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紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

新美南吉児童文学賞

2010-06-12 06:29:49 | 2・仕事の周辺
「優しい音」で今年の新美南吉賞を受賞したという知らせを頂いたのは、2週間ほど前のことだった。
それをブログにいつ書こう、いつ書こうと思いながら、ずるずると来てしまった。

嬉しいのと同時に、なんというか、とまどいもあった。

この本は、いろいろな人から、いつもの三輪さんらしくないね、といわれてきた。
ほんとうにその通りで、ちょうどリューマチ性多発筋痛症を発症した頃に書き始めた話しだ。
動き回って取材などできないから、動かないでも書ける話しを書くことにした。

書き始めたら、予想以上に楽しくなって、自分でもどんな風に物語が進展していくかわからずに、書き進めていった。
中学3年生の女の子が主人公なのも初めてなら、学校を舞台にして書くのも初めて。
書けただけで、そして、本にしてもらえただけでも上出来だな、と自分では思っていた。

5月27日に、審査員の先生方、あまんきみこさん、宮川ひろさん、藤田のぼるさん、そして、小峰書店の小峰社長から受賞の知らせを受けた。
直接おめでとうの言葉を頂き、ほんとうにありがたいことだと思った。

とまどったのは、あまり新美南吉のことを知らなかったからだ。
てぶくろを買いに。ごんぎつね。おじいさんのランプ・・。
他にどんな作品があるのか調べるために、図書館に飛んでいった。

新美南吉は、大正2年の生まれ。私の父より1年早く生まれた。
けれど、病気で、30歳の時に亡くなっている。
30歳までの間に、たくさんの作品を残したが、もし亡くならなければ、どんな人生があったのだろう。
わずか4歳の時に母を亡くしていて、後に父親は再婚するが、8歳の時には、離婚している。
母親には恵まれない境遇であったようだ。

尋常小学校や女学校の教師をしつつ、小説や詩などを書いていた。
十代の前半にはもう作品を発表していたのだから、才能の開花は早かった。
もう少し後の時代に生まれていたら、医学も進歩して、もっともっと長く創作を続けられただろうに。残念なことだ。

授賞式は7月1日。

◆ 新美南吉記念館

◆ 優しい音