紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

あけぼの号のこと

2013-11-11 17:23:26 | 15・心に残ること
このブログにも夜行寝台特急のことを何度か書いてきた。
でも、この先、もうあまり書けなくなるなあと思った。
なぜなら、今現在、私が唯一乗ることがある、「あけぼの号」の廃止が決まったからだ。

上野発、青森行きの夜行寝台特急。
世の中の流れから、いつか廃止になるだろうなあとは思っていたが、こんなに早くなくなるとは思ってもいなかった。

初めて乗ったのは、2010年5月。鳥海山にスキーツアーに行ったときだ。京都から来たさとさんと酒田で、明け方の5時に待ち合わせた。
そんな時刻に会えるかなあと思ったら、もう着いていたので、驚いた。
この時には寝台車が、どんな線路をたどって、酒田まで行くかも知らなかった。

その年、夏には良流娯さんと鳥海山登山にいった時に、また乗った。







1年あいて、2012年には、6月にKさんと、鳥海山の麓に旅行をした時に、乗った。

その年の8月には、大勢で鳥海山に登りにいき、その時にも乗った。同行者には、夜行バスで来た人たちもいた。
これからは、夜行というと、バスが主流になるというか、バスしかなくなるのだろう。



そして、2013年。今年の夏。
ひろみさん、Kさん、I井さんと4人で乗った時には豪雨で列車は動かなくなり、18時間もかかって羽後本荘にたどり着いた。

車内に缶詰になったので、こんな食料が支給された。

 


おそらく、これが最後のあけぼの号の乗車になるだろう。
だとすると、18時間も乗ったのも、後々の話しの種になるのかもしれない。