(ケサランパサラン騒動記)
景気も悪いし、人の心も悪くなった。
上から下まで、無責任と開き直りのオンパレードだ。
こんな世の中を立て直すには、必殺仕置人のような男が必要だ。
雷太をリーダーとするエリート・オト狂三人組は、昼間から町外れのジャズ喫茶に集まって、これからの世直し計画について額を寄せ合っていた。
時は1979年春、まだロッキード事件のごたごたが続いていて、社会全体がてんやわんやしていた頃である。
列島改造で建設バブルが空前の仇花を咲かせたのはいいが、その後の長い不況が影を落としていた。
国土を虫食い状態にした責任をトップに取らせようとする動きが、この事件追及の背景であったかもしれない。
あるいは日中間の交流が過剰に進展しないよう、アメリカが陰で動いていた可能性もある。
いずれにせよ強大な権力が急激に力を失い、そのエアポケットを突く形で、社会のひずみ、家庭の崩壊が顕著に現れた。
インテリ暴走族の雷太は、暴力的な目立ちたがり屋と誤解されながらも、筋の通った正義漢として世の中の出来事に憤慨していた。
「船長、ちょっと面白い話を小耳にはさんだんですが、聴いてもらえますか」
オートバイ仲間のリーダーを、あえて船長と呼ぶセンスが彼らの持ち味だった。
源吉は資産家の親父がメグロ・Z7「スタミナ」の愛好家で、自身もカワサキZ200「ゼッツー」を乗りまわす親子二代のバイク狂だ。
「なんだい? ボーボー族のヤツらに因縁でもつけられたか」
雷太が、でかい目玉をギョロリと剥いて見返した。
ボーボー族というのは、暴力的な暴走族をさす彼らの隠語である。
源吉はドライブテクニックもメカニックも抜きん出ているが、気の弱いところが玉に傷だった。
「いや、そんなおっかない話じゃないんですが」
源吉が周りを見回して声を落とした。「・・・・実は、知り合いの質屋の蔵からある物が盗まれたんですよ」
「ある物って何だい? そんな持って回った言い方じゃ分からないよ」
「へえ、それがね、当人から話は聞いたんですが、要領を得ないんですよ」
「じれったいな、盗まれたのはダイヤなのか、金の延べ棒なのか、高級腕時計なのか、はっきりしろよ」
雷太にせっつかれた源吉が、可笑しそうに口を押さえた。「・・・・いやいや質屋の私物で、質草ではないんですって」
「なんだ、間抜けな泥棒だな。金庫にはお宝がいっぱい詰まってるだろうに」
雷太は、自分がドジを踏んだように苛立った。
「どうもね、最初から貴金属なんかには目もくれずに、蔵の棚に置いてあったケッタイな物だけを持ち去ったらしいですよ」
「変な野郎だな、質屋の鑑札とか土地の権利書みたいなものが目的か」
「さあ、それだったら理解できますけどね・・・・」
源吉は、内心得意な様子で鼻先をピコピコさせた。
「この野郎、さっさと言わないと、ぶっ殺すぞ」
とうとう雷太の怒りが爆発した。
「へっ、怖・・・。質屋の親爺がいうには、盗まれたのはケサランパサランという得体の知れない物らしいです」
「なんだ、いま評判のパヤパヤした綿毛みたいなものじゃないか。そんな物どうして蔵なんかに仕舞っておいたんだ?」
雷太が腑に落ちない表情で訊いた。
「暗い所で、おしろいを餌にして育ててたらしいです。放っておくと、いつの間にか増えるんだそうです」
源吉が声を潜めて雷太の顔色を窺った。
「あのパヤパヤした奴がか・・・・。新聞の写真で見たけど、あんなの生き物じゃないだろう」
「いやいや、それが長い時間をかけて成長するらしいです」
源吉が自信ありげに言うものだから、雷太も少しずつ興味を持ち始めたようだ。
「で、その質屋はどんな飼い方をしてたんだ?」
「穴の空いた桐の箱に入れて、一年に一回しか見ないように気をつけていたそうです。一日二日じゃ分からないけど、明らかに変化がみられるとか」
代々言い伝えられたやり方を、質屋は現在に至るまできちんと受け継いできたのだと付け加えた。
「なに、親の代からの引き継ぎか」
「いや、もっともっと、先代だけでなく、先々代、先先々代・・・・その先まで、始まりは江戸時代までさかのぼるそうですよ」
「ひぇー、そんな古い生き物じゃカビ臭くて不潔だろう。そんなもの盗まれてちょうどよかったんじゃないか」
懸命に説明する源吉を終始疑わしげに眺めていた雷太が、結局は突き放した。
「あのねえ船長、ケサランパサランは家の守り神みたいなものなんですって。一族の繁栄をもたらす幸運の象徴として、大切に育ててきたんですよ」
「じゃあ、その質屋の繁盛を妬んだやつが嫌がらせをしたわけか」
「だから、最初から腹が立つと言ったでしょう?」
他人の成功や幸福を許せない狭小な精神の持ち主を、生理的に嫌う様子が滲み出ていた。
「おまえの知り合いだから腹が立つんだろうが、俺にはどうでもいいことだ」
雷太は、質屋という商売をあまり好ましく思っていないようだ。「・・・・そんなことより、ドラフト破りのエガワに俺はよっぽど腹が立つんだ」
空白の一日とかいう盲点をついて巨人と契約した逸材に、世間はひっくり返るほど大騒ぎしていた。
雷太は、いつの間にか怒りの矛先をドラフト問題に向けている。
源吉から見れば、非難すべきは一選手であるエガワではなく、巨人という球団にあることは明白なのに。
「あーあ、人の幸せを盗む新手の泥棒を捕まえて世間にアピールしようと思ったのに、船長まったく理解してくれないんだからなあ」
「バカか、質屋からケサランパサランを盗み出した泥棒の方が、よっぽど筋が通ってるだろう。金持ちの鼻を明かす義賊のようなものじゃないか」
自分らの利益ばかり守ってきた支配層に一撃を与える快挙だと誉めそやした。「・・・・どうだ、俺たちも昭和の鼠小僧になってみるか?」
千両箱を盗み出して配るわけにはいかないから、会社の社長や店主が後生大事に守っているものを引きずり出して、笑い物にしてやろうというのだ。
「ええ―?」
せっかく世直しの相談を始めたのに、雷太と源吉の意見は一致しそうになかった。
だいたい自分たちが大金持ちの世話になっていながら、そのことを自覚しているのかどうか。
源吉は半ばあきらめて、船長の心の動きを推し量ろうとしていた。
チャン、チャン、チャチャ、チャチャ、チャチャ、チャチャ、チャチャーン、チャー・・・・UFО。
源吉の単車から、騒音を縫うようにピンクレディーの曲が大音量を放っていた。
雷太は、愛車のシトロエンT120Rを駆りながら、身体を揺すってオト狂二人と雁行を繰り返した。
「おい、きょうの風は気持ちいいな」
大月インターから富士五湖に向かうバイバス上である。
河口湖畔で「第一回全国ケサランパサラン展示即売会」が開催されるので、三人で駆けつけようというのだ。
雷太の隠れスポンサーに働きかけ、思いつきで始めたようなイベントだ。
最優秀コレクションには、売れなくても100万円の賞金を出すという触れ込みで、今回のケサランパサラン展を仕掛けてもらったのだ。
事務局となった赤坂の事務所には、写真付きの応募書類が五十数点寄せられた。
それこそピンキリで、長年自宅に保管してきたものもあれば、見よう見まねでそれらしいものを拵えた様子のものもあった。
隠れスポンサーからこっそり見せてもらい、雷太は由緒のありそうな品を数点マークしておいた。
その点、来歴をしっかり書いてもらったから、注目すべきコレクションはすぐに見分けることができた。
「ほう、結構いいものが来てるじゃないか。100万円の効果はダテじゃないよ」
雷太は一通一通検めながら、目論見通りの展開にニンマリとした。
一つは、盗まれたという質屋のケサランパサランが応募品に混じっていないか確かめられること。
二つ目は、ケサランパサランについての情報を集中的に集められること。
三つ目は、地方都市での全国ツアーを開催し、いまだ秘蔵中のケサランパサラン愛好家をおびき出す手段にできること。
「後生大事に仕舞ってあった秘蔵品でも、有難味のわからないバカ息子が100万円につられて持ち出してくる可能性もあるからな・・・・」
雷太は自分の狙いを、源吉ともう一人の仲間に説明した。
「なるほど・・・・」
三人は半ば目的を達成したような気分になって、富士五湖へ向かうバイパスを突っ走っていたのである。
会場は、湖岸の駐車場の一角に設けられた特設展示場だった。
大型テントを張って、三日間限定で開催するのだ。
もちろん入場無料、展示品と出品者の情報を確かめるのが目的だからあっさりしたものである。
ケサランパサランという特殊な展示品に興味を持つ者だけが、当初からのターゲットだった。
その代わり、マスコミへの事前PRは念入りにやった。
雷太が把握した限りでは、初日にテレビ局が二社、新聞雑誌は合わせて八社が取材に訪れた。
昼のニュースと夕刊各紙には、ケサランパサランの解説を含め、昨年からのフィーバーぶりが紹介されていた。
近ごろのような不安定な時代には、このような得体の知れないものが流行するという論調でほぼ統一されている。
雷太はケサランパサランの由来に関して、源吉から聞いた話のほかに実にさざまな説が流布していることを知った。
新聞・テレビから抜き出しただけでも、十指に余るほどである。
曰く、なるようになるわ・・・・と歌う「ケセラセラ」からの命名。
いやいや、梵語から変じた仏教の「袈裟羅婆沙羅」が語源だという説。
風に乗って空中を飛ぶ綿毛の連想から、パサパサと乾燥しきった状態を名称に採り入れたという主張。
花の冠毛に似ているところから、ドライフラワー風の加工を施してある物ではないかとする見方。
正体がはっきりしない物を指す東北地方の方言が、ケサランパサランの原義という言語学者もいる。
(それなら、チャランポランの成り立ちも似ていないか)と雷太は思う。
その他フランス語だ、スペイン語だ、日本の幼児語だ・・・・と、面白おかしく語義解説が披歴される。
終いには、古来からの未確認生物だと言い出す際物出版社社長まで引っ張り出される。
河童や天狗、それにツチノコ、ヒバゴンと並び、目撃されたことのある日本古来の謎の生物にちがいないと興奮する始末。
テレビ・新聞とも、はじめから話題作りと承知の取材だから、巷間流布されている話を最大限ふくらませて読者に提供した。
「おお、まあ、よくいろんな説を捜してきたもんだ」
雷太は、夕刊紙、スポーツ紙を並べて悦に入っていた。「・・・・ケサランパサランは、妖怪ともいわれているそうだぜ。おまえ知ってたか」
雷太が、源吉に向かって記事の一つを指さした。
「うん、それは知らなかった」
「そうだろう、植物でも動物でもないとすれば、妖怪ってところがお似合いだ。先祖代々、強欲を育ててきたんだから、よくよく不埒な奴じゃないか」
綿毛風のケサランパサランとは異なるが「ヘイサラバサラ」というのもあるらしい・・・・と、源吉が言った。
そういえば、動物の腸から出てくる硬い石のようなものを、難病の治療薬として高貴な人に処方した漢方医の記録もある。
また、ある地方では、鷹に捕食されたネズミの排泄された毛玉だという説もある。
古い風土記のたぐいにも、それに関する二、三の記述が見られるという。
雷太は、誰かの研究として聞いた覚えがあるものの、あまりにもイメージと違うので直前まで思い出せなかった。
彼らが展示場で目にしたものは、予想を超えて千差万別、多岐にわたる異物だらけだった。
テレビで報道されたこともあり、河口湖の特設会場にはたくさんの来場者が押し寄せた。
ガラスケースに収めた展示品を覗きこみながら、にわか仕込みの知識を恋人に披露したり、自分なりの見解を友人に示したりする者もいた。
雷太は参観者に混じって会場を移動しながら、周辺の人の情報を探っていた。
中に、地元の代議士秘書と思われる背広姿の男が紛れているのを発見した。
「こいつを先生の選対事務所に置けば、勝利間違いなしですね。買って行きましょうか」
二人の若い男が、ひそひそと言葉を交わしている。
展示品の前に貼られた説明文のカードを読みながら、「・・・・ほら、アザミの冠毛に似ているが、必ずしも植物とは断定できないって書いてあるよ」
「そうだな、鑑定みたいなものが付いているから、信用できるだろう。それに、うちの浅見先生に名前が似ているし・・・・」
人間は、コトバ一つをもとに、さまざまに連想をふくらませる生き物だと思った。
ケサラン、ケセラン。アザミと浅見・・・・。都合よく思い込みを広げていく。
名称にも実体にもこれといった定義がないから、動物、植物、さらには鉱物まで、われこそケサランパサランだと名乗りを上げてくる。
もともとの語源にしても、中国、インド、チベット、モンゴル、ポルトガル、日本の東北地方とさまざまな説が唱えられている。
故事来歴もでっち上げて飾っておけば、田舎の有権者を騙すぐらいのことはできそうだ。
よし、この秘書たちに売りつけて、その上で品物を奪ってやろうと、雷太はターゲット第一号を決めたのだった。
人混みから盗み見ていると、秘書らしい人物二人は目当てのケースの前で持ち主と交渉していた。
「このコレクションは、いくらするんですか」
「え? まだ、値段は決めていません。・・・・妥当な値段で売れればいいと思いますが」
持ち主の青年は、買い手らしき者があらわれたことで、すっかりあわてていた。
「これは本当のケサランパサランですか」
「それは間違いありません。子供のころから面倒見てきましたから・・・・」
ということは、少なくとも二十年以上昔のものかと買い手が訊いた。
「僕の前には母が育てていましたから、三十年どころか五十年も前のものと思います。いまとなっては形見みたいなものです」
「それを手放したら、あなたの運命が変わってしまうんじゃないの?」
「・・・・」青年は言葉を失った。
「ご一家は、幸せだったんでしょう?」
「はい、でも、いつまでも母に頼って生きていくわけにはいきませんから」
政治家秘書は、青年の心中を察したようにしんみりとした表情を見せた。
雷太も傍に近寄って、思わず二人の顔を盗み見た。
やっつけてやろうとした政治家秘書も、心の中の賜物を手放そうとする青年も、雷太の思い込みに反して純粋な輝きを放っていた。
(ケサランパサランというものは、不思議な存在だ・・・・)
名前も形も、これでなくちゃいけないという決まりがない。
しかも、それを所有する人間の心を映して、醜くもなれば美しくもなる。
わけのわからない存在だからこそ、人を魅了し、惑わせる妖怪にもなる。
雷太が考えた悪者のイメージは遠ざかり、あるがままに放っておけば自然に消えていくのだと悟った。
青年のケサランパサランは、結局十万円で政治家秘書に引き取られた。
せいぜい一、二年の騒ぎの中で、人と人の心が交わり十万円の値が付いた。
間もなくフィーバーが去れば、誰も見向きもしなくなり、五百円でも引き取り手がなくなるに違いない。
「ありがとうございます。こいつ、ずっと生きてきたものですから、空気の通りと餌のおしろいを忘れないでください」
青年は二人の秘書に頭を下げた。
雷太にとっては、拍子抜けするような展開となった。
振り上げた拳の持って行き場がないのだ。
質屋から盗まれたというケサランパサランも、百数十年も蔵の中で生活しているうちに解脱してしまったのではないか。
ならば質屋の欲にも、泥棒の悪心にも煩わされることはないはずだ。
世の中の立て直しのために、日本中のケサランパサランを掃討しようなどと意気込んだ自分がピエロのように見えた。
「さあ、きょうのところは帰ろうか」
雷太は、両手を肩の高さに挙げ、ひょこひょこと身体を左右に振った。
すべて、意味のないことに意味がある。
世直しの世迷言でも、椅子から立ち上がっただけの価値はあるはずだ。
船長雷太は、キョトンとするインテリ・オト狂メンバー二人をうながし、春富士を背に帰路についた。
(おわり)
どんなに実用的なものであっても、ネーミングやデザインで不思議な価値を付加されている。
あれが単に『汚れ落したわし』だったとしたらあれほど歴史的商品にはなっていなかったような気がするのですが。
すいません変なところへ脱線してしまって。
ケサランパサランが口の端にのぼったのは、たしか1978,9年のこと。
現在40歳未満の人は、その存在を聞いたことすらないのではないかと思われます。
ところが、後にこれを社名にした化粧品会社があるらしく、いまもブランド化粧品として売られているのはネーミングの威力でしょうか。
亀の子たわしは、どのような経路でそうしたネーミングになったのか興味がありますね。
社会の出来事には、偶然性とある種のあやふやさがあり、おっしゃるとおり人間の想念と無縁ではないようです。
「ケサラバサラン」という名称(?)、聞いたことがあるような、ないような。
ただ、この短編小説には昭和のあの時代の雰囲気が濃厚に伝わってきます。
窪庭流の物語は、そんな時代考証がいつもしっかりしており、感心します。
そんな時代に、あんなこと、こんなことが起こりそうだということも、よく感じさせてくれますね。
結果的に大事なポイントというか、結末は、読者任せというところは、さすがです。
印象に残るのは、登場人物で、今回は雷太と源吉という若者です。
あの頃、あんな若者が確かに存在していましたね。
読ませてもらって遠い時代に引き戻されました。
ウィキペディアの説明によると、やはり江戸時代から出現した羽毛に包まれた不思議な生物らしいですね。
われわれが肌感覚として持っているものしか書けませんから、記憶を補強してなんとか主張のあるものに置き換えています。
当時も現代も、ネーミングに踊らされているようです。
商品だけでなく、政治や経済も。「消費税」然り「TPP」然り。
得体の知れないものに、それぞれの作為や解釈をつけて、誘導する。
そういえば「郵政民営化」もそうでしたね。それを扱う人の心次第で、どうにでもなって行く気がします。