。我が新潟でも長野の県境の「秋山郷」で二つの集落が絶えた。
 
この違いは領民ファーストの徳政を徹底した米沢藩に対して、他藩は幕府ファースト、特権階級ファーストで保身と既得権益を優先した藩政運営の結果・・・どこかで聞いたような話しだ。
 
鷹山の徳政を幕府は藩政の模範として称え、幕末には備中松山藩の家老、山田方谷の藩政改革に影響を与え、その弟子の長岡藩家老、河合継之助に引き継がれていくが、20世紀のアメリカ大統領まで尊敬する政治家と絶賛した。
 
なせば成る 成さねばならぬ何事も 成さぬは人のなさぬなりけり
 
自然災害の多発、コロナ騒動の今の時代、鷹山だったら何をするだろう?聞いてみたい。


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