昨日は、短い距離だが鶴ヶ峰駅から二俣川まで歩く。
途中聴いた曲は1950年生まれのスメラの作品。
室内オーケストラのための音楽である。
エストニアの首都、タリンに生まれた彼は、
その後音楽学校で作曲を学び、その後はエストニア放送の
レコーディング・プロデューサーとして5年間働いた。
というわけで、今日から北欧・バルト諸国の管弦楽曲を
シリーズということでいくつか紹介していきたい。
ちなみにこの曲のCDの演奏はマルメ交響楽団で、
指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。
ヤルヴィのCDは、私が所有する中でもこのCDと
ベートーヴェンの交響曲第3番・第8番だけである。
(そのうち交響曲第4番・第7番も買おうっと!)
「室内オーケストラのための音楽」は、1977年作曲の、
フルート、フレンチ・ホルン、打楽器と弦楽器のための曲。
冒頭からの第一部の荒々しい原始的な曲の感じは、
ストラヴィンスキーの影響を受けているのだろうか。
バーンスタインの音楽を聴いている感じも受ける。
とにかく一回聴いたら印象には残る。
第二部のカンタービレは静かな導入のあと
フルートが登場し、独奏楽器として活躍し、
ショスタコーヴィチの音楽のようでもある。
途中フルートの吹く旋律が、
舞台裏で吹くフルートによって繰り返され、
こだまのような効果を生み出している。
これはそのあと弦楽器が弾く旋律を
フルートが繰り返す新たな展開へと進む。
静寂の音楽は、その後弦楽器を中心に展開されるが、
徐々に荒々しさを持ちつつ、再び静かな音楽になると、
フルートによる最初の主題を再現され、
舞台裏で吹くフルートの繰り返しによるエコーの効果も
再現され、第一部の冒頭の荒々しい部分が登場し終わる。
もう一つの「記憶の中に」という作品は1972年の作品で、
彼の最初に書いた交響的作品にあたる。
激しい導入の音楽から曲はすぐに静かな音楽に変わるが、
弦楽器だけによる繰り返す主題の音楽は徐々に音量を増す。
打楽器がラテン音楽的なリズムを刻むかと思うと、
ショスタコーヴィチの音楽を持ったり、
さりとて、子どもの音楽のような簡明な曲になったり、
かと思うと金管楽器のファンファーレが登場し、
ルネサンス音楽のような旋律を奏でる。
最後は静かに終わるのだが、難解な曲ではないが、
さまざまな音楽の要素が、入り込んでいるようだ。
ところで、指揮者パーヴォ・ヤルヴィは、
1962年エストニアのタリンで生まれている。
したがって、スメラとは同じ場所で生まれ、
音楽学校で学んでいるが、年は12歳くらい違う。
ヤルヴィ家はその後1980年にアメリカに移住し、
彼はジュリアードで音楽の勉強を続けたようだ。
同郷の作曲家の作品を取り上げた彼の演奏は、やはりいい。
途中聴いた曲は1950年生まれのスメラの作品。
室内オーケストラのための音楽である。
エストニアの首都、タリンに生まれた彼は、
その後音楽学校で作曲を学び、その後はエストニア放送の
レコーディング・プロデューサーとして5年間働いた。
というわけで、今日から北欧・バルト諸国の管弦楽曲を
シリーズということでいくつか紹介していきたい。
ちなみにこの曲のCDの演奏はマルメ交響楽団で、
指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。
ヤルヴィのCDは、私が所有する中でもこのCDと
ベートーヴェンの交響曲第3番・第8番だけである。
(そのうち交響曲第4番・第7番も買おうっと!)
「室内オーケストラのための音楽」は、1977年作曲の、
フルート、フレンチ・ホルン、打楽器と弦楽器のための曲。
冒頭からの第一部の荒々しい原始的な曲の感じは、
ストラヴィンスキーの影響を受けているのだろうか。
バーンスタインの音楽を聴いている感じも受ける。
とにかく一回聴いたら印象には残る。
第二部のカンタービレは静かな導入のあと
フルートが登場し、独奏楽器として活躍し、
ショスタコーヴィチの音楽のようでもある。
途中フルートの吹く旋律が、
舞台裏で吹くフルートによって繰り返され、
こだまのような効果を生み出している。
これはそのあと弦楽器が弾く旋律を
フルートが繰り返す新たな展開へと進む。
静寂の音楽は、その後弦楽器を中心に展開されるが、
徐々に荒々しさを持ちつつ、再び静かな音楽になると、
フルートによる最初の主題を再現され、
舞台裏で吹くフルートの繰り返しによるエコーの効果も
再現され、第一部の冒頭の荒々しい部分が登場し終わる。
もう一つの「記憶の中に」という作品は1972年の作品で、
彼の最初に書いた交響的作品にあたる。
激しい導入の音楽から曲はすぐに静かな音楽に変わるが、
弦楽器だけによる繰り返す主題の音楽は徐々に音量を増す。
打楽器がラテン音楽的なリズムを刻むかと思うと、
ショスタコーヴィチの音楽を持ったり、
さりとて、子どもの音楽のような簡明な曲になったり、
かと思うと金管楽器のファンファーレが登場し、
ルネサンス音楽のような旋律を奏でる。
最後は静かに終わるのだが、難解な曲ではないが、
さまざまな音楽の要素が、入り込んでいるようだ。
ところで、指揮者パーヴォ・ヤルヴィは、
1962年エストニアのタリンで生まれている。
したがって、スメラとは同じ場所で生まれ、
音楽学校で学んでいるが、年は12歳くらい違う。
ヤルヴィ家はその後1980年にアメリカに移住し、
彼はジュリアードで音楽の勉強を続けたようだ。
同郷の作曲家の作品を取り上げた彼の演奏は、やはりいい。