紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

黒部上廊下(かみのろうか)・追写真あり

2007-08-20 15:11:38 | 8・山と旅の思い出
娘が予定を早めて帰ってきた。
黒部湖から入山して、上廊下をさかのぼり、薬師沢小屋まで行き、初めの1滴は見ずに、下山。

あまりにきれいな渓なので、写真を載せてみる。




その日泊まる所に着くと、ツエルトとタープだけで、野宿。




釣りをして、イワナのさしみを食べたりしたそう。




ここは別世界だね。



=以下金浜さん撮影

流されそうになりながら渡る娘。




懸垂下降する娘。



どこかの滝の前で。



築地山水倶楽部のみなさま、娘がお世話になり、ありがとうございました。

▲築地山水倶楽部

中国の旅・7

2007-08-19 09:21:06 | 5・旅の日記
■平遥故城

点滴を受けて復活した翌日訪れたのは「平遥故城」
明代の城壁がほぼ完全な形で残されていることで、世界遺産に指定されたそうである。


「中国の街は、昔すべてこのような城壁で囲まれていた。城壁は軍事上の意味合いだけでなく、その中に都市が造られていた。そのため、中国語では都市のことを城市と呼ぶ。今ではほとんどが取り壊され、道路になってしまった。北京も解放以前には城壁が残っていたが、今は一部の楼閣を除き、すべての城壁を取り払い、環状道路が建設された。平遥のように城壁が保存されているのは、中国四大古城と呼ばれる陝西省西安、湖北省荊州、遼寧省興城だけである。それに南京も加わるかも知れない。しかし平遥ほど、城内の町並みから路地まで昔のまま保存されている古城はない。」
山西省ホームより

城壁の中は車は禁止されている。中に入ると、もうそれだけで、タイムスリップしたような気持ちになる。




城壁の中の地図。クリックすると拡大する。




城壁に上る。一周すると、確か6.4km。時間があったら、ぐるっと歩いてみたかった。




下には古い時代を感じさせる町並みが・・。




城壁の中を走るのは電気自動車。それにのって、城壁内のおもだった場所に行く。




昼ごはんを食べに入ったレストラン。






そして、帰りにスーパーに寄って、黒酢などをみんな買い込む。



■中国の旅・・7・101112


中国の旅・6

2007-08-17 11:38:06 | 5・旅の日記
■大同でダウン

大同で雲崗石窟を見に行った深夜のことだった。急激に吐き気に襲われ、おなかも痛くなった。
その前から、3人ほどおなかをやられていたので、そろそろくるかと思っていたけれど、やっぱりという感じ。


日本から持っていったクスリを飲んでも、全部吐いて出てしまう。
同室の古賀さんが、ガイドのカクさんに知らせようというけど、夜の眠りをさまたげては、明日の行動にさしさわるので、朝まで待つといった。
けれど、とうとう夜中には熱も出てきたので、3時に、古賀さんが知らせてくれて、カクさんと一緒にタクシーで病院にいった。

大同の病院は、一般の市民の病院。そこで、急性胃腸炎といわれ、注射と点滴を約1時間半受ける。まわりの患者さんをみると、みな病気ではなくて、けんかでもしてケガをした人たちのようで、血を流しているのであった。軍隊の若い隊員さんもいた。

そこで寝かされたのは、手術の時に運ぶ車のついたもの。枕も毛布もないので、カクさんが一度ホテルにもどって、運転手のハクさんと一緒に、毛布と枕を持ってきてくれた。そんなまだ夜も明けない頃に、申し訳ないことであった。

点滴が終わると、クスリをもらって、7時頃ホテルに戻ったが、その日は太原への移動日。お医者さんからは、太原に行ったら、もう一度点滴を受けるようにいわれる。
その日の行動は、全てあきらめる。(そして、ここまでは体調悪すぎで、写真もない)


太原まで4時間ほどかけて移動したバスの中では、ずっと寝ていた。

太原の病院には、カクさんの同僚の若い女性、リョウさんが付き添ってくれることになった。
日本に3年ほど住んでいたことがあるということで、通訳をしてくれた。
みんなは、博物館にいったが、やはり体調が悪い古賀さんも一緒に病院に行くことになった。

リョウさんと古賀さん。




この病院にこれから行くところ。そこは、外国人専用の病院で、とてもきれいだった。



血液検査を受けたり、お医者様の問診(リョウさんが訳してくれた)を受ける。




その後、4時間点滴を受ける。
長くて、終わったのは夜の9時になってしまい、他の人はみな夕飯を終えてしまったが、その点滴のおかげで、翌日からはすっかり元気になれた。

ベッドも寝心地がよい。




その夜のご飯は、ホテルでおかゆを頼んで、古賀さん持参のみそ汁と一緒に食べた。とってもおいしかった。でも、なんといっても、最高によい食品は梅干しだね。



ところで、二回の病院の代金は、104元と175元。1元が17円として、約4700円ほどであった。健康保険がなかったにしては、安かった。
それでも、最初の病院では入院するようにいわれたし、こういう場合、保険がおりるか知りたいので、クレジットカードに付帯している保険会社に請求をするつもりである。
それと、クレジットの支払いには応じてもらえなかった。万が一、大病だの大ケガだのして、大金が必要という時に、クレジットでの支払いができないとなると、現金もそうたくさん持って行っているわけではないし、どうなるのだろうと思った。
この病院では、中国の銀行のクレジットカードだけは受け付けていた。

それと、いつもは、たいてい山登りに行くので、クレジットカードの保険以外にも、海外旅行保険に入っていくが、今回はただの旅だし海外旅行保険には入ってゆかなかった。海外旅行保険だと、病院の支払いも、確かその保険会社が支払ってくれるはずで、やはり最低でもいいから海外旅行保険に入っていく方が無難かもしれないと思った。


■中国の旅・・6・101112

中国の旅・5

2007-08-16 10:02:06 | 5・旅の日記
■大同で

8月4日(土)、朝6時頃起きて、古賀さんと二人で大同の街を散歩する。
朝市をやっていたので、桃を買う。




たくさんの人であふれ、活気がある。公園では、とてもきれいとは思えない池に入って、そんな朝早くから、みんな泳いでいる。グループで太極拳をする人もいる。



大同に移動した頃から、そろそろ疲れも出て、みな次々におなかの調子が悪くなる。
午前中も、一人ホテルで休んでいて、残りの人たちで、行ったのが善化寺。




華厳寺。




九龍壁。
「大同は龍壁の故郷とも言われ、明清時代に作られた龍壁は5個所に残っている。その中でもこの九龍壁は、皇帝のシンボルである龍が、中国で最も偉大さを表す9という数で並べられている貴重なものである。1392年、明朝の初代皇帝朱元璋の第13子朱桂代の王府前に建てられ、邸宅は焼失したが、九龍壁と呼ばれる照壁だけが残った。」山西省のホームページより。



そして、昼ごはん。
なぜ、このところ食事を写真をのせるかというと、この日の夜というか、夜中に急性胃腸炎で病院に運び込まれたからだ。
何が悪かったのか、と考えると、どうもこの日の昼の、生野菜だったような気がする。
もう油や肉系がダメになり、みな食欲も落ちて、お皿の数も減ったのだけど、この日の野菜サラダはおいしかった。 





午後は、雲崗石窟に全員で行った。
中国には世界遺産が31ヶ所あるということだけれど、今回の旅では、そのうち5ヶ所くらい訪れた。
世界遺産に認定されるのは、かなり条件が厳しいようだけど、行ってみると、やはり、さすがにどこもすごい。見られて良かったという気持ちになる。




ここは、北魏の時代(460年)に開削され、494年には、大部分完成したということだけど、ものすごい数の石窟が掘られている。東西1kmに渡ってのびているということだが、主な洞窟は53。彫刻は高さ17mから小さい物は数センチのものまで5万1千もあるそうだ。

ここで取った写真を何枚か載せる。

足下の安井さんと比べると、いかに掘られた像が大きいかわかる。








そして、夕食は、しゃぶしゃぶ。マトンはやめて、牛肉と野菜。野菜は白菜やキノコや青菜など。それに湯葉や豆腐などもあった。




■中国の旅・・5・101112

中国の旅・4

2007-08-15 16:05:27 | 5・旅の日記
シラムラン草原の後は、フフホト → 大同 → 太原 と街に滞在して、歴史的建造物や、仏像などを見た。
見つつ思うのは、もっと中国の歴史を知っていたら、より楽しめただろうということ。
またもし行くチャンスがあったら、もっと歴史を勉強してから、行こう。

■フフホトで訪れた所

大昭寺(チベット仏教の寺院ということである)




ヘチマや瓢箪がぶらさがった棚が日影を作っている入り口から入る。なぜこのような写真を載せたかというと、帰ってから、順番が回ってきたエマノン歌仙にこの時の句を詠んだからなのである。




入ったところが、五塔寺。




そして、昼食。




最後が王昭君のお墓。中国四大美人である王昭君は、漢民族と異民族の和平のために、この地にお嫁に来たそうである。




この王昭君のお墓で、内モンゴルのガイドのアラタン君とはお別れした。
今フフホトの大学院でモンゴル史を学んでいるアラタン君は、独学で日本語を学んだそうである。
10歳の時には、両親と一緒に放牧民生活をして、羊の世話をしていたという。キムタクのファンだという彼は、今風の若者だけど、とっても優秀だったし、モンゴル民族としての誇りにあふれたナイスガイなのであった。




それから4時間近くかかって、大同に移動。

その日の大同での夕食。




ホテルにパソコンがあったので、ブログに書き込んだ。ローマ字にしようか迷って英語にしてみたら、変な英語っていわれちゃったけど、やっぱり変ね。(笑)
それにしても、なぜ今回携帯がつながらなかったのか、なぞである。ソフトバンクに聞いてみなくちゃ。
写真は、ローマ字でメールを書いている古賀さん。



■中国の旅・・4・101112

黒部上廊下

2007-08-14 16:54:58 | 8・山と旅の思い出
ふだん不規則勤務で忙しい娘だが、夏休みだけはけっこう長い。今年も、先週土曜日から、来週の火曜日まで夏休みなのである。
毎年、娘の夏休みには、一緒に海外の山に行っていたのだけど、今年は別行動。
娘は休みにはいると、早速、北岳、間の岳に単独で登りに行き、今日から夏山本番。 来週の火曜日まで、山にいる。

一番の目的地は黒部上廊下。
黒部ダムで有名な黒部湖を船で渡ったところからさかのぼり始め、渓を泳ぎ、野宿をしながら、最初の一滴までたどる。

澄んだ川の流れは、かなり冷たそうだけど、誰でも足を踏み入れることはできない秘境。アルピニストの聖地なのである。
私には一生行くことはできないので、帰ってから写真を見るのが楽しみ。


ヘルメットをつけ、重い荷物をもってバスに乗り込む娘。



築地山水倶楽部のみなさま、よろしくお願いします。

中国の旅・3

2007-08-14 10:12:01 | 5・旅の日記
■シラムラン草原での楽しみ

モンゴルの人は、娯楽施設などもないので、馬を蹴って遊び、夜は、自分のパオにあるもので、楽しい時間を作る。とくに、長い冬を楽しく過ごすために、音楽を奏で、ダンスをしたりするということである。

観光客のために、夕方から、競馬やモンゴル相撲、地面に何かを置いて、馬で駆けてきて馬に乗ったまま取る競技を見せてくれた。
みんなで広場に向かう。向こうには、人垣ができている。人垣といっても、このくらいの人数だけど。




競馬。




勝手に「まこちゃん」と呼んでいたモンゴルの男の子の相撲。




相撲の決勝で負けてしまった子。馬の目がオチャメ。




馬で駆けてきて、地面においた物を取る。

動画。↓ クリック



夜は食事の後、踊りを見る。




こういうのをやる場所は、すべて食堂なのである。



夜は満天の星。大地から大地まで、全部星で埋め尽くされている。天の川もくっきりと見えた。

そして、翌朝。同室の古賀さんと一緒に6:00に起きて、日の出を見る。草原の朝はすずしい。(写真トップ)



動画 ↓ クリック




7;45  バイステ(=さようなら)といって、シラムニン草原を後にし、フフホトの街に向かって出発した。



■中国の旅・・3・101112

中国の旅・2

2007-08-12 11:55:10 | 5・旅の日記
■シラムラン草原

モンゴルは、ただひたすら広かった。空も草原も。
空が頭上に広がっているのではなく、地面から上は全て空である。
草原を馬に乗って、約3時間散歩することになった。




馬に乗るのが初めてという人もいるので、最初はゆっくりと歩いて行く。




反対側からも馬に乗った人たちがくる。



しばらくすると、ぱかぱかと少し早足になる。

草原しか見えなかったところに、家が見えてくる。そこで、休憩。おやつとミルクティーをだしてくれる。チーズといったと思うけれど、ヨーグルトの味のするお菓子。



家のおばさんと一緒に。





外で遊んでいる子どもたち。




外の広いところに、囲いのようなものがあるが、そこがトイレ。




帰りに、石の積み上げてあるところ(寺院?)では、ぐるっと回ってお祈りをする。何もない草原で、道に迷わないよう目印にこのようなところがあるそうだ。コンパスでも持っていないと、もうどちらに行ったらいいのか、さっぱりわからない。



そして、パオの近くに帰ってきたところで、写真を撮ってもらう。
自然の中を行くのは楽しい。2日間くらい馬に乗って、草原を走れたらいいなあ。



■中国の旅・・2・101112

中国の旅・1

2007-08-11 17:00:32 | 5・旅の日記
家にいる時の10日間というのは、あっという間に過ぎるが、旅に出ている時の10日間はとても長い。
今回も、たくさんの経験をして、ふだん出会わないような人に出会い、思い出のぎっしり詰まった、心ときめく10日間を過ごした。

広い、広い。ほんとうに広かった。地図で見た時には、北京から内モンゴルのフフホトまで、ほんの少しの距離のようだけど、実際は550kmもある。東京から秋田くらいか? 今回、北京 → フフホト → 大同 → 太原 → 北京と移動した。けっこう移動が長かった。

初日、北京到着後、なかなかガイドのカクさんに会えず、北京空港の中を右往左往する。全く言葉が通じない。
そして、やっと出会った後、カクさんに全員集合写真を撮ってもらう。(写真トップ)
古賀さん、安井さん以外、みなさん初対面の人たちだけど、鈴木さん、米谷さん、津村さん、大熊さん、好奇心旺盛で、エネルギッシュな人たちばかり。カクさんには、その後、7日間お世話になる。

北京からフフホトに向かう。空も大地もだんだんと広くなっていく。



■内モンゴル

フフホトに1泊した翌日、内モンゴルのシラムラン草原に向かう。
内モンゴルでのガイドは、モンゴル民族のアラタン君。現在中国の94パーセントは漢民族が占めているとのことである。



シラムニン草原に着いたとたん、お酒をふるまわれる。アラタンさんから挨拶は、モンゴル語でするようにといわれる。
モンゴル語でこんにちは=センベーノ。
ありがとう=バイッラ。



ガイドのカクさんとアラタン君。





内モンゴルでは、パオに泊まる。ベッドとトイレと水のシャワーがあるだけの簡素な作り。




広々としたところに。ぽつんとパオが建っている。



「モンゴルの草原」↓ クリック




■中国の旅・1・101112