ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【写】ふるさとの森21(室蘭)後編

2009年02月15日 22時00分14秒 | 撮影記録2008
●ふるさとの森21(室蘭)後編 撮影日 2008.10.11(土) [Yahoo!地図]
・気になるあずま屋の正体は突き止め、次にその先の山の頂を目指す。『ふるさとの森21』散策の後編。

・急坂の途中で振り返った図。スタート地点はかすかに見える中央の鉄塔の辺り。
 
・ひたすら上へ。足が重い。

・なにやら看板が見えてきた。

・『母恋富士山頂 標高156m』 ここが山頂らしい。ここへ来て初めて、この山が『母恋富士』だったことを知る。話には聞いていた山でしたが、ここだったとは知りませんでした。
 
・山頂からの母恋方面の眺め。

・まだ先に道が続いています。
 
・山頂付近からは室蘭を一望できます。御前水~御崎方面。
 
・白鳥大橋方面。
 
・よく利用する室蘭新道。
 
・海の向こうにうっすらと見えるのは駒ヶ岳?
  
・まだ先には、来たのとは反対側に降りる道が続いていましたが、そこまでは行かずに引き返すことに。

・主人の帰りを待つ車。
 
・道端に咲く花。
 
・細かい起伏の続く道。

・ずいぶん傾いた看板ですが、実際この下に続く道はかなりの急斜面です。母恋富士への登山口は周囲に数箇所あるようです。
 
 
・行きも帰りも同じ道なので、前編と代わり映えのない写真になってしまいます。
  
・スタート地点そばの巨大な鉄塔。

・無事散策終了。わき目もふらずに母恋富士山頂を目指せば、片道20分ほどでしょうか。ちょっとした散策に良いコースです。
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【本】少女の器

2009年02月15日 08時01分16秒 | 読書記録2009
少女の器, 灰谷健次郎, 角川文庫 は20-16, 1999年
・多感な時期を過ごす少女・絣(かすり)とそれをとり巻く人々との心の交流を描いた作品。
・同著者の作品はいくつか読みましたが、その中にあって他とは趣の異なる雰囲気です。ハッとさせられる言葉や情景がちりばめられているものの、文章にどこか不自然さ、いびつさを感じる。原因は「ホントにこんな子いるの??」というリアリティの薄さでしょうか。
・表紙絵(宇野亜喜良)は自分の思う "絣" のイメージとはかなり違う。
・「「野生の動物の親子がいるでしょう。うんと小さい時は親からお乳をもらうけれど、後は親も子も平等に生きてるでしょう。親も子も同じ生活をしている。親が子の生活を横取りしたりなんかしないから、子どもははやく自立する。人間と野生の動物は違うからまったく同じというわけにはいかないけれど、人間の親子はそこんとこがさっぱり駄目なのね。しあわせになってもらいたからと親はすぐいうけれど、それは親の価値観を押しつけているだけじゃない。ほんとうは子どもの生活を横取りしているのよ」」p.42
・「「嫌だなァ、パパは。パパの恋人には意地悪なんかしないって約束してあげたのは、つい先日でしょう」  「約束は約束。女はいつもそれを守らない」  「ばかァ」  と絣は男の腰の辺りをぶった。  「それをいうなら、男はいつもそれを守らないでしょう。男の方がいつだっていいかげんなんだから」」p.45
・「「パパ。気を悪くしないでね。こんどのことで、わたし、いろいろなことを思ったんダ」  「例えば」  「例えばねえ」  絣はいたずらっぽく笑っていった。  「りっぱなパパでも憎むことができるし……」  ほうと男はいった。  「駄目なママでも愛することができる」  うーんと男は唸った。」p.65
・「「長い人生のうち、はじめからしまいまで思うままに生きられたという人がいたら、その人は多分不幸な人だろうね」」p.79
・「章子さんとおれとは年が十五もちがうだろ。若い人が結婚して子どもを生みたいと願うのは自然なことだからね。おれが章子さんにできることといえば別れてあげることだけだ」p.86
・「どちらかがどちらかに引きずられて生きるのだけはやめにするよ。そうすればまた、それをくり返すだけだけらね」  と男はいった。」p.86
・「「ほんとのことでも、かなしいことは人の前でいわない方がいいのとちがうの」」p.94
・「「絣はパパ型でもママ型でもないさ。絣は絣型をつくるんだ」」p.125
・「「猫って、いったい何歳くらいまで生きるの」  「普通は十歳から十一、二歳というところかしら。ポポをいただいた広美さんのように根っからの猫好きっていうか、猫に深い愛情をかける人に飼われると、その猫の寿命は長いというわ」」p.126
・「絣ちゃん、猫を飼う人には気をつけなさいよって」  「何よ、それ」  「虚栄心と欲の深い人が多いんだって」」p.129
・「そのとき、はいよゥ、ひらめ、うにィ、という声が飛んで、ふたりの前に、それぞれ注文したものが置かれた。  男がまず頬張り、わさびに鼻をつまらせながら、手の指を二度三度あおるようにして絣にすすめた。  絣は海苔に巻かれたシャリの上のうにを落とさないようにして、器用な手つきでむらさきをつけると、それをそっと口に入れた。  ふたりはしばらく口を動かし、ようやくそれを胃に落とすと、ほっとしたように顔を見合わせ柔らかく笑い合った。」p.139
・「「つくり手というものは作品の値打と世間の評価は本質的に関係ないと思っていないと堕落するってことをいいたかったんだよ」」p.140
・「「書いたことはないけどさ。小説は読んでいるうちはいいけど、書く方の身になってみると、もういっぺん人生を生きてるみたいで、たいへんと思うよ。ああいうものを書くと若者は生き方がややこしくなるよ」  「若い作家だっているぞ」  男はちょっとからかい気味にいった。  「そういうのは病的に頭がいいか、鈍いかどっちかだと思うナ」」p.143
・「人は独りぼっちで生きていけないの。誰だってよ。たくさん愛されているかどうかは知らないけど、生きている限りは誰かに愛されているのよ」  「えらい楽天的なことをいよるなあ。それはおまえの考え方やろ。誰にも愛されてないと思うから生きるエネルギーが湧いてくる質の人間もおるんやで」」p.150
・「「安っぽい同情で、あいつにつき合っとったら、つき合ったやつが、先にガタきよるさかい」」p.172
・「「人間は行きつ戻りつしながら生きるものだろうが、いったん心を決めて歩いた道を、安易にただ後ろに下がるだけという姿は、傍目につらく見えるんじゃないかな。おまえはそれを敏感に感じたのじゃないか。人間はみな弱いのだから後ろに下がってもいいけれど、そのときは骨を噛むほどの苦渋がその人に滲み出ていなければね」」p.221
・「「普通の人でも自分を確かめながら歩くことはできると絣、思った。だから何もしないで、頭の中であれこれ考えるだけの、人のことを批判ばっかりしているわたしみたいな人間がいちばんダメな人間って分かった」」p.222
・「「金、儲ける奴はそんなもんや。運のええ奴は実業家、運の悪い奴は犯罪者。中味はいっしょや」」p.225
・「「パパ。世間には両親が別れたため不幸な子どもがたくさんいる、しかし、両親が別れないために不幸な子どもも同じだけいる、ということば知ってる?」  「ケストナーだったね」」p.255
・「人間の究極の自立は、死に際して、そのとき誰に看取られずとも、直接的には、誰から愛されなくとも、自分はこの人生において十二分に人を愛し、十二分に人の愛を受け、それ故に人間たり得たという充足感と諦観をわがものとしたときである。」p.298
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