人々をしぐれよ宿は寒くとも
ひとびとを しぐれよやどは さむくとも ・・季語は 時雨で、この句が詠まれた元禄2年(1689)寒い年だった。
出典は 蕉翁全伝 で句意は 句会の座敷がたとい寒くなろうともかまわないから時雨よ、一雨降って、風雅を求めて集まった人々に侘びた風趣を添えてくれないか。
秋の季語でいかにも<時雨>の俳人と言われた芭蕉らしい。
因みに伊賀上野の門弟配力<はいりき>亭に伊賀蕉門のほとどが集まったとされる歌仙が催された。
配力は杉野房通、伊賀藩作事目付けという役職だから蕉門のメンバーはタダ者ではない。
昔の建物の寒さが伝わって来るのに、何かあたたかなものをかんじる句ですね🍀✨
>芭蕉の出身地の人々の「芭蕉愛」や「俳諧熱」についてほとんど考えたことがありません... への返信
そうですよね。伊賀の人々の芭蕉を愛し誇りに思う気持ちは並外れていますよね。
前にちょっと書きましたが芭蕉は伊賀の里のがんじがらめの結束から抜け出るために奥の細道の旅に出たのではないかという説があるほどです。
伊賀はやはり忍者の里だったかもしれませんよ。