(樹木葬)
東北地方の寺が、樹木葬の希望者を募集しているというので、慎平は妻と連れ立って秋の行楽がてら見学に行った。
ここ数年で認知されるようになったとはいえ、一般的にはまだ馴染みの薄い埋葬形態であった。
還暦を迎えた頃から、自分の墓所をどうするか、ときどき意識にのぼらせるようになった。
親の庇護から離れた次男と三女の所帯だから、新たな墓地を探さなければならないとの思いがあった。
そうはいっても、都会で墓地を購入するにはかなりの費用がかかる。サラリーマンの安給料では、なかなか手が届きそうにない。
ビルの一室に納骨できるマンション形式の墓もあるが、なんだか窮屈そうで気乗りがしなかった。
思い出しては少し考え、そのまま忘れてまた日が過ぎる。
そうした繰り返しの中で、樹木葬の存在を知ったのである。
カーラジオで情報を聞き、インターネットで調べてみた。
岩手の坊さんが日本で初めて企画したという墓苑をはじめ、関東各地から京都の寺まですでに十箇所以上が樹木葬の開設を宣伝していた。
慎平夫妻は、旧来にこだわらない性格である。
似たもの夫婦を自認するほど、気が合う考え方をしていた。
樹木葬についても、のびのびとした自然環境の中へ葬られるなら、既存の墓地を探すより善いのではないかと意見が一致していた。
第一、見栄を張った墓石を刻む必要がない。
(重い、暗い、湿っぽい・・・・)
先祖代々の墓については、そんな印象しかない。
因習的なイメージの墓石群に飲み込まれるより、花木の下にひっそりと埋もれる樹木葬の方がよほど意に沿う形式だった。
子供たちは親の墓を必要とするだろうか。
聞いてみたことはないが、毎年墓参りを強要するようなやり方は嫌われそうな気もした。
それに引き換え、慎平夫婦の好きな辛夷や山桜が墓標なら、喜んで足を運んでくれそうだ。
三十年も前のこと、職場の先輩が肺がんで亡くなり、長瀞に近い山奥の寺に納められた。
全山萩が群生する緩斜面で、段々に這い上がる墓域の最上部が疲れた魂の落ち着き場所となった。
「ああ、萩に見守られて眠っているのだなあ」
慎平は秋になるたび、埋葬のときの光景を思い出す。
(あのとき吹き渡っていった風は、山の斜面に赤紫の帯を流した・・・・)
樹木葬が話題になる何十年も前に、先輩は理想の埋葬地を選択していたのだ。
「あそこなら満足できるかも・・・・」
自分が死ぬことなどまるで意識したことのない年齢でも、憧れに似た感情を持った。
樹木葬に対する親和の気持ちは、その頃からあったような気がする。
現地を見学して帰ってくると、近くの温泉に一泊したにもかかわらず、妻の紀子が浮かない顔で疲れを口にした。
「樹木葬って、ちょっと寂しすぎるわねえ」
紅葉も終わりに近い季節だったから、山深い予定区画の木々もどこか末枯れて見えた。
「これから整備されるんだから、仕方ないじゃないか」
慎平が冷静に答えた。
「でも、実際に利用する人が増えるのかしら? それに、遠すぎるんだもの・・・・」
紀子の不安な気持ちは、慎平にも分からないではない。
「そりゃあ、今回は遠くまで行ったけど、近場にだって好い所はあるよ」
「たとえば?」
「千葉県とか、栃木県とか、温暖で手ごろな距離の場所があるらしいよ」
「ふーん、でも、何かの加減で墓地が消滅したりしないのかしら?」
でも、でも、と繰り返すのは、いざとなると樹木葬を身近なものとして受容できないからだ。
実際に、山野の花木の下に葬られた自分の姿を想像すると、寂しくて耐えられない気持ちになるのかもしれない。
人間だって、他の動物と同じで、単に生命を受け継いでいるだけだ。
先祖代々、子々孫々、与えられたDNAを受け渡す役割を担わされている存在なのだ。
時代の寵児として活躍しても、どんなに財を築いたとしても、いつか命は尽きるものである。
大きな墓を立て、後世に名を誇示したとしても、時間の問題でいつかは朽ち果てる。
ならば物欲、名誉欲の痕跡など残さずに、自然に還って行くのがいいのではないか。
仏教でいう悟りの境地に最もふさわしい弔い方が、樹木葬ではないかと思うのだった。
紀子との間で、そこまでの意見は一致していた。
だが、いざとなると及び腰になるのも、仕方がないことかもしれない。
「まあ、始まって十年ぐらいの歴史だから、心配なことは多々あるさ。ただ、樹木葬を手がけるのは由緒ある寺ばかりだよ。責任放棄なんてあり得ないさ」
寺の住職になったような気分で、一つひとつ疑問を解いていった。
今回見学した東北の寺もそうだが、立派な伽藍と檀家の一族が眠る墓地があって、その周囲に樹木葬の墓苑を設けようとしているに過ぎない。
何もない原野に、いきなり野蛮な墓域を設定するわけではないのだ。
妻はそれらを見てきたはずなのに、檀家だけでは維持できない昨今のお寺さん事情を憂えて、何かと不安を感じるようであった。
旅行ついでの見学会だったから、慎平もあわてて意見をまとめる必要がなかった。
いつ死が訪れるかは分からないが、平均寿命からすればまだ当分先の出来事だろうと思われた。
慎平は真面目に嘱託の仕事をこなし、年金受給開始までの数年を現役気分で過ごすつもりだった。
再び樹木葬が話題になったのは、新たに名乗りをあげた寺の裏山で、死体遺棄事件が発生したときだった。
犯人はすぐに捕まったが、自供の一部が漏れ伝わってけっこう注目を集めることになった。
「山の中だし、そのうち桜を植えた自然の墓ができるというんで、いっしょに埋めてやろうと思ったんだ・・・・」
夫婦喧嘩のはずみで女房を殺したあげく、不届きにも樹木葬予定地に遺体を埋めたと供述したのだ。
シャベルで掘った浅い墓穴に押し込んで、わずかな土と枯葉で覆っただけだからすぐに発覚することとなった。
きのこ採りの老人が発見したと報道されたものの、勘ぐれば山の小動物か野良犬が掘り返したのを見つけたのかもしれない。
「やーね、こんなことがあると余計に近づきたくなくなるわ」
紀子が、眩しげな目で慎平を見上げた。
樹木葬選択へのためらいを口にしただけでなく、夫も含め状況次第で何をするか分からない人間というものに不審をいだいた様子だった。
慎平は、図らずも妻が見せた疑いの表情にショックを受けていた。
自分が普段、紀子に不信を感じせる行為をしたことがあるのだろうか。
たしかに慎平だって、我を通そうとする妻を憎らしく思い、時には殴ってやろうかと思ったことはある。
日常的に気が合う合わないの問題ではない。
怒ったときは、意に反して冷酷な形相を示したかもしれなかった。
「使用許可も得ずに女房を埋葬するとは、まったくけしからん奴だ・・・・」
茶化すことで、思わぬ方向へ向かった思考を引き戻そうとした。
(散骨とごっちゃに考える輩も少なくないし・・・・)
樹木葬の肯定か、否定かの結論は、まだ当分出そうになかった。
ただ、はっきりしているのは、樹木葬を取り入れようとする寺が増えつつある時期に、今回の事件が水を差したという事実である。
事件の記憶が野ざらしのまま覆われるまで、多少の影響は残るだろう。
しかし、時代の流れは確実に樹木葬を必要としていると慎平は考えていた。
しばらくの間、関東の墓苑を意識の隅に置いて、気が向いたときに訪れてみることにした。
慎平が年金を受給し始めるのと、大腸がんが発見されるのとが、ほとんど同時であった。
一生働き続けて、やっと自分も女房も楽ができそうだと思った矢先の試練だった。
(まったく馬鹿にしてるよ・・・・)
神様がいるなら、文句の一つもつけてやりたい心境だった。
幸い早期発見で、入院は短期間ですんだ。
とりあえず事なきを得た観があり、区が実施する無料検診のありがたみが身にしみた。
潜血を検出されたのが最初だった。
微細な信号をどう受け止めるか、その一点で運命が左右される難しさはあった。
慎平の場合、妻の的確な判断で精密検査に進み、一応の歯止めを掛けることができた。
(悪いところを取ってしまえば、怖いことはない・・・・)
手術後は頭でそう考えるのだが、心のどこかに姿の見えないがん細胞への不安が漂っている。
いつ転移するかもしれないという恐怖を、完全に拭い去ることはできなかった。
「おれ、やっぱり墓を買っておくよ」
久しく忘れていた自前の墓地取得の衝動が、慎平の背筋を駆けのぼった。
「すぐに死ぬ気はないが、残された者に迷惑かけたくないからな」
「・・・・」
紀子は慎平の胸の内を察したのか、言葉を失っていた。
「いつかさあ、房総の方にいいところがあると言ったろう? 東京から近いし、気候も温暖で、ツツジでもコデマリでもお好みのものを選べるんだ」
東北の寺で見てきた辛夷や山桜の雄大さと違って、成長しても2,3メートルの花木がラインアップされていた。
「ミツマタとか、ムラサキシキブといった地味な木も、飽きがこなくていいんじゃないか」
「あなた、ずっと考えてたのね」
「うん、生きているうちに用意しとかないと、なんとなく落ち着かないだろう」
「それはそうだけど、縁起悪くないの?」
「逆、逆。生前墓を造ると長生きするんだって。それに今なら五、六十万円でできるけど、おれが死んでからじゃあ高くなるかもしれないし・・・・」
「そう、あなたが寂しくないなら、花の墓標もいいかもしれない」
慎平は、紀子の反応にほっとした表情を見せた。
樹木葬にこだわるわけではないが、やっと自分らしい居場所を確保できそうな状況になった。
人間なかなか踏ん切りがつかないもので、なんのかんのといっても病気に後押しされたからできた決断だった。
それにもう一つ、先祖が眠る寺と同じ宗派であったことが決め手となった。
そのことはまだ妻の紀子には伝えていない。
春になったら現地を見学して正式に決めるつもりだが、妻も後から入る契約を選ぶのかどうか、気がかりなことはまだ残りそうだった。
一つ決めればまた一つ、迷いのタネが湧いてくる。
面倒くさいことは死ぬまで続く。それが人生、それが人間。・・・・慎平は胸の内でその思いを繰り返した。
「ハハ、早いとこ苗木を植えて、おまえと二人で花見をすることにしようか」
フランスに行ったきり当分帰って来そうもない娘と、石油関係の商社で中東派遣中の息子のことは、心配しても仕方がない。
予後の回復をめざしながら、一冬かけて花木の種類を選定するのが、ささやかな愉しみになりそうだった。
(おわり)
* 物語に出てくる事件は虚構のものであり、実際の樹木葬候補地に関して類似のトラブルはありません。
散骨とか樹木葬とかあるいは生前葬とか葬式も埋葬法も多様になりましたね。
中には生きているうちに、自分の葬式の式次第を脚本のように事細かに書いておいて、流す音楽の選曲までする人もあるようです。
子どもに迷惑をかけられないからと、墓もきちんと用意しておく方も少なくありません。
立派なように見えなくもありませんが、私にはどうも違和感があります。
死んだあとのことなど放念しておいて、子どもに迷惑をかけていいのではないかと思うのですが・・・。
世代の順番なのだし。
生まれてくるのも死んでいくのも自分では決められないのですから、あなた任せでいいのではないかなーと。
もっとも子どもがいない場合は自分で段取りをつけておく必要があるのかもしれませんが。
私の父親は謹厳実直を絵に描いたような人でしたが、82歳でなくなる前一緒に住んでいた妹に「オレは蛇が大嫌いだから、墓は蛇のいるところは嫌だ」とだけ言い残していたようです。
死んでから時々そんな話を持ち出して、兄弟みんなで笑い話にしていますよ。
なんだか可愛らしいような・・・。
蛇のいない山の中腹の湿気のない墓地を探して妹は大変でしたが、いまそういう墓に眠っています。
その親父さん、実は葬式のための互助会に入っていて月々掛け金を払い満額になっていたらしいのですが、亡くなったときは誰もそれを知らなかったためそれは葬式に使われることがありませんでした。
最近親父の古いトランクを整理していた妹がそれを発見! みんなでまた大笑いで、互助会に連絡して結局妹の葬式のときに使わせてもらうことに名義変更をしました。
親父もあの世で照れ笑いしているに違いない。
「しくじったなー」と。
今回の窪庭さんの短編小説に刺激されて、久し振りに真面目親父の間抜けな出来事を思い出させていただきました。
ありがとう。
(知恵熱おやじ)さんのコメントに見る父親像は、おおらかで、親しみがあり、いいですね。
蛇の話、互助会の話、思わず笑ってしまいました。
ちょっぴり登場する妹さんもふくめ、ご一家のしあわせ度が伝わってきます。
子供さんやお孫さんたちに寄せる信頼も、問わず語りに感じられます。
いい話を寄せていただきました。ありがとう。
日常的に好奇心をそそられる小説ですね。
いつもの筆致と少し違い、現実的で分かりやすく読ませてもらいました。
自分の葬祭をどうするかは、中年を過ぎた人間、というより夫婦は、頭に入れ、出来れば備えも必要になるのでしょう。
そこのところをサラリと書いておられ、それが却って真摯な問題であることが浮かび上がりましたね。
もちろん、樹木葬なんて知りませんでしたが、それもひとつの情報。
さらに、夫婦なんてその問題になると、長年の澱やひずみが表れてくることも知らされました。ほんとに難しい問題ですな。
それにしましても、ほぼ毎週、重みのある小説や随筆を発表されていることに感嘆!
とりわけ小説の名を借りた創作がどんどん湧いてくるところに頭が下がります。
(くりたえいじ)様、一連のシリーズ作品と趣きが異なり、テーマに真剣に向き合った様子が読まれてしまったようですね。
恐れ入りました。
ひねりを意識したり、落ちを考えたり、まだ当分つづけたいと思いますので、よろしくお願いいたします。