peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

後三年合戦の地を訪ねて(2)

2009年09月07日 | 植物図鑑

2009年9月6日(日)、財団法人 奥州市文化振興財団・奥州市埋蔵文化財調査センター主催の所長日曜講座・特別企画バスツアー「後三年合戦の地を訪ねて」(2)が行われました。妻と私を含めて参加者42名。秋田県横手市雄物川町の中央公園でトイレ休憩の後、貸切バスで雄物川郷土資料館に移動。P1620633

雄物川郷土資料館の建物の裏側(中央公園側)にある後三年合戦の絵(戎谷南山筆「改訂補遺奥州後三年合戦絵詞」より)

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雄物川郷土資料館は、中央公園のすぐそばにあり、歩いても2~3分の所なれど、貸切バスで移動。9:50~10:20見学。

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雄物川郷土資料館(横手市雄物川町沼館字高畑366):歴史・考古・美術・民俗・自然の各分野にわたって展示を行っている資料館であり、横手市内の資料館施設の中心施設に位置づけられています。

常設展示室:旧石器時代~現代に至るまでの歴史に付いて、時代別に展示しています。市内遺跡から出土した土器や石器のほか、歴史資料、美術工芸資料、鳥獣類の剥製なども展示しています。現在は廃線となっている横荘線に関する資料も展示しています。(以上、ホームページより)

http://www.city.yokote.lg.jp/kakuka/bunkazaihogoka/omonogawakyodosiryokan.jsp

ホームページには、「午前9:00~午後4:30」と記載されている開館時間が、なぜか「午前8:30から午後5時まで(3月~10月)」となっている。休館日:月曜日(祝日と重なる場合はその翌日)入館料:大人100円。

後三年合戦に関する掲示(説明)があり、「後三年合戦絵詞」も展示されていました。手に取って見ている人もいました。我が家にある中央公論社発行の日本絵巻大成第15巻「後三年合戦絵詞」(昭和52年11月発行)と同じ物と思ったので見ませんでしたが、我が家のものは、古本屋からインターネットで購入したもので、定価9800円のものが送料込で3,000円でした。

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後三年の合戦について~横手市教育委員会の資料より

出羽の清原氏が朝廷に対して反乱を企てたので、朝廷は源義家を遣わして、これを討った戦いとされることが多いようです。まさしく「後三年の役(いき)」で朝敵の清原氏を源氏が討ったという見方が地元でも大方の考え方でしょう。佐竹氏が入部した際、先祖である新羅三郎義光が「後三年の合戦」と関係があるので八幡神社を篤く崇拝したことから、この考え方も強いように思われます。

 しかし、実際には朝廷側には清原氏が反乱を企てたとの認識はなく、この戦いが決着した後の朝廷の態度も、源義家は私戦を行ったのであるから論功行賞の必要はないというものであり、源義家は陸奥守(むつのかみ)の職を解任されています。「後三年の合戦」とは、もともとは清原氏一族の内部分裂に端を発して、相互に戦いを交えている時に、陸奥守(むつのかみ)として赴任してきた源義家が途中から介入し、分裂していた清原氏の一方の側に加担し、他方の側を滅亡させた事件といえます。

 それでは「後三年の合戦」にはどのような歴史的意義があると考えられるでしょうか。

ひとつは、源義家を中心とする源氏の発展にとって、「後三年の合戦」は「前九年の合戦」以上に意味があり、日本史にとって中世武家社会形成の要因となったことです。

<P>もうひとつは、「後三年の合戦」で勝利者の側にまわることができた清原氏の一方の側の中心人物が、平泉藤原氏の初代清衡であったことです。朝廷は源義家の行動を私戦とみなしたので、東北地方に源氏の拠点を築くことはできませんでした。一方、清衡は清原氏が有していた力を発展的に継承しました。

横手で展開した「後三年の合戦」及び清原氏の存在なくしては、平泉藤原氏の時代はなかったということがいえるでしょう。


ナツメ(棗・夏芽) / 後三年合戦の地を訪ねて(1)

2009年09月07日 | 植物図鑑

秋田県横手市雄物川町  2009年9月6日(日)

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2009年9月6日(日)、財団法人奥州市文化振興財団 奥州市埋蔵文化財調査センター主催の所長日曜講座 特別企画のバスツアー「後三年合戦の地を訪ねて」に妻と共に参加しました。参加者は男性の老人がほとんどで、女性は世話役の若い女性2人を含めても5~6人だけ。埋蔵文化財調査センターを予定通り8:00に出発、東北自動車道の水沢ICから入り、秋田自動車道の横手ICでおり、横手市雄物川町沼館にある中央公園でトイレ休憩(9:20~9:50)する。

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古民家村内にある木戸五郎兵衛神社

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なぜか30分も時間があったので隣接している民家苑木戸五郎兵衛村を散策しました。神社の屋根に似た屋根をもつ旧近野家(約300年前の江戸時代中期の木造平屋・曲屋、39.7坪)や旧黒石家、旧佐藤家、旧寺田家などを見ました。寺田家と思われる古民家の前に植えられたナツメ(棗)が実を沢山付けていました。

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 ナツメ(棗) クロウメモドキ科 ナツメ属  Zizyphus jujuba var.inermis

アフリカ、中国北部原産の落葉小高木で、日本には平安時代に渡来したとのことで、万葉集にも詠まれている。中国では重要な果樹の一つだが、日本では果樹としては普及しなかった。高さは普通3~5m、大きいものは10mにもなる。葉は互生し、長さ2~5㎝の楕円形または卵状楕円形で光沢があり、3本の脈が目立つ。縁には浅い鈍鋸歯がある。

6月頃、葉腋に黄緑色で5~6㎜ほどの小さな花を数個ずつ開く。花弁、雄しべ、萼片は共に5個。雌しべは1個。花弁は萼片より小形。果実は長さ2~3㎝の楕円形で、秋に黄褐色~暗赤色に熟す。生で食べたり、乾燥して菓子用にするほか、薬用にも利用される。和名の夏芽は芽が出るのが初夏ということに由来する。中国名は「棗」。

母種のサネブトナツメには托葉の変化した刺が多い。