peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)を読む! 2016年9月11日(日)

2016年09月16日 | 読書、本

岩波書店発行、中尾佐助・著『栽培植物と農耕の起源』岩波新書(青版)583 1966年1月25日 第1刷発行、2015年8月25日 第61刷発行(定価:740円+税)を読みました。「あとがき」の日付が昭和41年1月となっているので、その頃に書かれたものと思われるので、最新の情報とは言えないが、いろいろと得るものがありました。   

「栽培植物とは何か」:「われわれが普通に見るムギイネは、人間の手により作り出されたもので、野生時代のものと全く異なった存在であることを知る必要がある。その源を訪ねることすら容易でなくなった現在の栽培植物は、我々の祖先の手により、何千年間もかかって、改良発展させられてきた汗の結晶である。人間の労働と期待に応えて、ムギとイネは人間に食糧を供給しながら、自分自身をも発展させてきたものだった。」と述べ、具体的に野生植物と、栽培化された現在の品種との違いを解明しようとしています。

「根栽農耕文化」「照葉樹林文化」「サバンナ農耕文化」:

バナナから始まった農業、ヤムイモというもの、タローイモ、サトウキビ、熱帯のめぐみ、4作物の組合せ、クズとワラビのふしぎ、マムシグサを食べる、水晒し技術の発達、雑穀を受けとる、照葉樹林文化の遺産、照葉樹林の茶と酒とシソ、雑穀というもの、アフリカの野生雑穀、雑穀農業の発生地、マメ類の利用、果菜類というもの、油料作物の出現、サバンナ農耕文化の作物群、サバンナ農耕文化の基本複合の小項目を立てて論述しています。 

イネのはじまり:イネは湿地の雑穀、栽培イネの開発、栽培イネの発達、イネ作農業のインドにおける展開、オカボとハトムギ、山棲みとスワンプ・フォレスト、コメとコムギの小項目を立てて論述しています。

 

地中海農耕文化、新大陸の農耕文化:

地中海一年生植物気候、野草・雑草・作物のちがい、コムギの起源、オームギの中の落第生、二次作物の出現、農牧兼業の成立、西アジアの農業革命、エジプト王朝期の農業、地中海農耕文化の先後問題、地中海農耕文化のアジアへの伝播、コムギとオームギ、第二次農業革命、応用問題としての新大陸、三つの根栽農耕文化、アンデス高地の根栽農耕文化、新大陸の種子農業、すぐれた新大陸の栽培植物の小項目を立てて論述しています。 


一関市室根町折壁のオシダ(雄羊歯) 2016年9月11日(日)

2016年09月16日 | 植物図鑑

2016年9月11日(日)、一関市博物館(入間田宣夫・館長)主催の「平成28年度・史跡めぐり~磐井の石めぐり」が、室根史談会、室根市民センター、小山石材店の協力で実施されました。

午前中室根山の中にある①胎内くぐり、②室根神社、石仏三十三観音、亀岩、⑤鬼、⑥芦東山こもり岩&姫滝を見て終了しました。

午後一番に見たのが⑧屏風石でしたが、杉林の下にオシダ(雄羊歯)が、沢山群生していました。 

 オシダ(雄羊歯)オシダ科 オシダ属 Dryopteris crassirhizoma 

やや寒い地方の山地に生える大形の夏緑性のシダ。ブナ帯より上のミズナラ林の下などに群生することが多い。葉は長さ60~120㎝の羽状複葉で、放射状に多数出る。根茎をメンマ(綿馬)と呼び、駆虫薬に利用する。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」より]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%80 [オシダ:Wikipedia]

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/pteridophyta/dryopteridaceae/osida/osida.htm

[オシダ]

http://www.geocities.jp/kounit/saizikidousyokubutu/yasou/osida/osida.html

[オシダ]


奥州市水沢区佐倉河のイネ(稲) 2016年9月10日(土)

2016年09月16日 | 植物図鑑

2016年9月10日(土)、奥州市水沢区佐倉河の史跡・胆沢城跡付近を走る県道(旧4号線)沿いの田圃で栽培されているイネ(稲)の穂が、黄金色の枯れたような色に変わっていました。

(上と下)あかね書房発行「科学のアルバム植物4・イネの一生」(守矢 登・著)より

 イネ(稲)イネ科 イネ属 Oryza sativa

コムギ、トウモロコシとともに「世界三大穀物」のひとつ。日本酒の原料としても重要。

高さ50~90㎝の一年草。紀元前4000年以前に、インドのアッサム地方から中国の雲南省にかけての地域で栽培がはじまり、日本へは中国を経て、縄文時代後期に伝わったと考えられている。米粒の丸いジャポニカ米(日本型)と細長いインディカ米(インド型)とがあり、インド型は粘りが少ない。それぞれにウルチ種(炊飯用)モチ種(餅用)がある。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]