昨日も体調は回復せず、家に戻ってからは休養。
歩くのも一苦労なので、ウォーキングどころではない。
そうして考えると、ウォーキングができるというのは、
健康である証拠であるし、いいことなのだ。
ウォーキングもしていないのに今回の病気で、
体重が2キロ近くまでさらに減ってしまったので、
これでは体にいいことはない。
今日も一日休養し、体調回復につとめるしかない。
昨日家で休養するかたわら聴いた曲は、
1878年生まれの作曲家シュレーカーの作品である。
歌劇の作曲家として有名になり、指揮者としても活躍した。
1920年にはベルリン高等音楽院の院長となり、
クシェネクやハーバ、ゴルドシュミットなどの作曲家を育て、
ロジンスキーやホーレンシュタインなどの指揮者も育てている。
昨日聴いたのは「グランド・オペラのための前奏曲」である。
この作品は彼の晩年の作品で1933年に書かれている。
このころの彼はナチスの台頭により、
ベルリン高等音楽院などの職を次々と失い、
1933年には脳卒中で倒れ、悲惨な状況に陥っている。
「グランド・オペラのための前奏曲」は、
冒頭に舞台裏でホルンが鳴り響いてから、
打楽器の刻むリズムにのって
クラリネットが神秘的な旋律を吹く。
その後旋律はヴァイオリンが受け継いでいく。
そしてもう一つ別の下降する旋律が金管楽器に現れ、
別の旋律がフルートによって提示される。
そして、全合奏で登場する旋律は、
リヒャルト・シュトラウスからの影響を思わせる。
音楽は映画音楽で次々場面が変わっていくように、
変化していくが、様々な旋律が登場しては消え、
また忘れ去られたある時に突然再び登場するなどする。
この曲、書かれた年の彼の境遇を考えると、
彼のたどってきた人生とだぶって考えてもしまう。
最後に冒頭のホルンが回想的に響くあたりは、
何となく、リヒャルト・シュトラウスの
「英雄の生涯」をも思わせてもしまい、
終わり方はマーラーのような終わり方でもある。
やはりシュレーカーはしっかり後期ロマン派の流れを
きちっと受けているだなあとも思ってしまうのである。
歩くのも一苦労なので、ウォーキングどころではない。
そうして考えると、ウォーキングができるというのは、
健康である証拠であるし、いいことなのだ。
ウォーキングもしていないのに今回の病気で、
体重が2キロ近くまでさらに減ってしまったので、
これでは体にいいことはない。
今日も一日休養し、体調回復につとめるしかない。
昨日家で休養するかたわら聴いた曲は、
1878年生まれの作曲家シュレーカーの作品である。
歌劇の作曲家として有名になり、指揮者としても活躍した。
1920年にはベルリン高等音楽院の院長となり、
クシェネクやハーバ、ゴルドシュミットなどの作曲家を育て、
ロジンスキーやホーレンシュタインなどの指揮者も育てている。
昨日聴いたのは「グランド・オペラのための前奏曲」である。
この作品は彼の晩年の作品で1933年に書かれている。
このころの彼はナチスの台頭により、
ベルリン高等音楽院などの職を次々と失い、
1933年には脳卒中で倒れ、悲惨な状況に陥っている。
「グランド・オペラのための前奏曲」は、
冒頭に舞台裏でホルンが鳴り響いてから、
打楽器の刻むリズムにのって
クラリネットが神秘的な旋律を吹く。
その後旋律はヴァイオリンが受け継いでいく。
そしてもう一つ別の下降する旋律が金管楽器に現れ、
別の旋律がフルートによって提示される。
そして、全合奏で登場する旋律は、
リヒャルト・シュトラウスからの影響を思わせる。
音楽は映画音楽で次々場面が変わっていくように、
変化していくが、様々な旋律が登場しては消え、
また忘れ去られたある時に突然再び登場するなどする。
この曲、書かれた年の彼の境遇を考えると、
彼のたどってきた人生とだぶって考えてもしまう。
最後に冒頭のホルンが回想的に響くあたりは、
何となく、リヒャルト・シュトラウスの
「英雄の生涯」をも思わせてもしまい、
終わり方はマーラーのような終わり方でもある。
やはりシュレーカーはしっかり後期ロマン派の流れを
きちっと受けているだなあとも思ってしまうのである。