縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

米の炊き方より水の確保が大事・・・能登半島沖地震ボランティア

2024年03月17日 08時05分44秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
誰でも被災者になり得るので、覚えておいてほしい。サバイバルスキルには多少の自信はある私でも、能登ボランティアにいくまで広域断水を甘くみていた。
震災後に新聞紙で炊飯できるTIGERの炊飯鍋が売れたらしいが、これが使えるのは水がある時、新聞紙があるうちだけなので、能登半島沖地震ではあまり出番がなかったと思う。(タイガー社のホームページより)
 
なぜなら最も復旧が早かったインフラが電気で、早い段階で電子レンジや電磁調理器、電気コンロはつかえたし、ガスもつかえたからだ。
 
しかし発災後2か月目でも断水が続く現状から、メシの炊き方を心配する以前に水の確保が問題だったが能登半島沖地震。
 
市街地の被災者は流し台に給水所で汲んできた水タンクを置いて、洗顔や洗い物をしていた。水の節約で無洗米やレンジでチンするご飯が主食。
ビニールハウスに自主避難してた米農家は、溜めた雨水を煮沸して生活用水にしていた。どちらも飲用と炊飯には支援物資のペットボトルの水を使用。
 
むろん選択肢は多いほどいいし、リスク分散はしておいた方がいいので、新聞紙で炊飯できる鍋もあるに越したことはない。
 
開放型石油ストーブやバーベキューコンロでも炊飯は可能だ。南方戦線の陸軍兵は、炊事の煙を出した途端に砲撃・爆撃されるから、塹壕の中でロウソクで炊飯していたくらいだから、知恵を絞れば炊飯の方法はたくさんある。
本当は水用のポリタンクは白。灯油用は東日本では赤いポリタン、西日本は青いポリタンが普及していて、間違えないように色分けしたいところだが、被災地では選択肢がないこともある。ちなみに緑色のポリタンは軽油用、鉄製はガソリン用。
 
発災直後から数日は人命救助とサバイバル期間。それが1週間後、1か月後、半年後と、求められるモノは変わっていくが、とにかく水が大事。
 
車庫の中に保管してあった満水状態のポリタンクの水は、3か月目でも異臭はしなかったし普通に飲めた。同じ条件に置いた箱入りペットボトルの水は、賞味期限を3年過ぎても飲めた。
 
もっともインドや東南アジアをバックパック旅をしてきた私は、井戸水や水道水を飲んでも下痢をしたことがなく、ベストセラー「ゴーゴー・インド」の蔵前仁一さんから驚かれたくらいだから、飲むなら煮沸してからにした方がいいと思うけどw
 
 
 

届かない被災者の声・・・能登半島地震沖ボランティア

2024年03月15日 09時30分01秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)

二回目の能登半島ボランティア行の朝、昨年に糸魚川市にIターンして農業をはじめた西連寺さんから米5キロ×12袋の寄付、永野歯科さんから口腔ケア用品の寄付を預かる。

茨木から移住してきた西連寺さんの嫁さんは高校美術部の後輩。研究職から畑ちがいの農業法人に就職して頑張っている。

手書きのメッセージは大事。

断水中の被災地では洗顔やハミガキも面倒になるが、高齢者の誤飲性肺炎を防ぐ口腔ケアはありがたい。

今回は珠洲市と輪島市の奥能登エリアで縁のある方のお手伝い。あまりにもの大規模な惨状に言葉もでなかったが、発災から二か月も経つのに道路も損壊家屋も手付かずであることに憤りを抱く。

遠くからみるとなんでもなさそうな千枚田はひび割れが酷いらしい。奥能登から能登島にかけての沿岸部は津波をかぶった田んぼも多いらしく、塩害で今年の営農は微妙そうだ。

家が全壊、港も使えなくなった輪島の海女さんの早瀬千春さん(左)はウエットスーツつくりの副業もしており、傾いた家の3階から工業用ミシンを出すお手伝いをした後、ビニールハウスに自主避難している人たちや輪島港を案内してもらった。

能登半島沖地震クラスの広域激甚災害となると、被災者はなにから手をつけていいかわからない茫然自失となる。男手が必要であっても稼がないと生活基盤が整わないから仕事を休む訳にはいかず、高齢者や女性だけでは家の片づけもままならないようだ。

ビニールハウスに避難するグループのリーダー各の保(ほう)さんと早瀬さんどちらもテレビや新聞の取材を受けていて、チグハグな行政支援の在り方など被災地の実情を訴えても、「ビニールハウスに自主避難する人々」「仕事を失った海女さん」の典型例としか報道されないことに憤っていた。

被災者の窮状、何に困っているのか、行政に何を求めているのかの声は届かない。被災者を激励するために空自のブルーインパルスを飛ばす予算があれば断水と道路の復旧を!大阪万博に2億円の便所をつくるよりも被災地に公衆浴場とトイレを!

次の選挙はぜったい自民党や維新の会は応援しないとよく耳にする。デモ行進するしかないのかも・・・。

 

 

#お手伝いJAPAN #被災地ボランティア #能登半島沖地震 #被災地の窮状 #届かない被災者の声

 


瞽女さと義の塩の物語をもつ米を被災地に運ぶ・・・能登半島沖地震ボランティア

2024年03月08日 07時00分33秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
昨夜、能登行きの食料の買い出しから戻ったら玄関に米がおいてあった。
お隣の「居酒屋ユメジ」さんご夫婦が、困っている人にあげてくださいと持ってきてくれたらしい。2キロ入り×8袋の寄付・・・アリガト(´;ω;`)
昭和レトロがコンセプトの「ユメジ」さんは安くて美味い人気店。ご主人が竹下夢二のファンだそうだ。オヤジの葬儀の時も親身になって助けてくれた。
店の外も中も昭和の匂いがプンプンする「ユメジ」さんの店を「ぬなかわヒスイ工房」と間違う人が多いらしい。趣味が合うのねw
 
 
たとえ米1合の寄付でも10人いれば1升、100人で1斗になる。あずかって手渡しますヨ。
 
まだ広域断水中だからレンジでチンするご飯や無洗米を食べている被災者が多いが、断水は3月いっぱいで復旧見込みだ。水道が使えるようになった最初の炊飯に「義援米」はいかが?とメッセージしたい。
 
かって越後は盲目の女旅芸人の瞽女(ゴゼ)が盛んな地域だった。角付け歌「こうといな」や「かわいがらんせ」を一節うたった報酬が、袋にいれてもらう茶碗一杯、二杯の米。
先頭は目が多少は見える瞽女さんで、左手をその背中にあてた三人組が多かったそうな。
 
いく先々で少しづつでもらって集めた米を町で換金してもらったそうだが、各地の米が混じった瞽女さの米は縁起がいいと高く買ってもらえた。
 
だからお金も米も物資も、色んな人から集めると縁起モノという物語をもつ。米どころ越後の、瞽女さと1合の布施米の物語に、上杉謙信の「義の塩」の物語もまぜて「義の米1合運動」といった感じで、能登とは浅からぬ縁のある地区の人に話したら、総会で議題にすると快諾してくれた。
 
米やお金のみならず、多くの人が「見捨ててない」という物語を被災地にもっていきたい。
 
 
 
 
 

被災者に厳しい行政支援と地震保険の実態・・・能登半島地震沖ボランティア・液状化の脅威

2024年03月07日 07時15分42秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
能登の被災地でよく耳にするのは、「火事は全焼、地震は全壊」という嘆きだ。半焼や半壊以下だと助成内容や下りる保険査定額が全然ちがうのだ。
 
家屋の損壊割合が最も低い「一部損壊(10%未満)半壊に至らない」と判定された被災者から、家にあがって見て欲しいと訴えられた。
とりあえずは7人家族で暮らせてはいても、液状化現象による不動沈下が目立ち、サッシは閉まらず床も柱も傾いていて、土台も縦に裂けていた。
土台がむき出しになっているのもヘンで、最初は化粧板かと思ったが土台そのものだった。この家が建てられた当時は確認申請なしが普通だったそうで、基礎も布基礎で四隅にコンクリート杭を打ち込んであったそうだが、たとえベタ基礎であっても広域液状化現象では耐えられなかったかも。
すぐ近くのマンホールは40㎝くらい飛び出ていた。
 
地盤改良をして建て直しが必要なレベルであっても、地震保険の査定員は「軽微な損傷」と査定したらしい。不服申し立てができるから、安易に泣き寝入りしないようにとしかアドバイスできず、無力感にさいなまれた。
被災地のいたるところで見られるのは地震当日に「噴水みたいに」と言われた液状化で噴出した砂。目の前の海岸の砂と同じ砂だ。
 
行政の損壊割合と保険査定は液状化被害は算定外というのも意外だったが、地震保険に加入しているから安心でない現実。
あちこちで傾く電柱の数々・・・昭和39年の「新潟地震」で問題となった液状化被害の教訓は活かされていない。
 
また家が全壊してホテルで二次避難している被災者は、3月中旬で退去しなければならない規則だそうだ。しかし仮設住宅の完成は4月中旬予定だから、その間はどこで暮らせというのか?仮設住宅に入居できても二年の期限付きとあっては、行政機関は自力で生活基盤が再建できない被災者を置き去りにしているとしか思えない。
「見捨てられた」という被災者の声もよく聞く。だから被災者は都会に移住する。そして過疎化は進む悪循環。
 
「復興五輪」と銘打った東京オリンピックは終わったが、東日本大震災の災害弱者の救済は打ち切られ、復興の既成事実化がされた現実。いっそ江戸時代の長屋暮らしの方が気楽に思えてくる。
 
 
 

ボランティア準備ヨシ!・・・能登半島沖地震ボランティア

2024年03月06日 06時48分54秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
週末の能登ボランティア準備中!
KTECK(笠原重機)の社長からトラロープとヘルメットの寄付有りヨシ!農業法人にも米の寄付を呼び掛けてある。
ボランティアを騙った詐欺や泥棒もいるらしいから、警戒心を持たれないようにどこの誰か一目でわかるようにヘルメットとビブスに住所と名前、ボランティアであることの明記ヨシ!
胸に名刺入れがあると自己紹介しやすく、ぬなかわヒスイ工房の名刺が切れかけていたので新しい名刺の裏に「災害ボランティアネットワーク御手伝いJAPAN」と入れた名刺をつくった。
断水してるからウエットテッシュとセットにした金属の箸とフォーク・スプーンを新調ヨシ!安眠用のアイマスクと耳栓の準備ヨシ!
 
被災地に行くと顔すらも洗えないのだが、水道のありがたみは長期的な広域断水を経験しないとわからないネ。寒いから温かい食べ物や飲み物をとコンビニに行っても、カップヌードルのお湯はなく、コーヒーも飲めない。
キャンプ用のガソリンストーブはもっていても、窓をしめきった真冬の車中泊ではガソリン臭くて安眠できないだろうから、どこでも入手できるカセットコンロのボンベがつかえるキャンプ用ガスストーブ(コンロ)注文ヨシ!
 
 
 

公的と一般ボランティア、支援金と義援金の違い・・・能登半島沖地震ボランティア・能登島編(その5)

2024年03月04日 07時13分32秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
被災地のボランティア不足は現場にボランティアの宿泊施設がないから整備するとの報道があるが、これはボランティアセンターが派遣する公的なボランティアのハナシ。
個人の一般ボランティアたちはコンビニ弁当を食いながら車中泊で頑張っていて、こういう人たちにも動きやすい便宜をはかってほしいものだ。またNPO法人各のボランティア団体はいち早く拠点をつくって活動している。
 
登山家の野口健さんが、ボランティアがテント泊する整備をしたとラジオで言っていたが、一般ボランティアもテント泊させてもらえるなら随分と楽になるし、情報交換の場になるから非常にいいこと。
 
車中泊やテント泊のハードルが高ければ、石川県ボランティアセンターに登録すれば、1泊2日の宿泊と食事の面倒をみてくれる制度があり、誰でも危険のない軽作業で貢献できる。
 
募金や物資の寄付で被災地支援する方法もあるが、覚えておいてほしいのは、支援金と義援金の違い。支援金は募金主体が用途の裁量ができ、義援金は被災者に渡るお金だ。
 
中越地震のころはこの違いが曖昧で、某団体が集めた義援金が使い切れないからと、コンパニオンを呼んだ慰労会に使ってしまい、あとから大問題になったそうだ。寄付の用途が気になるなら、全額が被災者に渡る義援金をえらべばいい。
 
最近、私のFacebook投稿をみた友人からガソリン代や高速代など活動費として、少なくない金額の寄付の申し入れがあった。この場合は支援金に分類されるので、私個人ではなく「お手伝いJAPAN」の口座を紹介した。
 
我々のような個人ボランティアが義援金を預かっても、誰にどれだけ渡すかが不公平になるので、支援金の方がありがたい。
能登島に置いてある給水タンクもそんな寄付金で買ったもの。ハイエースはチームリーダーの山崎一の私物。
能登島のエノメ多目的公民館の駐車場で車中泊をさせてもらっていたら、最初は遠巻きにみていた近所の人が夜になって温かい豚汁とビールを差し入れてくれた。ボランティア詐欺もあるから最初から諸手をあげて受け入れてくれるわけでもないので、受け入れてもらったことが嬉しい。
 
 
支援金の場合であっても、手弁当でボランティア活動をしている我々のようなグループは、間違いなく全額を被災者支援のために役立てるのでご安心くださいませ( ´艸`)
 
公的支援は被災者の実情に合っていない面も多々あるが、少しづつ体制は整いつつある。被災者から「見捨てられている」という声が出ているから、これは焦眉の急。
 
一般ボランティアでは大きなことはできないけど、行政や公的ボランティア支援が行き届かない部分の「一隅を照らす」ことを地道に取り組む。
 
マンパワーが結集できる公的ボランティア、専門知識と装備を持ち行政と橋渡しができるNPOボランティア、個々の被災者に寄り添い「一隅を照らす」一般ボランティアのどれも大事だから、上手に使える法整備をしてほしいもの。
 
 
 

JAPANは死なず!瓦礫から漆器を掘りだして売るプロジェクト開始・・・能登半島沖地震ボランティア・能登島編(その3)

2024年03月02日 07時21分14秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
能登島の全壊家屋から仏壇の搬出お手伝いをした、Kさん宅の瓦礫に大量の輪島漆器が混じっていた。
輪島漆器のルーツは6,500年前の縄文時代早期にある世界最古級の漆器。江戸時代の欧州ではJAPANが漆器の代名詞となり、そのなかで輪島漆器は別格扱いで取引された歴史がある。
 
また漆器は生き物と同じように優しく扱うから、食事作法もおのずから洗練され、器というモノから日本文化というモノガタリに昇華した工芸品ともいえる。器としての機能は100均製品と変わらないが、その日本的な情緒を育んできた漆器は日本文化でありJAPANそのものなのだ。
 
JAPANは死なず!よみがえれJAPAN!我々の世代で終わらせては日本文化の喪失になるから、瓦礫として処分されるにしのびない。そこでKさんに売ったらお金になるかもですよう!と提案したら、はじめは恥ずかしがっていたが10万円になったら乾燥機付き洗濯機が買えますぅ!20万円で売れたらエアコンも買えますぅ!と煽った結果、好きなようにと許可をもらったので、瓦礫から漆器を掘りだして売るプロジェクト開始。
断水しているから雨水を溜めて泥だらけの漆器を洗った。海から強風が吹きつけて寒かったが、これで5,000円!これで10,000円と嬉々として掘りだしては洗う作業を繰り返す。
最終的には段ボール7箱分くらいになり、車に満載して帰宅。Facebookで紹介したら大バズりでうれしい悲鳴!
持ち帰った大量の漆器を風呂場に持ち込みお湯洗いをする。
シャワーで泥を流し、ぬるま湯のなかで豚毛ハブラシで高台の隅の汚れを落としてから、木綿布で全体を優しく手洗い。水気をガーゼタオルでふき取って完成となるが、洗いおわった漆器が座敷を占領した( ´艸`)
 
明治~昭和初期につくられ、2か月近くも風雨に晒されていたとはいえ、洗ったら輝きをとりもどして新品と見まごうほど綺麗なのは流石の輪島漆器。
 
高台の底にコと書いてあるのはKさんの屋号で、集落の冠婚葬祭で貸し借りした時に返却してもらうための風習。
 
屋号が書かれていない漆器は塗りムラも少し観察できるので、無理算段して数だけ揃えた明治の初代が誂えたもの?
茶色い透き漆でコとあるのは、ちょっと余裕ができた大正期?
金文字で堂々とコとあるのは経済的に余裕ができた昭和期?
延々とつづいた作業のなかで、息抜きに漆器から被災者のファミリーヒストリーを推理する。
 
縄文以来の漆器のモノガタリ、被災者一家のモノガタリ、震災の瓦礫からよみがえったモノガタリ・・・モノ言わぬこの漆器たちは器に非ず、モノガタリなのだ。今日からセットを組合せてカタログつくり。
 
このプロジェクトが成功したら他の被災者も続いてくれるかも知れない。多少なら傷付いたり塗が剥げている漆器であっても安く買ってもらい、補修を「輪島塗商工業協同組合」に依頼すれば被災地にお金がまわるし、壊滅的な被害をうけた輪島塗産業に多少なりとも復興のお手伝いになるのだ。
 
 
 

行政よりはやかった民間人のトイレ・断水の支援・・・能登半島地震災害ボランティア・(能登島編3)

2024年03月01日 07時38分45秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
地震発生で水洗トイレが使えなくなり、檀家のためにと動いたのは能登島エノメ地区の古刹、浄尊寺の若き住職。
住職の趣味は車で、都内の車仲間に2台のトイレカーを借りに行ったそうだ。ちなみにエノメ地区の給水タンクの設置も、わたしの所属する災害ボランティアネットワーク「お手伝いJAPAN」の方が行政より早く、組織や規則に縛られない有意のボランティアが動きやすい法整備が求められる。
トイレカーを自治体ごとに1台は用意して、災害時に相互に融通しあう自治体ネットワークが広がりつつあるようだ。
 
能登島の温泉では地区ごとに時間指定をした入浴サービスを開始したが、指定時間に入浴できない、慌ただしいと不評。
 
整理券発行の改善策がとられたが、自家用車のない被災者や昼間は働いている被災者は整理券がもらえず入浴できないのに、自家用車がありリタイヤした高齢の被災者が毎日入浴しているのは不公平だと不評。曜日指定で地区毎の入浴支援にすれば不公平はなさそうなのだが、なんでそうしないのか謎だ。ただし3月から島民限定で毎日入浴できるように改善されるそうだ。
大の方はちょっと狭く、汚物タンク容量も小さいので、予算があれば2サイズでかい車の方がいい。下水管が生きていれば汚物を流すことができ、住職は集会所の下水管の蓋に横付けして、頃合いをみて排出していた。
小さいながらも手洗いもある。
 
輪島市では一次避難所の被災者が入浴設備のある二次避難所に移ったからと海自の入浴支援サービスは終了したが、よんどころない理由からビニールハウスや傾いた家で自主避難している被災者の入浴支援は見捨てられた。
 
その一方で防衛大臣がブルーインパルスを飛ばして被災者を激励と、なんの実利性もない支援策を答弁して、被災者の神経を逆なでしている。
 
現場の行政職員もまた被災者でもがんばっているが、国政・県政・市政の支援策は実状にそぐわないものも多く、次の選挙では絶対に自民党は投票しないという声はよく聞く。