昨日も、横浜から星川駅までの間を、
ヨハン・シュトラウスの曲を聴きながら歩く。
1825年生まれの彼のワルツやポルカは、
何も考えずに歩くときに、いいBGMになる。
彼の生きた時代は、19世紀という激動の時代であり、
その変動と彼の生き方・作品は密接に関係している。
1848年の三月革命の時、若い彼は反体制側に立ち、
保守的な父親と対立したが、メッテルニヒ体制が崩壊し、
進展した革命が、皇帝側の巻き返しにより鎮圧され、
保守反動に転じると、彼も皇帝に気に入られるよう、
フランツ・ヨーゼフ皇帝のために行進曲を作曲した。
1866年の普墺戦争での敗北以降、オーストリア国内は、
政治・経済的に重苦しい雰囲気が漂っていたが、
それを吹き飛ばし、人々の心を癒したのが、
ヨハン・シュトラウスの作品であった。
ここでは聴いた曲の中の三曲をとりあげておく。
技術革新の時代を反映したタイトル作品として
ワルツ「モーター」があるが、描写音楽として聴くと今ひとつ。
でも、これはモーターのようにエネルギッシュで、
推進力がある曲であるということなのだろう。
初演の時には、あまり注目されなかったようだ。
国内政治の変動を感じさせる作品としては、
有名なポルカ「ハンガリー万歳!」がある。
三月革命の時にハンガリーは独立を要求し、
その革命挫折後もその要求は強まっていったが、
オーストリアは、1868年自治権を認め、
オーストリア・ハンガリー二重帝国となった。
いわゆるアウグスライヒ(妥協の意味)体制である。
その翌年に作られたのがこの作品で、
「ラコッツィ行進曲」を引用したテンポのいい、軽快な曲である。
国際政治の動きを反映した曲としては、
1869年に初演された「エジプト行進曲」がある。
この年はスエズ運河が開通した年でもある。
その運河開通のセレモニーで使われたのがこの曲である。
(ヴェルディの「アイーダ」はこの時に間に合わなかった。)
初演時は「チェルケス行進曲」という題名であったが、
(チェルケスとはコーカサスに住む少数民族)
最終的に原題の「エジプト行進曲」になったようだ。
少し、エキゾティックなその行進曲はお気に入りの曲である。
中間部に歌声が入るのがまたおもしろくていい。
ヨハン・シュトラウスの曲を聴きながら歩く。
1825年生まれの彼のワルツやポルカは、
何も考えずに歩くときに、いいBGMになる。
彼の生きた時代は、19世紀という激動の時代であり、
その変動と彼の生き方・作品は密接に関係している。
1848年の三月革命の時、若い彼は反体制側に立ち、
保守的な父親と対立したが、メッテルニヒ体制が崩壊し、
進展した革命が、皇帝側の巻き返しにより鎮圧され、
保守反動に転じると、彼も皇帝に気に入られるよう、
フランツ・ヨーゼフ皇帝のために行進曲を作曲した。
1866年の普墺戦争での敗北以降、オーストリア国内は、
政治・経済的に重苦しい雰囲気が漂っていたが、
それを吹き飛ばし、人々の心を癒したのが、
ヨハン・シュトラウスの作品であった。
ここでは聴いた曲の中の三曲をとりあげておく。
技術革新の時代を反映したタイトル作品として
ワルツ「モーター」があるが、描写音楽として聴くと今ひとつ。
でも、これはモーターのようにエネルギッシュで、
推進力がある曲であるということなのだろう。
初演の時には、あまり注目されなかったようだ。
国内政治の変動を感じさせる作品としては、
有名なポルカ「ハンガリー万歳!」がある。
三月革命の時にハンガリーは独立を要求し、
その革命挫折後もその要求は強まっていったが、
オーストリアは、1868年自治権を認め、
オーストリア・ハンガリー二重帝国となった。
いわゆるアウグスライヒ(妥協の意味)体制である。
その翌年に作られたのがこの作品で、
「ラコッツィ行進曲」を引用したテンポのいい、軽快な曲である。
国際政治の動きを反映した曲としては、
1869年に初演された「エジプト行進曲」がある。
この年はスエズ運河が開通した年でもある。
その運河開通のセレモニーで使われたのがこの曲である。
(ヴェルディの「アイーダ」はこの時に間に合わなかった。)
初演時は「チェルケス行進曲」という題名であったが、
(チェルケスとはコーカサスに住む少数民族)
最終的に原題の「エジプト行進曲」になったようだ。
少し、エキゾティックなその行進曲はお気に入りの曲である。
中間部に歌声が入るのがまたおもしろくていい。