紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

義父の世界

2013-02-19 16:42:42 | 18・家族のことなど
いやあ、不思議なことがあるものだ。

義父が最後までこだわっていた「座禅」の世界。

義父の部屋は、六畳二間ほどなのだけど、そのほとんどが、本と資料で埋めつくされていた。
かろうじて、自分の寝るところだけ空間が残っている程度で、あとはほとんど隙間もなく、地震がおきたら、本に埋まるのじゃないかと思うほどだ。

そんなに大量の資料の中から、たまたま手に取った「座禅」と書かれた一冊の分厚いファイル。(座禅のファイルは他にもまだたくさんあった)
その中の、たまたま開いたページの絵はがきに目がとまるなんて、不思議である。
それが、私の知り合いのH田さんからの絵はがきだった。

義父は、ほんとうに筆まめな人で、私たちにもよくはがきや手紙をくれた。
(最後にくれたのは、義父が亡くなる11日前に書いてくれた手紙。私の母が亡くなった後のお悔やみの手紙だった。)

そして、H田さんの絵はがきにさらっと目を通したところ、「一昨年アメリカ一周鉄道で乗った列車です」と最後に書いてあった。
その瞬間、私の知っているH田さんじゃないかと、思った。でも、まさかね、とも思った。そんな偶然はめったにない。

私がH田さんと会ったのは、ホイッスルの会合で、たったの1度だけだった。
けれど、その時に、話しが弾んで、アムトラック(アメリカの鉄道)の話しなどたくさん聞いた。
その後、その記録などをhpで公開しているというので、URLをお聞きしたり、何度かメールもやりとりさせて頂いた。

帰ってから、住所録を調べようと思っていたが、義母に、その話をしたら、「二階の廊下に写真が貼ってあるよ」という。
早速見に行ってみたら、H田さんが落語をされている写真、座禅会に出た人たちの写真が貼ってあり、まさしく、私の知っているH田さんなのであった。

もっと早く知っていたら、義父ともそんな話しができたのにと思う。
でも、義父は、その本と資料を義母にもいじらせなかったので、亡くなってからしか知りようがなかったのだ。




帰ってきてから、H田さんにメールをお送りしたところ、私のことを覚えていてくださって、丁寧なお返事を頂いた。
不思議な縁を感じた。