どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)32 『簡易宿泊所の上』

2010-05-02 01:51:10 | 短編小説


     (簡易宿泊所の上)     


 急に家に帰りたくなって、その家に向かった。

 玄関で声をかけると女中が出てきて、応対してくれる。

 長年生活してきた家だから、勝手知ったるなんとか(自分の家なんだけど)で扉を開けると、家族の代わりに裸の男たちがあふれかえっていた。

 みんなバスタオルを腰に巻いていて、中には床に寝そべっている奴もいる。

 僕はそいつらをまたいで奥へ進んだのだが、どうもわが家の様子とはちがうのだ。

 雰囲気からはサウナのようで、ここじゃないなと思いながら人を掻き分けて廊下に出、右手の突き当りまで進んだ。

 ああ、そうだ、めざすわが家も左側ではそれなりにきちんと住んでいたが、右側は誰のものか分からないようないい加減なつくりになっていた。

 記憶では、右側の部屋から入った場合、見知らぬ他人の生活を横目に次々と襖を開け、二部屋ばかり行った先がわが家だった。

 そうした記憶があるから、あまり右手に行かずに中央のエレベーターで一階上に登った。

 そこで扉が開くと、サウナほどではないがかなりの数の男たちがいた。

 みんな浴衣を着て、畳の部屋に膝を立てて座っている。

 膝頭に顎をのせた男に訊いてみると、ここは簡易宿泊所だという。

 僕はまたも家に行き損ねて、変だなあと首をひねっている。

 女中がいたので訊こうとしたが、忙しそうな背中を見せていなくなってしまった。

 仕方なくまたも廊下に出て、右端の突き当たりまで行き、そこから階段でさらに上へ行った。

 するとそこはタイル張りのトイレになっていて、ひっきりなしに男たちが小便をしに来る。

 僕も男たちとは反対側の隠れトイレで放尿を済ませ、またも記憶のわが家を探して左手の部屋をたどる。

 一部屋一部屋見て回るのだが、懐かしいわが家はなくどれも旅館の客室のようだ。

 真新しいヒノキの香りがして、床の間にはダルマの掛け軸などが掛けられ、水仙の一輪挿しが飾られている。

 幾つかの部屋を覗いているうちに、この階では見つけられないとの思いがつよくなる。

 急ぎわが家に帰りたくなって戻ってきたのだが、とうとう探し当てられなかったのかと寂しさがつのってくる。



 変な夢をみて、夢から覚めたとき、僕はうなされて声を出さなかっただろうかと傍らのヨシコを見た。

 こちらの不安をよそに、ヨシコは毛布に顎まで埋めて、ややこちら向きに眠っていた。

 僕はひとりベッドを抜け出して、素足で絨毯に立った。

 カーテンの合わせ目に頭を突っ込み、首をはさむように胸元で押えた。

 窓から見える風景は、夜明け間近のうす墨色の靄に彩られていた。

 谷あいの雑木林の上方には、黎明の退場を予感させる青い空があらわれていた。

 川音が二重ガラスを透して聴こえていた。

 (たしか、鬼怒川温泉に来たんだったよな・・・・)

 僕は昨日からの記憶の断片を一つひとつ拾い上げながら、ジグソーパズルのように並べ、時どき首をひねって並べ替えたりした。

 映像の始まりは、電車の隅に押し込められていたヨシコを発見したところからだ。

 上気した顔が、あえぐように揺れていた。

 つり革につかまっていた僕は、ヨシコの背後に小太りの男がいるのを見た。

 (痴漢だ!)

 とっさに僕は人を掻き分け、背後の男の腕をねじりあげた。

「おい、おまえ何してるんだ」

 反射的に逃げようとする筋肉の強張りを感じ、僕はその男の犯罪を確信した。

「なにをするんですか」

 小太りの男は、振り払うように体をひねった。

 ずれた眼鏡の上から、不安げな瞳がのぞいた。

「何をって、おまえが一番知っているだろう」

 僕は優位な立場に立っていたから、なぶるような口調になっていたかもしれない。

 ちょうど次の停車駅に着いたので、僕は男の腕を取ったままホームに押し出した。

「きみも一緒に来て!」

 僕はヨシコに声をかけた。

 その時にはまだヨシコという名前を知らなかったわけだが、気持ちの中では未知の女性ではない気がしていた。

 ヨシコはホームに降りたものの、自分の犯罪が露見したようにおどおどしていた。

「さ、駅長室へ行こう」

 こう見えても、僕は水泳をやっているから、小太りの男も筋肉の出来が自分とちがうことに気づいていたのだろう。

 肘を九の字にとられたまま、駅舎に向かって従順に歩き出した。

 ところが、ヨシコがその場に立ち止まったまま動こうとしないのだ。

 僕が振り向いて目で促しても、立ちすくんだ様子でこちらを見ていた。



 あの時の凍りついたような瞳は、一連の記憶の中でも異質のピースである。

「きみが被害者なんだよ」

 僕が強く言うと、ヨシコはいやいやをするように首を振った。

「エッ?」

 あとからジグソーパズルを嵌めようとして、いつも戸惑うのはその箇所だ。

 どこか別の場所に並べ替えるべきなのだと、頭の隅で囁く声がする。

 そのピースをその位置に置くと、せっかく捕まえた痴漢が僕の手を振りほどいて逃げ出してしまうのだ。

「おい、待て・・・・」

 しかし男は、首を横に振るヨシコを一瞥したあと、嘲笑うように僕を見ながら走り出していた。

 ワニに咥えられて観念したはずのカピパラが、隙をついて危険区域を脱出したのだ。

 僕は追いかけようとしたが、すでに気力を失っていた。

 ヨシコを見つめたまま、僕の座標が大きくずれた場所に記されているのを発見した。

「あーあ」

 僕はあからさまに嘆息をもらした。「・・・・まるっきり無駄骨だな」

「ごめんなさい・・・・」

 ヨシコは目を伏せて、惨めに謝った。

 白い造花のようなメイド風スカートが、網タイツをわずかに覆っていた。

「もう一回、痴漢されちまえ」

 僕は並べ損ねたジグソーパズルを、ぐちゃぐちゃにしてしまいたいほど粗暴な気持ちになっていた。

「ごめんなさい」

 怯えたようにもう一度謝るヨシコを無視して、僕は改札口に向かった。

 あまり降りたことのない駅だったが、いったん外へ出ないことには憤懣のはけ口が見つからなかったのだ。



 十条駅は、こんなことがなければ降りることのなかった駅だとおもう。

 こじんまりした駅舎を振り返ると、そこにヨシコがいた。

 実は改札口に向かう間、白いものがちらちらと眼の端に映っているのに気がついていた。

 どこまでついてくるのか、いつ振り返ろうか、二つの思いが僕の胸中で渦巻いていたのだ。

「なんだよゥ、何か用かよ」

 僕はほんとうに鬱陶しいとおもったのだ。

「この人、痴漢です」などと、突然言い出しかねない女だと警戒した。

 変な場所にピースを置かれたことで、ジグソーパズルの道筋が狂いだしていた。

 僕の中の遠い家の記憶が甦ったのも、そのことと無縁ではない気がする。

 (昨夜、僕はヨシコと同じベッドで寝たのだろうか)

 それより前に、どんな経緯で東武日光線に乗ることになったのか、はっきりしないのだ。

 空白の部分を埋めたところで、僕の記憶が正常かどうか分かるわけではない。

 ヨシコとの出会い、その日のうちの鬼怒川温泉郷行き、ホテルでの一泊、どう嵌め込んでもジグソーパズルの描き出す絵には脈絡がない。

 そもそも筋書きに沿わないヨシコというピースを摘み上げてしまったことが、齟齬の始まりだった。

「わたし、ほんとうは行き場所がないの」

 定期券で埼京線を往復し、毎日痴漢されることでその日の宿を確保するのが稼ぎ方だったなどと、聞きたくもないことを聞かされた。

 別の男のこともあれば、味をしめた同じ痴漢に付け狙われることもあるという。

 暴行を受けたことも、逆に金品を巻き上げたことも当然あるらしい。

「フィフティー、フィフティーよ」

 駅前のマックで事もなげに言ったヨシコの声が、耳に残っている。

「僕はきみに痴漢したわけではないが、一晩だけ家を提供しよう」

 たしか、そのような会話をして僕らはいま鬼怒川のホテルにいるのだ。

 ヨシコを泊めるために、僕は最初わが家を想い浮かべたのだが、幼いころ父と母が離婚したので家と呼べるものがなかったのだ。

 母が仲居をつとめる地方の温泉場をいくつか経めぐった。

 可愛がってくれる姐さんもいたが、意地悪をする仲居や旅館の女将もいた。

 客に邪慳にされることも、いたずらされることもあった。

 要するに人さまざまであることを早くから学んだ。

 それが僕の人生に役立ったかというと、そうでもない。

 いつも事が起こるたびに、素直に人生のピースを嵌められない性格が身についてしまったからだ。

 ここじゃないだろう、この場所ではないはずだ。

 正解をさがしてパズル盤の上をさまよう日々が、ずっと続いている。

 中でもなかなか探し当てられない家の夢は、折にふれて見ることになるだろう。

 左側にしっかりとあった部屋と、右側につながっていた他人の寝泊りするあやふやな入り口はきっと変化することがない。

 懐かしさに耐えかねて訪れるとき、裸の男たちが寝そべるサウナ部屋を通り、エレベーターで上の簡易宿泊所に行くのだろうか。

 簡易宿泊所の上の階まで登り、わが家をさがすことになっても、やっぱり行き着かないような気がして寂しさが体にまで沁みてくる。

 春なのに、鬼怒川の夜明けは体温を奪っていく。

 僕は黎明に別れを告げ、ヨシコの隣りにもぐりこむ。

 毛布から出ている額に、掌ではなく指の爪側でそっと触れてみる。

 僕は痴漢ではないのだと、胸の内で呟きながら・・・・。



     (おわり)

 

 
 

 

 


 

 

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2 コメント

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作者が楽しむジグソー (くりたえいじ)
2010-05-05 16:50:12
《簡易宿泊所の上》という題名で読者はそのつもりで読み進んでいくと、必ずしもその場所ではなさそう。
そして、痴漢もどきの男とのやりとりがあり、
それに絡まるような女が出現したり。
そして、舞台は確実に温泉場に移っていて、
話は元に戻るような、そうでもないような。
いやあ、そんな展開を頭に描いて読むと、
作者が幾つかのピースを揃え、ジグソーパズルを楽しんでいるような挑んでいるような、
そんな感じに陥りました。
そして、どうやら「上がり」になったようですね。
ということは、遊びながらも、やはり労作なのでしょう。ご苦労さま。

それと、カピバラが突如、出現したのにも感銘しました。
この珍獣をある程度知っていたからで、いかにも痴漢もどきですね。
返信する
夢につき合わせて・・・・ (窪庭忠男)
2010-05-06 00:13:44

どうも、すみません。
自分の住んでいた家がなかなか探し出せなくって、お騒がせしております。
カピバラのことなど、コメントありがとうございます。
返信する

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