(猫)
素封家の新座右衛門には、なかなか跡取り息子ができなかった。
二十歳の時に嫁に来た最初の妻は、五年間生活を共にしたが子ができずに離縁した。
二度目の嫁も、妊娠はするのだが五か月目を待たずに流産し、二度三度と失敗して自ら実家に出戻った。
新座右衛門に子種があることは明らかだから、すべては女の側の問題として片付けられた。
三度目の嫁にも子ができないと分かった時、三十五歳を超えて焦りの見える当主は、飼い猫のタマに疑いを持った。
人づてに、猫が好きな女は子ができにくいと聞かされたからだ。
タマはもともとこの家で飼われている三毛猫だ。
最初の結婚のときから新座右衛門の家にいたから、猫好きの嫁が連れて来たというわけではない。
それでいて嫁が猫好きに見えるのは、いつの間にかタマがすり寄って甘えるようになるからである。
タマには人の心を蕩かす特技があったのか、新座右衛門には近ごろそのように見える。
三人の嫁はそれぞれに、亭主に気に入られようとしてタマを可愛がっていただけかもしれないのだが・・・・。
いずれにせよ、新座右衛門の中ではどうもタマを信用できないといった気分が強まっていた。
もともと物を扱う商売柄、ネズミ避けに猫を飼うのが当たり前の家風であった。
子供のころから新座右衛門のそばには猫がいたから、その存在に疑念を抱くなどあり得ないことだった。
しかし気が付いてみれば、十数年も生きてきた古猫が昔と変わらず滴るような毛艶を失っていないのだ。
ひとたび疑い始めると、タマの存在そのものが不気味に思えてきた。
初代の新座右衛門は、江戸の台所と呼ばれる川越藩にあって、領内や近郊からの物資を大量に扱う商人の一人として財をなした。
藩公認の商人として力をふるった頃には、やみくもに扱い商品を増やそうとせず、商人間で得意とする品物の振り分けが行われた。
新座右衛門一族は、扱い産品の一つとして当時から有望視されていた茶葉の生産と流通にたずさわった。
もちろん商人ごとに扱い商品の得意があり、有名なさつまいもで財をなした者もいる。
梅干しや味噌などの加工品、切りぼし大根、鮒の甘露煮等の乾物を主に扱う商人もいた。
中には川越街道を行き来する佐久からの産品を商って、貪欲に利を積み上げる商人もいた。
新座右衛門一族の中には、明治から大正期にかけて絹製品の輸出に手を染めた者もいる。
上州富岡の製品を横浜へ中継し、世界的なシルク人気の恩恵にあずかったのだ。
茶の栽培のほか、養蚕、農産物加工業、運送などに携わった関係で、いつの間にかかなりの土地を取得する成り行きとなった。
十七代新座右衛門が不動産業まがいの商売に転進したのは、さしたる労働をともなわなくても稼ぎができる仕組みができあがったからだ。
代々の富がもたらした収益構造の変化ともいえる。
そうはいっても、延々と続いてきた商家の血を絶やすわけにはいかない。
なんとしても直系の男子を産ませなければならないのだ。
跡取り息子がほしいという感情は、新座右衛門の中で強迫観念に近いものになっていた。
子を授からない原因を当初は嫁となった女たちに求めていたが、今では猫のタマに何かの原因があるのではないかと疑念を抱く毎日だった。
考えてみれば十数年当家に住まい、金色の目で新座右衛門と嫁たちの動向を見つづけてきた。
その間、三度の婚姻と二度の離縁を見届けている。
女たちの去就を平然と見送り、新座右衛門の焦りを煽ってきたような気がする。
そのくせ新しい嫁が来るとたちまち打ち解け、新座右衛門の眼を盗んで嫁の寝室にまでもぐりこんでいるようだ。
(猫に気を許した女は子を産めなくなる・・・・)
言い伝えられてきた話が、にわかに信憑性を帯びてくる。
一度気にし始めると何もかもが疑わしく、それまで見過ごしてきたタマの動きが気になって仕方がない。
新座右衛門は、嫁と週に三度は閨をともにしていたのだが、ある策略を胸に秘めて周囲に伏線を張った。
「いやあ疲れた。齢のせいかお務めがしんどくなってきたわ。なんぞ精のつくものを食わしてくれんかな」
嫁には折にふれて子作り回避の言葉を口にし、間遠になった接触の言い訳をしておいた。
週に二度から一度へと通う回数が減ると、嫁の方でもほっとした表情を見せるようになり、それまでの重圧が取り除かれたようだ。
それでも新座右衛門のために信州特産の鯉を取り寄せ、鯉こくを作って精をつけさせた。
他に自然薯、蚕のさなぎ、行者ニンニク、蜂の子、ざざ虫などが供された。
あまり値の張る副菜とは言えないが、もともと商人という種族はケチにできているからましな方だった。
むしろタマの方が、海の幸を与えられてますます目の光をつよく放つ有様だった。
新座右衛門の策略が功を奏したのは、お務めを減らして半年以上も経った九月の初めのことだった。
年に一度の「川越ふくさ会」という豪商の集まりがあり、それへの出席のために十七代当主は昼から出かけていた。
「夜は帰れないかもしれないから、先にやすんでいていいよ」
例年会合が終わると、芸者をあげて夜遅くまで大尽遊びをするのがしきたりだった。
江戸以来いらぬ衝突を避け、共存共栄を図るために編み出された談合機関のようなものだ。
利権の保全のために一部の商人たちが作りだした秘密めいた組織で、野火止用水の管理や新河岸川の舟運など、要所の鑑札に当たる権利を手中にしていた。
かつての米穀取引所、豪商の手になる商業銀行、農産物の出荷や都会からの肥料運搬が目的の鉄道、それらを興した人物の末裔もわずかに残っている。
彼らに比べれば影が薄くなっているが、新座右衛門の営む不動産業もその気になれば資金の後ろ盾に不安はない状況であった。
「新座の旦那もここらで一念発起して、街の再開発に力を貸してくださいよ」
按排のいいことを言って、暗にけしかける者もいた。
「いやいや、少々体調を崩していましてね・・・・」
いい口実にして、会合を早めに辞すことにした。
飲み会の流れで芸者と一夜を過ごす予定を振り切るのは大変だったが、客の都合とあればやむを得ないだろうと押し切った。
呼び寄せたハイヤーにおさまって、平林寺に近い我が家に音もなく帰館した。
広い庭の中には乗り入れず、門の手前で降車しハイヤーを返した。
あとは勝手口から家の中に入り、あわててとび起きた下働きの婆やを手で制した。
「慌てんでいい。家じゅう起こすことはない」
おやすみとことさら念を押して、そっと襖を開けて自室に入った。
このところなるべく家内の手を借りずに着替えをしていたし、服など後から片付ければいいからと衣紋に架けて浴衣に腕をとおした。
隣りの部屋は事務所兼用の居間で、だだっ広い十畳間に生き物の気配はない。
昼間なら猫のタマは床の間の掛け軸の前でキチンと両手を揃えているはずだが、新座右衛門不在と察知すれば行くところは決まっている。
昼のパトロールはいつも通りの町内で、屋敷内の夜まわりをした後は嫁の部屋に移動してのうのうとしているのかもしれなかった。
いずれにせよ、嫁の寝室に入り浸っているとすれば何をしているのか。
微かな嫉妬も芽生えて、奥の閨に忍び寄った。
引き戸の隙間に爪を掛けてすうっと引く。
一瞬、刃物のような光が這いつくばる新座右衛門を斜めに斬った。
当主がそこに見たのは、うつ伏せの嫁の尻にタマが乗って薄物から透けて露わな腰をやわやわと揉む黒い肉球だった。
嫁はよほど気持ちがいいのか、うんうんと声を出してタマのなすままに身を任せている。
(やはり怪しげなことを・・・・)
明らかに異様な光景とは言えないが、その場の妖しい雰囲気は新座右衛門を得心させた。
「化け猫め」
がばっと立ち上がり、ガラリと引き戸を開けて嫁の寝室に踏み込んだ。
「あれ、旦那さま、今夜はお泊まりかと・・・・」
何が起こっているのかわからないまま、新座右衛門の形相に異常を汲み取っていた。
「どこかお加減でも・・・・」
会合で不愉快ごとでもあっての帰館かと、大慌てに事情を訊こうとした。
「おまえら、亭主の留守に乳繰り合っていたのか」
単にタマが自分の体に乗っていたというだけの認識だから、嫁はキョトンとした面持ちで新座右衛門を見返した。
しらを切るような嫁の態度を見て、新座右衛門の頭に血がのぼった。
「くそッ」
タマをめがけて持参の懐中電灯を投げつけた。
「あッ」
寸前飛びのいたタマの向こうに嫁の顔があった。
懐中電灯は眉間を直撃し、寝室の壁に当たった。
嫁の頬をひと筋の血が流れた。
タマは怖れをなして部屋を飛び出していった。
「大丈夫か」
「旦那さま、わたしが何か・・・・」
恨めしげに新座右衛門を見た。
「いや、おまえは知らないのかもしれないが、おまえより大きな化け猫がおまえに覆いかぶさっていたんだ」
いま見た光景を反芻するように説いて聞かせた。
(もう、あの猫は家には置かない)
明日、下男に言い渡して処分させる決心をした。
「二度とわしの眼にふれさせるな」
下男がどのように始末したのか、新座右衛門はあえて聞かなかった。
重しを付けて川に沈めたのか、それとも石で殴り殺したのか。
遠くに運んで、新たな飼い主に譲るという手もあった。
新座右衛門は内心ひそかにそれを望んでいた。
金色、純白、漆黒、どの色も際立っていて、それらが輝くばかりに調和した稀なる三毛だったから・・・・。
化け猫と怖れながら、千々に乱れる思いがあった。
自分の係累同様、子孫が断たれることへの未練があったのかもしれない。
甲斐あって、三度目の嫁に子を授かった。
待望の男の子だった。
だが跡取り息子は、生まれて幾日たっても、乳を飲み眠るばかりで活発に動くことはなかった。
七か月過ぎたとき、担当の医師が一つの結論を出した。
「世界にはこうした症例が幾つかあります。原因はわかっておりませんが、気長に治療していきましょう」
(生まれたときから眠りっぱなしの赤子、寝子・・・・)
眠り姫の童話にも、猫の名の由来にも、どこかで関わっていそうな不気味さがあった。
(おわり)
最新の画像[もっと見る]
- ポエム390 『茗荷のリボンが僕を呼ぶ』 6ヶ月前
- ポエム389 『朝顔抄』 6ヶ月前
- ポエム388『オクラ』 6ヶ月前
- ポエム386 『かぼちゃ野郎』 6ヶ月前
- ポエム385 『ジャガイモのフルコース』 7ヶ月前
- ポエム382 『黄色い百合』 7ヶ月前
- どうぶつ番外物語トピックス1 『アライグマ』 10ヶ月前
- どうぶつ番外物語トピックス1 『アライグマ』 10ヶ月前
- 茗荷の収穫 1年前
- 茗荷の収穫 1年前
ヤフーブログの問題点は、あとで調べてみます。
いろいろありがとうございました。
それが時代物とはいえ、状況や家庭環境などが分かりやすく説かれているからでしょう。
そこのところを著者は懇切丁寧に説いておられるので、思わずその素封家の世界に入り込めます。
ただ、主題のひとつは、子を産むことであり、そこに性がからみます。
その辺りの叙述はあまり深入りせず、ある程度、読者の想像に委ねた感じです。
これまでにも、女の性にまつわる創作をなさったと思いますが、今回の『猫』は一種の不気味さを漂わせています。
その語り口がまた見事なので、いつかまた読み返してみたいところです。
大変力づけられます。
表現に飛躍や省略が多いので、なかなか状況が伝えづらいかと心配していました。
なお新しいメールアドレスは削除しましたので、従来通り当ブログにリンクできるようになりました。
ご迷惑おかけしました。
文句なしの正常化です。おめでとうさんでした。
PCの限られた機能しか使っていないのに、いろいろ戸惑うことがあります。
サイトによって、囲い込みの意思が強すぎるのは却って嫌われますね。