紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

娘と登山

2007-03-07 06:42:11 | 8・山と旅の思い出
娘が先週末、上越地方の白毛門岳に登ってきた。(写真トップ)
その写真を見て、この先ずっと山に登り続けていても、雪の時期、私には二度と登れない山だなあと思った。多分もう無理だろう。でもそんなことないか? 

その時の写真を見て、前回、といっても、もうだいぶ前になる1992年の夏に家族でいった「白毛門~朝日岳縦走」(最後は清水峠を越えて清水に下山)の山行を思い出した。息子が中学1年、娘が小学校5年の時だった。

実はずっと山登りを続けてきたのだけど、家族4人で登ったのは、多分それが最初で最後なのである。いつもは、くすの木山の会のメンバーと登っていた。
その山行は、テントを背負って、山で2泊。

けれど、子どもと親というのは、こうも考えていることが違うのだ、とその山行の後つくづく思い知ったのだった。

夫と私は、これだけ荷物が背負えるようになったのだから、これから4人でどんどん高山に出かけて行けると思った。
ところが、一緒に行った娘と息子(とくに息子の方)は、もう山は今後行かなくていいや、と思ったのだ。
息子は、私より早く歩き、バテもせず、けっこう荷物も背負って、たくましくなったのだけど、だからといって、山登りに行くかどうかは、個人の好みの問題である。

それ以後、家族で山には登らなくなり、夫は一人でハードな山にのめりこんでいき、私は、小・中学生の子たちと家で留守番をする数年間を過ごした。

今回娘が一緒にいったのは「築地山水倶楽部」の人たち。ハードな山に夫を引っ張った方がリーダーをしている会に娘は入れてもらい、今では夫ではなく、娘がお世話になっている。娘はおかげで、ふつうではできない体験をさせてもらっている。
Kさん、いつもこんなにすばらしい山に連れていって頂きありがとうございます♪ 

(1992年の時の白毛門山頂。一面ガスがかかっていた)



(笠ヶ岳から朝日岳あたりの稜線)