ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】心理療法個人授業

2008年03月19日 22時19分40秒 | 読書記録2008
心理療法個人授業, 河合隼雄 南伸坊, 新潮文庫 み-29-5(7512), 2005年
・南伸坊が生徒となって各分野の第一人者の授業を受けるシリーズの『心理療法』編。入門書的内容ではありますが、細かな知識の羅列という形ではなく、南氏が興味を持つテーマを中心にざっくり大雑把にその概要を捉える形です。
・もともと『人の心』というものに関心があるので、とても興味深く読みました。
・「いずれにしろ職業をもつことはそれなりの苦しみがあるが、心理療法ほどエネルギーを消費する仕事は少ないのではないか、と私は思っている。」p.11
・「人間の心なんていうものは、わけのわからないものだというのは、人間を何年かやっていればわかるものである。」p.13
・「おそらくは、「わからない」ということを、どのくらいわかるか、というあたりに「心理学」の意義があるのかもしれない。」p.14
・「一方で、まるでシャーロック・ホームズ<がわずかな手がかりから依頼者の職業、年齢、住所、性格を言いあてたりする、その虎の巻のようなものが「心理学」にあるのかもしれない、という気持もまたあるのだ。」p.17
・「実地に河合先生にお会いすると、先生は、とても気持のいい笑顔と、むちゃくちゃに迫力のある、眼光の鋭さを持った不思議な顔面の持主であった。  私がNHK大河ドラマのディレクターで、キャティングをまかされたら、岩倉具視か新門辰五郎、あるいは国定忠治は、河合隼雄先生でキマリだという感想をもった。」p.19
・「心理療法の流れは二つあります。一つは医学のほうから、もう一つは教育のほうから、」p.24
・「学者は常に冷徹だ。常に客観的、論理的なので、おもしろがったりしない。しかし、私のやっている臨床心理学は「おもしろがる」ことからはじまるのだ。」p.34
・「私はウンウンと聞いていて、一段落ついたところで、大変だったな、じゃあな、といって終わらせればよかったのだ。忠告だの忠言だのを言われてよろこぶ人はいない。(中略)私はとんだ紅茶野郎だったということだ。人が聞きたいのはセイロンなんかじゃない。セイロンを言うくらいなら、黙っていたほうがましなのだった。私は人に話を聞いてほしい人の気持ちがわかっていなかった。と、いまわかった。」p.37
・「つまり、ガイドでもない、エデュケーションでもない、話し合いなのだと、出てくるわけです。それがもう一つのアメリカの大きい流れです。」p.39
・「「あんた、盗みをしたらアカン」でも、  「盗みはいけないことです」でもなく、  「なんで盗みをしたいのん?」っていう問いかけ方のニュアンス。」p.40
・「南さんの言うとおり、「頭の中味を外に出す」ことは、実に大切だ。頭の中だけでやっていると、堂々めぐりをすることが、外に出してみると、思いがけない方向に動き出すのである。  「外に出す」という意味では、文章にしてみるのもよい。」p.46 "中身" ではなく "中味" の字を使っているところがまたなんとも。
・「精神分析をやっている人の90%はユダヤ人です。」p.53
・「「心理学」が科学じゃないか? 科学か?(中略)要は人間の「心」を物理学的に解明ってムリってことでしょう。」p.59
・「不確実だの複雑だのって、ややこしいなァと思って、トモダチの理科系のヤツに聞いたことあるんですよ。  「あのさァ、複雑系って、かんたんに言ってどういうことなの?」  「ああ、現象ってのは複雑だと、そういうことだな」」p.59
・「心理療法というのは「心の問題」つまり、悩みとか苦しみとか、それから本人はそうと思っていないけれども、体が動かない、目が見えないというのに心が関係しているというような場合、心理療法家が心理学の知識でもって、それを援助することによって、問題が解決していく。というのが心理療法。」p.69
・「それなら、心のほうから、なにかを働きかけていったら、その脳内物質の異変を、うまい具合に均衡する方向へ持っていくっていうこともまた、大いにありうるというふうに私は思いますね。」p.74
・「「心の病」の治療の本質は、何と言っても病んでいる本人が自ら「治す」あるいは「治る」ことであり、心理療法家はその援助をするだけである。」p.76
・「人間の心というのは、層構造を持っていると私は思っています。通常の意識というのは表面的にはカッチリとあって、これでだいたい判断している。  ところが深いところにいろいろある。」p.83
・「心理療法は宗教性に深くかかわるが、宗教ではない、と私は思っている。もっとも、心理療法家のなかには、自分のしていることは「科学」であって、宗教とは無関係と思っている人もある。このようなタイプの熱心な心理療法家を見ていると、この人は「科学信仰」に支えられているのでは、と感じることもある。」p.92
・「そういう時に、ものすごく大事なのは、そういうことでしか相手はぼくに、ものが言えんようになっているということです。そんなふうにぼくは何を追い込んできたんかを考えるわけです。」p.103
・「我々は、二択問題を出されると、どっちかから選ばなきゃ、と思ってしまう。しかもその実、それは選択の余地がない、一拓問題だったりもするんでした。  匂いがするか、匂いがしないか。いまから、自殺するけど、とめるのか、とめないのか? 「そんなの選べない」のは、実は、はじめからわかています。」p.104
・「つまり、いいかげん、いつまでもガキ時分の評価を流用していくのをやめたらどうだ、大人は大人として、大人なんだから、大人になってからの評価でやってけよト、このように思っているわけです。」p.111
・「ことろが、ここでまた難しい問題が起こってきます。どういうことかというと、  「人間関係ができる」  っていう難しさです。これをフロイトの言葉でいうと、「転移」といいます。トランスフェランスといいます。」p.115
・「なるほど、人間関係が問題なのだった。人間関係が問題の出発点なんでした。」p.119
・「人間の、最初の人間関係は、親、とりわけ母親との関係でしょう。赤ン坊は、気に入らなかったら泣く、キゲンがよければ笑っている。それがキモチよければ大騒ぎする。人のことなんかかまっちゃいません。  この時に、親がテキトーな対応をしていれば、たいがい人間はうまいこと育つんじゃないでしょうか。ところが、なかなかこれが、テキトーにできない。  かまいすぎたり、かまわなすぎたり。テキトーなアンバイができないと、コドモにもそれがうつるんだと思う。(中略)その関係は、まるで運命のように、動かしがたいものになってしまうんでしょうか? 私はそう思いません。  もう一度、テキトーな人間関係を、トレーニングすればいいのだ、と思っています。  おそらく、心理療法といったようなものは、このトレーニングにあたるものなんじゃないのか。」p.120
・「恋愛と臨床心理学とかって、かなり近しいもんじゃないかな、私にとってはかなり近い気がする。「ややこしい」ってとこで、ほとんど一緒です。」p.127
・「ロールシャッハも箱庭療法も「当てる」のが目的なんじゃない、それによって表現し、語られるうちに治療が進んでいくんだなァ、」p.150
・「「芸術とは何か」なんていう議論ではない。人の心を打つような芸術は、表現せざるを得ない悩みを持った人によって創られるのだった。」p.160
・「「そもそも心理療法というのは、来談された人が自分にふさわしい物語をつくりあげていくのを援助する仕事だ、という言い方も可能なように思えてくる」」p.163
・「「人間は自分の経験したことを、自分のものにする、あるいは自分の心に収めるには、その経験を自分の世界観や人生観のなかにうまく組み込む必要がある。その作業はすなわち、その経験を自分に納得のゆく物語にすること、そこに筋道を見出すことになる」  筋(プロット)がある、これが物語の特徴である。とも先生は書かれている。」p.167
・「みんなが了解不能といっていること以上に、ある程度までは了解は可能なんだと、ユングは初期にそういうのをいっぱい出します。」p.179
・「ものすごく簡単に言ったら、暴れると言ったらものすごく重い石を持たしたらいい。その人は動かなくなります。薬というのは、これと似たようなもので、根本的解決になっていない」p.183
・「食うことに必死だったら、ノイローゼ起きません、ノイローゼというのは文明病です。」p.185
・「ロールシャッハは、そういう内容よりも、全体的に見たのか、部分を見ているのか、動きを見ているのか、色を見ているのか、そういうふうな方に注目していった。」p.191
・「物語をつくって答える人もいます。何に見えますか? って言ったら『インキのシミに見えます』言うた人もいる(笑)。」p.197
・「なるほど、ロールシャッハなんかで人の心がわかるはずないと思う人ほどにわからないもんではない。といってロールシャッハで恐いほど、なにからなにまでわかってしまう、という人ほどにわかるわけじゃない。って、そのへんの感じがなんとなくわかってきましたね。  やっぱり人間が人間をわかるというのは洞察力、普通の意味で人間を見る洞察力でしょう。つまりは人間を理解する深さによっているわけです。」p.198
・「発見的にわかる道を共にするためには、「わからない」と自覚する謙虚さが必要だが、これは、自信がないのとは、全く異なる。自信のないのは、はなから何も分からない人である。「わかる」に「わからない」をつなぐ人は、「わかる」自信と「わからない」謙虚を共存させている。」p.202
・「科学というのは、一般ピープルにとっては「非常識」なようなことを、事もなげにいうのである。  私にとっての学問のおもしろさとは、非常識と意外性だった。」p.205
・「「私」というのは、瞬間瞬間の意識のつみかさなったもので、それらのひとまとまりになったものである。  むずかしく言うと、主体性と統合性をそなえた個人の意識の体系。これを深層心理学では「自我」と呼ぶ。  自我の主体性や統合性が脅かされると、不安を感じて、心理療法家のところへやってくることになる。そして心理療法家は、この人の自我を強化したり、つくり変えたりする手伝いをするのだ。」p.208
・「以前、友人の糸井重里に聞いた話。高校生の頃だかに、雑誌のフロクについていた催眠術の本にしたがって、クラスメートを催眠にかけて、年齢をどんどんさかのぼるという暗示をかけたことがあったのだそうだ。  まだ高校生だから、調子にのってさかのぼっていくと、じきに零歳までいってしまう。クラスメートは、七歳のときは七歳らしく、五歳のときも五歳らしく、三歳の時も三歳らしく話すので、おもしろがって、生まれる前までさかのぼらせてしまったのだという。  すると、胎児になったクラスメートが、とつぜん「寒い、寒い」と寒がりだしたので、こわくなって、即座に催眠を中止したという体験談だ。  寒いのは、生まれたままのカッコで(というか生まれる前のカッコのまま)お母さんのお腹の外に出てきちゃって寒いのか、詳細はわからないけれども、その寒がりようが、尋常でなくおそろしかったという。  「地獄の窯の蓋」という表現で、なんとなくその話を思い出した。」p.210
・「知れば知るほど、私にはおそろしくて、とてもできないとばかり思ってしまう仕事だが、人間として、人間のナゾに、日々発見的にかかわり、わかっていく、考えようによってはこんなに、おもしろくてやりがいのある仕事はないかもしれない。」p.218
・「「死にたい」と言うことでしか「生きたい」気持をつたえられない人がいる。」p.226
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▲閉店【食】香庵 [和食@室蘭]

2008年03月19日 08時03分12秒 | 外食記録2008
▲閉店 営業の気配無し [2022.6.29記]
香庵(こうあん)[和食@室蘭][室蘭タウン]
2008.3.1(土)11:30入店(初)
注文 ミニ天丼セット たぬきそば 750円

 
・室蘭の中島神社正面入口から少し街の中心部寄りに位置する店です。もうしばらく前からあるようですが、あまり目立たないので店の存在には最近気がつきました。
 
・駐車場は、信号を渡った向かいの中島公園側の、少し離れた場所に数台分あります。
・早めの時間に行ったのですが、店内には既に先客が。その後も続々と客がやって来て、食べ終わる頃にはほぼ満席になっていました。けっこう人気の店のようです。
・私が座ったカウンターの前には、小さな液晶モニタが設置され、店前の道路の様子が写されていました。防犯用なのかなんなのか、謎のモニタです。
 
・いつもは冷たいそばを頼むことが多いのですが、今回は何故か温かいそばを注文。頼むと、いくらも経たぬ間にパッと出てきました。麺は太めでモチッとした歯ごたえで、噛んだ瞬間、『おっ!?』と思わせられます。この麺はちょっと独特。冷たいそばでも食べてみたいところです。つゆの方は、どこかでよく食べている気がするような既製品風味。

・セットのミニ天丼。タレは甘すぎず、天ぷらは、しっとりペトペト系。具はかわいらしいエビ、シイタケ、ピーマン。
・この内容で750円だと、お得感あり。

  
 
コメント (3)
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