紫波町の桜の紅葉と五郎沼、白鳥、鴨
2008年11月12日






2008年11月12日(水)、岩手県紫波郡紫波町南日詰字箱清水にある
五郎沼、薬師神社などに行ってきました。五郎沼の周りに植えられた
桜の葉が色鮮やかに紅葉していました。
五郎沼のすぐ脇を国道4号線が走っていて、ひっきりなしに自動車が
通るのに、沼の反対側は静かで、南下してきた白鳥や鴨が羽根を休め
ていました。









五郎沼について奥州藤原氏の時代、紫波地域は藤原氏の支族である樋爪氏
が支配していたが、源頼朝が紫波に到着した時には、居城である樋爪館
を焼いて北に逃走してしまっていたという。しかし、頼朝軍に捕らえら
れて鎌倉に連行された上、各地に配流されたとのこと。
この沼は、藤原氏の初代・藤原清衡の子で樋爪氏の始祖となった清綱の
子・樋爪五郎季衡(すえひら)が作った池とか、あるいは幼時に泳いだ
池との言い伝えがあり、「五郎沼」と呼ばれる。
樋爪氏は、志波郡一帯を治め、赤沢川・佐比内川・滝名川流域の砂金採
取と馬産、塩の運搬などで、藤原氏を支えていたと考えられている。






2008年11月12日






2008年11月12日(水)、岩手県紫波郡紫波町南日詰字箱清水にある
五郎沼、薬師神社などに行ってきました。五郎沼の周りに植えられた
桜の葉が色鮮やかに紅葉していました。
五郎沼のすぐ脇を国道4号線が走っていて、ひっきりなしに自動車が
通るのに、沼の反対側は静かで、南下してきた白鳥や鴨が羽根を休め
ていました。









五郎沼について奥州藤原氏の時代、紫波地域は藤原氏の支族である樋爪氏
が支配していたが、源頼朝が紫波に到着した時には、居城である樋爪館
を焼いて北に逃走してしまっていたという。しかし、頼朝軍に捕らえら
れて鎌倉に連行された上、各地に配流されたとのこと。
この沼は、藤原氏の初代・藤原清衡の子で樋爪氏の始祖となった清綱の
子・樋爪五郎季衡(すえひら)が作った池とか、あるいは幼時に泳いだ
池との言い伝えがあり、「五郎沼」と呼ばれる。
樋爪氏は、志波郡一帯を治め、赤沢川・佐比内川・滝名川流域の砂金採
取と馬産、塩の運搬などで、藤原氏を支えていたと考えられている。






