peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

ペンタス / クササンタンカ(草山丹花)

2009年09月09日 | 植物図鑑

秋田県横手市「秋田ふるさと村」 2009年9月6日(日)

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2009年9月6日(日)、奥州市埋蔵文化財調査センター主催の所長日曜講座 特別企画 バスツアー「後三年合戦の地を訪ねて」に参加し、昼食のために訪れた「秋田ふるさと村」(横手市赤坂字富ケ沢62-46)のお祭り広場に、大鉢に群植されたペンタス/クササンタンカ(草山丹花)が花を沢山咲かせていました。

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ペンタス・”スターダスト レッド”

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ペンタス・”ニュールック”

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ペンタス / クササンタンカ(草山丹花) アカネ科 ペンタス属 Pentas

熱帯アフリカ、マダガスカル、アラビアに30~50種ほど分布する。

ペンタス・ランケオラタ Pentas lanceolataは、熱帯アフリカ東部~アラビア半島原産の非耐寒性多年草で、草丈は30~130㎝で大株になると株元は木質化する。普通は春播き一年草として育てられる。草本なのにサンタンカ属Ixoraのサンタンカ(山丹花)に似た花を咲かせることからクササンタンカ(草山丹花)の和名がある。英名は、小さな星形の花を沢山つけることからエジプシャン・スターフラワー(エジプトの星の花)という。

主に栽培されるランケオラタは株全体に短い毛があり、葉は楕円形、披針形で光沢がある。茎の先の散房花序に直径1㎝前後の星形の花を30~40輪つけて、次々に開いて半球状になる。花は長い筒をもち花冠は5裂する。花色は紅、桃、白、ラベンダー色、赤や桃色地に白覆輪など。5~10月頃まで長く咲き続けるので人気が高い。熱帯地では庭園に普通に栽培されるが、寒地では切花や鉢物として温室で栽培される。

多くの交配品種が育成栽培されており、園芸品種スターダスト・レッドやニュー・ルックcv.New Lookなどがある。矮性、極矮性の園芸品種もある。

[栽培]日光を好むので日当たりと風通しのよい戸外に置く。鉢土の過湿を嫌うので表面が乾いてから水やりする。日照不足だと花つきが悪くなるので、日当たりのよい場所で育てるが、夏は強い西日を遮光する。冬は室内の窓辺に置いてガラス越しの日に当て、乾燥気味に保つ。5~6℃で越冬する。5月に地上部を切り戻して植えかえる。繁殖は実生または挿木。


サルビア・ファリナセア / ブルーサルビア

2009年09月09日 | 植物図鑑

秋田県横手市「秋田ふるさと村」  2009年9月6日(日)

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奥州市埋蔵文化財調査センター主催の所長日曜講座 特別企画 バスツアー「後三年合戦の地を訪ねて」に参加し、昼食のために訪れた「秋田ふるさと村」(横手市赤坂富ケ沢62-46)のドーム劇場前のお祭り広場の花壇に植えられたブルーサルビア/サルビア・ファリナセアが沢山花を咲かせていました。(12:30~13:30頃)

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サルビア・ファリナセア/ブルーサルビア シソ科 サルビア(アキギリ)属 Salvia farinacea

北アメリカ南部のテキサスからメキシコ原産の多年草だが、一般には春に種子播きして、一年草として育てられる。草丈は50㎝ほどになり、茎は四角形でよく枝分かれし、長さ3.5㎝ほどの長楕円形または細長い披針形の葉を対生する。葉先は細く尖る。夏から秋にかけて約20㎝ほどの花穂に、青紫色の小さな唇形花を10~16個ほど輪状につける。花穂の軸も同じ色で、長い間青い色が残る。メアリー・セージmealy sage、通称ブルーサルビアともいう。

代表的な園芸品種に、花色が白で倒心臓形の下唇が中裂するアルバ cv.Alba、ややコンパクトな草姿で花色が濃いブルーのブルー・ベッダー cv.Blue Bedder、株元からの分枝性が強く花色が強烈な深い青のビクトリア cv.Victoria、それにビクトリア・ホワイト cv.Victoria Whiteなどがある。[栽培]繁殖は種子。[花期]夏から秋。


サルビア・コッキネア / 後三年合戦の地を訪ねて(6)

2009年09月09日 | 植物図鑑

秋田県横手市赤坂・秋田ふるさと村  2009年9月6日(日)

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奥州市埋蔵文化財調査センター主催の所長日曜講座 特別企画 バスツアー「後三年合戦の地を訪ねて」で、昼食及び休憩(自由時間)のため訪れた秋田ふるさと村(横手市赤坂字富ケ沢62-46)の「お祭り広場」には、いろいろな植物が植えられていましたが、サルビア・コッキネアも沢山咲いていました。

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 シソ科 サルビア(アキギリ)属 Salvia :サルビアとセージは同じ仲間で、多くは熱帯から亜熱帯に分布し、源種だけでも900種以上あるといわれている。わが国にも10種3変種が分布している。宿根性の種が多いが、ときに一、二年草から木本性低木になるものまである。日本では、熱帯原産の種類は一年草として、温帯原産のハーブなどは多年草から一部木質化して低木となるものまで、バリエーション豊かに育てられている。

茎は直立もしくは斜上し、縦線と毛耳がある。葉は全縁、歯牙縁、または羽状全裂し、花苞葉は苞に変わることが多い。花は両性唇形花で群生し、穂状、総状、円錐花序をなすが、まれに腋生する。萼は卵形、円筒形、釣鐘状で2裂し、上唇は全縁または3歯をもち、下唇は2唇裂する。花筒は萼に対して超出または内在し、縁辺は2唇裂する。雄ずいは花筒の喉部に着生し、完全雄ずいは2。痕跡雄ずいは花粉がなく、バネの役目をして、昆虫の運んできた花粉を受粉させる仕組みをしている

サルビア・コッキネア(コクネシア)Salvia coccinea(=pseudococcinea)

熱帯南アメリカ原産の一年草。草丈1m、分岐性が強く、葉は長さ6㎝。主な品種は2色咲きで、萼が上唇白色で、下唇がピンクのビアカラーcv.Bicolor、花冠が白色のラクテアcv.Lactea、矮性のナナcv.Nana、分岐性強く矮性のナナ・コンパクタcv.Mana Compacta、赤紫色のスプレンデンスcv.splendens、花色がスカーレットのロブストcv.Robustなど。[栽培]繁殖は種子。[花期]夏。


後三年合戦の地を訪ねて(5)~秋田ふるさと村

2009年09月09日 | 植物図鑑

秋田県横手市赤坂・秋田ふるさと村    2009年9月6日(日)

2009年9月6日(日)、奥州市埋蔵文化財調査センター主催の所長日曜講座 特別企画 バスツアー「後三年合戦の地を訪ねて」に参加して、秋田県横手市に行ってきました。雄物川郷土資料館~沼柵跡~大鳥井柵跡を見た後、昼食のため「秋田ふるさと村」へ。(12:15~13:40)

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秋田ふるさと村(kamakuland)は、秋田県横手市赤坂字富ケ沢62-46にあり、広大な敷地内には秋田県立近代美術館やワンダーキャッスル、工芸工房、工芸展示館、星空探検館スペーシア、ふるさと市場、お食事処ふるさと料理館などがあります。

お食事処・ふるさと料理館の2階にある郷土料理「ばっきゃ」の階段を登りながら、”ここにもわらび劇場がある「たざわこ芸術村」にあるお食事処と同じ名前の店があるよ”と思っていたら、同じ店の支店でした。稲庭うどん付きの定食を食べ終わるとすぐ「お祭り広場」にある花の写真を撮って歩きました。サルビア・コッキネアやブルーサルビアなどが咲いていました。

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前方の空色屋根の建物がお食事処・ふるさと料理館

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隣接して建つ秋田県立近代美術館。野外には「彫刻の丘」や「彫刻の小道」があり、石刻彫刻などが展示してあります。

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芝生がきれいなお祭り広場

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ドーム劇場:劇場前にあるお祭り広場(芝生)には、沢山の親子連れが座っていました。近くの階段下には、広い村内をぐるり一周(15分)する「チューチュートレイン発着所」があり、列ができていました。

後三年合戦とは~奥州市埋蔵文化財調査センターの資料から

「後三年合戦」は、陸奥・出羽に勢力を誇った清原氏の内紛に、陸奥守(むつのかみ)源義家が介入して起こった史上に有名な事件。本宗家(ほんそうけ)真衡(さねひら)とその養子成衡(なりひら)ラインが、清家(せいけ)内紛の途中で、死亡あるいは消息を絶ち、一旦内紛は、義家の調停で終息の様相をみせる。しかし、同母異父の清衡・家衡兄弟間に清家継承権を巡って、新たに争いが発生する。弟家衡は兄の清衡の館(たち)を襲い、妻子眷属(けんぞく)を皆殺しにする。清衡はこの状況を義家に訴え、助力を求めた。義家は、清衡に加勢し、こうして「後三年合戦」[永保3年(1083年)~寛治元年(1087年)]が勃発した。

 清家は主流・反主流の二つに分裂し、清衡・吉彦秀武(きみこのひでたけ)側に国守義家が加担し、家衡・武衡(たけひら)側と戦うことになる。

家衡は、初め沼柵(ぬまのさく)に立て籠もり、応徳3年(1086年)冬、義家軍を退ける。翌寛治元年夏、伯父・武衡の勧めで、難攻不落といわれる金沢柵(かねざわのさく)に移る。しかし義家軍の執拗な攻撃と兵糧攻めにあい、ついに寛治元年(1087年)11月14日、金沢柵は陥落し、武衡は斬首され、家衡は捕えられた。ただし、この合戦に対して朝廷では、清原家が叛乱を企てたという認識はなく、ために清原追討官符は最後まで義家に出されず、翌寛治2年(1088年)義家は、陸奥守を解任されている。