WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

お花見

2007-04-08 | 人生妙なり
いんやぁ~~
お花見にいってきました。
屋島山麓「成田山」。

今日は全くホントに濃い1日だったのよ。
これをちゃんと記事にしたら、エントリー5回分ぐらいになるわ。
でもあたしゃ~今、そんな真面目に推敲して記事を書く余裕がないのよ。
そうこうしているうちに時はどんどん流れ去るので、もぉ~本日はTAKAMIの「ぼやき」ってことで、桜の画像でもご覧になりながら、お茶とお菓子でもご用意なさって、きいてくださいな。
いや、あたしゃ~、今、久々のビールのお供にうるめいわしをあぶってるところなんですけどもね♪


   


昨日から、80年代DCブランドが頭の中をぐるぐるしてるんだけども、その前に脳裏に焼きついているあの「スーパーローライズ」のお尻のワレメも気になるので、とりあえず、今朝はPCを立ち上げて、ファッション系をかなりうろうろしてみました。
でっ、結論からいうと、やっぱ、スーパーローライズでケツのワレメを出すのはダメです。全然イケてないです。出てしまうのは、ジーンズのサイズが大きすぎるからです。
あのようなキワドイジーンズを穿くからには、サイズも厳しく試着の上チェックして、動いてもワレメが見えないスレスレのギリギリを着用するべき。これはシビアです。脂肪を蓄えていれば、スレスレギリギリの上に「たよ~ん」と乗っかるもんね。
このテンションを理解できない人は、穿く資格ないわよと豪語してもいいでしょか~~
資格のない私が豪語しても説得力ありませんが、、
装うことにこだわるってのは、そーゆう、「見せる」と「隠す」の究極的なシビアなアートな世界へと突入していくという方向性もあり得るのだとも思うのですが、、、
まずは自分を知る、その上で人に媚びない装いをする。
ふくよかならふくよかに似合う装いがあるのだ。ちなみに私は胸がないので、絶対にエプロンは着用しません。

な~んてやってるところへ、母親からTEL。お花見のお誘いであります。
誘いといっても、「用事がないなら行くのが当然」という勢い。いや、別にいいんですけどね。「お花見弁当、適当に見繕って買って、実家まで来い」という指令なんだけど、ま~そんなに急に言われても、やることいろいろあるし、お弁当を選んで文句いわれたくなかったので、お弁当の調達だけは固く辞退しました。
案の定、母は「二蝶(料亭)」のお花見弁当を惜しげもなく家族5人前買ってきて(仕事で不在の妹の分も)、その上に、高そうなデパ地下のさつま揚げ、炭火焼き手羽先、摘みたて苺…などなど。
Takは大好物の手羽先をほとんど一人で食べ尽くし、まったく手をつけなかったTakのお弁当は、そのまま私の夕飯に。昼も夜も、、、(-_-;)
いや、もちろん、とっても美味しかったです…料亭弁当だもんね。

   


レジャーシートの上に、古いこたつの敷布団を敷いて、その上に座布団まで持参。
ひざ掛けも完備。防寒対策完璧。高齢者のお花見はこうするのか。なかなかやるな。
そして、お弁当を食べてビールを飲んだあと、昼寝をする両親、、、
寝ながら桜を見るのがいいのだそうな。
うんうん、私も真夜中の小金井公園で若かりし頃やってましたが、寝そべるために布団類を持参するとは、ツワモノ、、、

         


その間Takと私は、成田不動尊探検に。
この日は、お天気はうす曇り。寒くない程度に時折風が流れ去るように吹いて、そのたびに花吹雪がはらはらと舞うのです。
まさに最高のお花見日和でした♪


     


さて、その後、いったんそれぞれ家に戻ってから、お風呂にいくことに。
母と二人きりでフロはちょっと気が重いんだけど、まあ病み上がりだし、労わらなくては、、、
話題はなるべくTakへ。
新しいクラスと担任の先生、Takの造形教室…などなど、無難な話題を選んで穏便に過ごそうとするんですが、どんな導入、どんな切り口だったとしても、必ず説教へと発展。そして、私の貧乏をなんとかしろ、もっと汗水流して働きまくれ、目立たずフツーに生きろ…という結論で〆られるヽ(*`□´*)/
こりゃもぉ~~母の哲学体系が完成されてるってことだわね。
そして、それは、私とは如実に違っています。

半年ほど前、私がベルトをベルト通しからわざと外して着用しているのを見て、まるで中学生相手のように小言を言いまくった母です。
「Nao(妹=アパレル系)もそんなだらしないことはしない」と、長々と文句をタレられました。
「しまった、母の前にこんなカッコで現われた私がアホだった」
…と思いました。

先日、ikehirochan2さんからいただいたコメントレスにも書きましたが、私は、最近職場でだんだん歳がバレてきて、とっても楽チンになってきました(*^_^*)
これまで目立たずフツーに生きてきていない私が、これからそのような生き方に方向転換なんかできないし、意義も感じません。「人に迷惑をかけない常識」と「目立たずフツー」は違いますから。
「あの人は、自分のスタイルでやりたいことをやっている」
…というのが、暗黙に認められているような楽チンさです。諸手をあげて賛同してくれなくてもいいのよ。
単に歳をとって、鈍感力が身についたってことかもしれないけど、私の「楽チン」は、自分で手にいれたものだと思う。

でも、家族5人分の花見弁当1万円分を惜しげもなく買って、さらにビールやツマミを調達する経済力がないことは、多少考え込むところではあります。
将来Takにもヨメさんが来て、「お義母さまは貧乏」…といって気を使われたり、いや、それ以前に寄り付いてこなかったり、、、なんてのはちょっとカナシイものがあるだろうか、、、などなど。
母が働きまくれというのも、そういう観点なのではと…。
見栄を張ることは生きるエネルギーと言い切る母。
一緒に過ごしていて、もぉ~~常にムッとしまくり、「あー頼まなきゃよかった」「来なきゃよかった」「言わなきゃよかった」と悔やみまくる私なのですが、その後、このように、いろいろ考え込み、母のパーフェクトな人生哲学に、ちょっといったん立ち止まってみようかな…と思えるようになった私はエライわ(^_^;)
そして、これって、私自身が、もうきっと母は人生最晩年を迎えたということを踏まえているということなのだと思います。


     





Comments (13)
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