どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)79 『蝶の見た夢』

2012-10-25 03:39:25 | 短編小説

     (蝶の見た夢)


 サナエちゃんは、いま「リコン」の危機におちいっていた。
 学校から帰ってきて、ドアをあけたとたんに、パパがママをなぐるのを見てしまったのだ。
「あなた、わたしをなぐったわね。わたしやサナエには絶対に手をあげないって約束したのに、ウソついたのね・・・・」
 ママはひざを突いたまま、下からパパをにらんだ。
 そしてくるりと振りかえり、サナエちゃんを抱きしめた。
「だいじょうぶよ。心配しなくてもだいじょうぶ・・・・」
 ママはサナエちゃんの背中を何回もなでおろした。
「おまえが、しつこくボクをうたがうから悪いんだ。亭主のいうことを信用できないんなら、リコンでもなんでもすればいいんだ」
 きのうママが言った言葉を投げ返すように、パパが大声をあげた。
 怒った顔でもっとなにか言いたそうだったが、サナエちゃんのおびえた様子を見て、それ以上どなるのをやめた。
 ママもパパから目をそらして、言いあらそいをやめた。
「まあ、いい。・・・・ちょっと外へ出てくる」
 パパがバタンと戸をしめて、玄関から出ていった。
 肩を怒らせているが、サマーセーターの下の背中が不自然にそっていて、不安な気配をのぞかせていた。
「ママ、ほんとうにリコンするの?」
「さあ、どうしようかな。サナエちゃんといっしょなら、ママはかまわないわよ」
「わたしは、いや・・・・。同級生に母子家庭の女の子がいるけど、いつもカギっ子でさびしそうにしているよ」


 その日は日曜日で、初夏らしいあたたかい日差しが公園に降りそそいでいた。
 (パパはどこへ行ったのかな)
 藤だなのそばの植えこみを見ながら、サナエちゃんはぼんやりと考えこんでいた。
 (・・・・サナエが小さいころは、しょっちゅう遊園地やデパートに連れて行ってくれたのに)
 デパートの屋上で、ママがミニ動物園のクジャクに追いかけられてキャーキャー逃げまわったこともあったっけ。
 そのとき、サナエちゃんはパパと顔を見合わせて大笑いした。しあわせでしあわせで、涙があふれてきた。
 でも、最近パパはサナエちゃんともあまり遊ばなくなった。
 ほんとうなら潮干がりに連れていってもらいたいのだが、仕事がいそがしいからと相手にしてくれなかった。
 いつか休みの日に、ママと三人でお出かけできるだろうと期待していたのに、三度もつづけてことわられたのでママがヒステリーをおこしてしまったのだ。
「あなた、祝日だというのに出張だなんて変でしょう?」
「アメリカから大事なお客さまがきていて、伊豆までゴルフ接待に行かなくちゃならないんだ」
 パパは口をとんがらせて、ママに説明した。
「接待だったら、普通の日に行ったらどうなのよ。わたし社長さんに文句を言ってやるから。休みの日まで社員を引きずり出して、家庭をこわす気かって」
「おまえバカか。おれがまじめにやってるから、ボーナスだってたくさん渡せるんだぞ」
 パパが口をへの字にして言った。
「さあ、どうだか・・・・。ほんとは別の理由があるんじゃないの?」
「まったく、うたがい深い女だ。おまえは亭主のいうことを信用できないのか。あることないことモウソウしやがって」
 数日前にもそんなやり取りがあったのである。
 サナエちゃんは、パパの会社のことはわからないが、ママのいうことはわかる気がした。
 どんなに大事なお仕事でも、三回に一回ぐらいはママやサナエの頼みを聞いてくれてもいいのに、と。


 サナエちゃんが初めてこの公園で遊んだのは二年前のことである。
 パパの転勤で郊外の社宅に移ってきた翌日のことだった。
 季節はちょうどいまと同じころで、藤だなの手前の花だんにはポピーやルピナスの花が咲いていた。
 ことしはハナニラとスズランが白い花をきそい合っている。
 オダマキの青がめだつ程度で、ほかにはカタバミの黄色が花だんの周囲に自生していた。
 初めて公園デビューした日、ピンクのポピーと赤や紫色のルピナスが印象深かった。
 その時にくらべて、ことしの花だんはどこかさびしげに見えた。
 サナエちゃんは、またパパはどこへ行ったのだろうと考え、ママのこわい目をおもい出した。
 叱られて、しかられて・・・・。
 サナエちゃんの一番きらいな歌が、耳によみがえった。 
 ママにないしょで川遊びをした時、「うそつきは家に入れない」と唇をふるわせておこられた。
 玄関のカギをしめられ、いくらあやまっても開けてもらえなかった。
 それなら家出してやるから、と泣き泣き公園に向かった日のかなしい気持ちが、胸のあたりを突き上げてきた。
 きょうは自分が叱られたわけでもないのに、しょっぱい味の童謡がくりかえし頭のなかでひびいていた。
 (わたしも家にもどったのだから、パパもきっとかえってくる・・・・)
 サナエちゃんは、涙をこらえて花だんをにらんだ。悲しい色の花ばなが目の中でにじんだ。
 ひらひらと涙の海をおよいでいるのはなんだろう。
 サナエちゃんは、こらえようとしても湧き出てくるナミダのゴミだろうと考えた。
 目のよごれがはがれ落ちて、あっちこっちに貼りついているのだろうとおもった。
 (なに?)
 それは、ちいさなシジミ蝶だった。
 シロツメグサにまつわりついたあと、ハナニラをかすめてカタバミの黄色い花にとりついた。
 ひらひら、ひらひら、くすんだ紫のハネをいそがしく動かして、シジミ蝶が飛びまわる。
 みつを吸うのに夢中で、そばにたたずんでいるサナエちゃんを無視したように低い場所を横うつりした。
 (わたしのことなど、目にも入らないのね?)
 女の子が泣いているのに、自分だけ遊びに夢中のシジミ蝶をにくらしくおもった。
 (・・・・そうよ、どうせ嫌われものの青虫だったんでしょう。見たくないから、あっちへ行って)
 サナエちゃんは、足もとの小石をひろって投げつけた。
 石はねらいがはずれて、近くのハナニラの花にあたった。


 ハナニラの花べんがゆれ、みどり色の葉の中心から水滴がとびちった。
 いっしゅん、みどり色の血液が花だんの土をぬらしたように見えた。
 サナエちゃんは、ハナニラを痛めつけてしまった光景を目にしてびっくりした。
 シジミ蝶にはあたらず、思いもしないものを傷つけたことにショックをうけていた。
 (おまえが悪いから、わたしがランボウモノにされてしまったじゃない・・・・)
 サナエちゃんは、自分がこまった立場におちいっているのに、カタバミから飛び立ちもしないシジミ蝶をにくらしくおもった。
「だいっきらいなシミシミ蝶!」
 ママがいつもおそれている顔のシミをおもいだして、にくらしいシジミ蝶をののしった。
 もう一度かがんで石をひろい、一歩ふみこんでシジミ蝶に投げつけた。
 こんどはシジミ蝶に命中した。そう見えたのに、いっしゅん早く身をかわして蝶はオダマキの陰にかくれた。
 カタバミの小さな花が石になぎたおされて、地面にちった。
 (あっ・・)
 目の中で黄色の花火がはじけた。こなごなになった破片が、おそろしい勢いでサナエちゃんをおそってきた。
「ああっ」
 破片とおもったのはシジミ蝶だった。
 オダマキの青紫の花のかげから、汚れた破片のような蝶がまっすぐ飛びかかってきたのだ。
「あああっ」
 サナエちゃんは悲鳴をあげた。
 手で顔をおおった。
 低いところを、みじかい距離、ひらひらと横うつりしていた蝶が、サナエちゃんの目をねらって突きすすんできたようにおもえたからだ。
 キャー。
 サナエちゃんは、濃いふちどりの蝶のハネが大きな目玉に見えて、しりもちを突きそうになった。
 こわくて、こわくて、その場に立っていられなかった。
 サナエちゃんは、向きをかえて逃げ出した。
 公園の植え込みの道を、泣きながら走った。
 ときどきふり返ると、シジミ蝶はどこまでも追いかけてきた。
 サナエちゃんは、公園の外に飛び出した。
 ちょうど走ってきた自転車にぶつかりはね飛ばされた。
 救急車で病院に運ばれたサナエちゃんは、まる一日ベッドのうえで眠りつづけていた。


 眠っているあいだに、サナエちゃんはヘンテコな夢を見た。
 サナエちゃんが蝶になって、ツバメに追いかけられている夢だった。
 目にもとまらない速さで低空飛行するツバメのくちばしが、蝶のハネをかすめた。
 サナエちゃんは眠ったまま「ううっ」と、うめいた。
 自分の顔をかすめて飛び去ったシジミ蝶に対する恐怖が、そのままツバメにねらわれるキョウフとかさなった。
 サナエちゃんは、あっという間に女の子から蝶に入れかわるのだ。
 緊張のために手をにぎりしめ、ブルブルとふるえた。
「サナエちゃん、目をさまして・・・・」
 ママの声が遠くからきこえた。
「サナエ、しっかりしろ!」
 パパも大きな声で呼びかけている。
 (ああ、パパ帰ってきたんだ)
 あんしんして、サナエちゃんの手から緊張がとけていった。
 手だけではなく、肩からも足からも力がぬけてだらんとなった。
 そばにいて様子をみていた看護師さんが、サナエちゃんの手首にそっと指をそえミャクをとった。
「あら、ミャクハクがゆっくりになったわ。さっきまで、なにかこわい夢でもみていたのかしら」
 サナエちゃんの夢の中から、シジミ蝶が飛び去った。
 ツバメも、おそってこなかった。
 点滴のクダもゆれなくなった。
「もう、だいじょうぶですよ」
 ママとパパに話しかける看護師さんの声が、サナエちゃんの耳にもとどいていた。
「もう、だいじょうぶなんだ・・・・」
 浅くなった眠りの中で、サナエちゃんはニッコリほほえんだ。
「あら、この子わらってる」
 ママが毛布の下に手を入れて、サナエちゃんの手をにぎった。
 サナエちゃんは、ママのぬくもりを感じながら、目ざめることにしようか、このまま眠ったふりをしようか、まよっていた。
 目をさますと、きっとママとパパがベッドの両側に立っている。
 ママは泣いてしまうだろうが、パパの顔を見てなんと言おうか、まだコトバをさがし出せないでいたのだった。
 (ちょうちょさん、ごめんなさい)
 一番先に頭に浮かんだのは、そのコトバだった。


     (おわり)



 

 


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