東経138度35分26秒
台風9号の残した爪あとは、思いのほか深刻だったようだ。
過去の大災害を経験した人から見ればさほどと思われるかもしれないが、身近な場所で起こった出来事は身にしみて怖さを感じるものである。
上信越道の富岡~下仁田間は最後まで通行止めが続いたし、横川に近い霧積温泉では宿泊客がヘリコプターで救助された。
一段落着いたと思ったら、今度は南牧村の最奥部で閉じ込められている集落があるという。
周辺の道路が各所で分断され、命綱の自動車が使えず、外部からは徒歩で救援に向かっているとの報道だった。
ニュースの陰で、この地区の住民の平均年齢は日本で最年長だとか思わぬ事実が明らかになったりする。
ひとたび災害に見舞われたら、連絡の手段を失う。電線もめちゃくちゃになって真っ暗闇の世界に放り込まれただろう。
携帯電話もおそらく圏外地域だと思うし、そのせいか孤立が明らかになったのは台風が去って一日二日過ぎたころではなかったか。
地区住民の平均年齢の話は、どんな状況説明よりもリアルに孤立の生々しさを伝えている。
前回、たまたま遭遇した台風被害の様子をレポートしたが、その後も急には復旧できない現場もあるので画像をお届けする。
幹が折れた大木、倒れて横たわる巨木とともに映っているのが、表題にした経度標識の柱である。台風の通り道とも重なり、象徴的なので取り入れてみた。
この画像の奥には見事な屋敷林が広がっていて、通るたびに手入れのよさ管理の素晴らしさに感心していたのだが、一夜にしてフェンスまで巻き込んでの惨状を呈する結果となってしまった。
一本二本ではない。十数本の唐松が根こそぎズッテンドーとひっくり返っているのである。
あらためて自然が秘める力のすごさに驚嘆するとともに、日頃眺めていた大木の林が、今まで平気で立っていたことの方が奇跡に思えてきた。
見上げるほど高く聳えていた木々が、あまりにも地中浅くしか根を張っていないのを目の当たりにして、火山灰地と唐松の相関に思いを馳せたのだった。
<日常の死角>
自然に限らず、人間の営みの中にも同様のことがしばしば起こる。
大きいもの、華やかなこと、長年月繁栄が続くと信じていたことが、ある日突然終焉を迎えたりする。
嵐がもたらした傷口に、自分の曇りがちな目をこすって見入った次第である。
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