それは、紅葉の季節も終わり、富士山に初冠雪があった十一月半ばのことだった。
「ねえ、ねえ、知ってる? あの志水さんが死んだんだってよ・・・・」
咲子のもとへ知世が大慌てで電話をかけてきたのだ。
志水というのは、この地方では評判の自然観察指導員で、咲子たち<山ガール>も何回か世話になっている人だった。
「え、どうして?」
「リフトに引っかけられて、高いところから落ちたらしいの」
詳しい状況は分からないが、まさかと思うことが現実に起こったらしい。
山仲間から聞いたという知世からの報告を受けて、咲子はあらためて人の命のはかなさに思いをめぐらした。
(家を一歩出たら、再び戻って来られる保証はない)
もともと運命論者の咲子は、日頃の持論が当たってしまったことで、深いショックを受けていた。
「人間なんて、いつ事故や災難で命を落とすか分からないんだから・・・・」
知世には、会えば口癖のように言ってきた。
心配のしすぎだと知世は笑うが、咲子の方は部屋の中を整理整頓してから外出する習慣が身についていた。
だから、今回のことも決して他人事とは思えないのだ。
とは言え、いざ現実のものとして突きつけられると、身の回りに集中して起こる運命的なめぐり合わせに怯えを感じるのだった。
そもそも咲子は幼い頃、男手で育てられた。
彼女が三歳のとき、母親が階段から転げ落ちて事故死したためだ。
咲子には五歳年上の兄が居て、兄自身年端も行かない年齢ながら幼い彼女の面倒を看てくれたのを覚えている。
父親は義太夫の名手で、芸の追及には熱心だが、家庭生活についてはあまり関心を示さないタイプだった。
事故があった当座は乳母に相当する女性を頼んでいたが、咲子が五歳になると稽古先の生徒だった女を家に連れてきて、乳母をお払い箱にした。
咲子も兄も母代わりに慕っていた女性が去り、代わりに芸者崩れの女性が後妻になった。
父親の舞台がないときには、昼間から仕出し料理を取り寄せて酒を飲み、子供の前で酔い潰れることも稀ではなかった。
「白っ首、やーい、白っ首の子・・・・」
咲子が悪たれ小僧に囃し立てられると、兄は青い顔をして追い散らした。
時には勢いあまって、掴まえた子供の顔を地面に押し付けることさえあった。
咲子は兄を一番の頼りとした。
そして、いつも白粉の厚塗りに時間をかける義理の母を嫌悪していた。
首筋から背中までパフをはたき、ほどなく時期の着物をぞろりと着て出かける女の後ろ姿を、もう二度と帰ってくるなという目で見送った。
「あんなに襟を抜いて、いまでもお座敷に出ているつもりかしら・・・・」
近所のおばさんたちの陰口を、この時ばかりは同調して聞いていた。
そうした噂を知ってか知らずか、義母は父とともに芝居や旅行に繰り出すことが多かった。
二年ばかりそうした生活をしていたが、初夏のころ旅先で雇ったハイヤーがトラックと正面衝突をして二人とも命を落とした。
「子供をほったらかしにして遊び狂っているから、そうした目に遭うのさ」
親を失った悲しみの反面、近所の主婦たちが囁く陰口に同調する自分を見出していた。
知られてはいけない自分の密かな願いを、神様に見抜かれてしまった気がして怖かった。
咲子たち看護師仲間が、志水に案内されて車坂峠から池の平湿原をめぐる五時間ほどの山歩きをしたのは七月のことだった。
仕上げに高峰温泉で汗を流して、話好きの案内人と友だちのようになった。
そもそも志水と知り合ったのは、県が協賛する『初心者ハイキング講座』で、懇切丁寧なレクチャーを受けたのがきっかけだった。
志水は県内の市役所を定年退職したあと、佐久市に居を定めて自然観察指導員の資格を取ったのだという。
その関係で、長野から群馬にかけての二千メートル級峰を中心に、ハイキングやトレッキングと呼ばれる山歩きを案内しているのだった。
ガイド料は、一グループ三千円程度で、商売というより山歩きの普及をめざしたボランティア活動のようなものだった。
稼ぐためなら別の仕事をした方がいいのだが、初心者を引き連れて自然の中を歩き回るのが在職中からの夢だったのだと漏らしていた。
咲子の見るところ、若い女性のグループを案内するとき特にテンションが上がっているようだ。
彼の話では、中年女性相手の案内も独特の面白みがあるというのだが、本音をいえば若い女性グループに格別の興味を示していたに違いない。
(何よこの人、若者みたいに舞い上がっているんじゃない?)
看護師たちは、みな自分が美人だからメロメロなんだと優越感をくすぐられていた。
たしかに志水は、ふと後ろを振り向いたときに目に飛び込んでくる色彩のコラボレーションに、新たな愉しみを覚えていたようだ。「お花畑も羨むほどの美しさですねえ」
お世辞とは思えない嘆声を発して、相好を崩していたからだ。
志水たちの年代では、山歩きの衣装ひとつとっても専ら実用が主になっていた。
ウールのシャツ、ウインドヤッケ、ニッカボッカ、厚手の靴下、男も女もあまり違いがないようなスタイルだった。
装備にしたって、堅牢な登山靴かキャラバンシューズ、ザックだってそれほど派手な色使いはしていなかった。
テントだけは割合に早い時期から原色に近いものが出回っていたが、それも軽くて防水性に優れた素材が出現したためであった。
山歩き自体、俗界を嫌う高尚な趣味とのイメージが強かったことも、実用に傾いていた原因だったろう。
ところが、ここ数年のうちに、ファッション性に優れた山歩きグッズが売られるようになった。
どこかの女性誌が仕掛けたのか、<山ガール>という呼称とともに専門店やデパートのスポーツ用品売場でその存在を主張するようになった。
人気商品となった衣装を身に着けて、ファッションショーと見まごうばかりの一団が、尾根や山道を闊歩する時代になったのである。
早い話が、咲子たちのグループだって、自然を楽しむ目的のほかに、すれ違うハイカーが一瞬見せる驚きの表情を盗み見る悦びもあったのである。
志水の事故は、群馬県のある山でリフトに乗ろうとした中年女性が手袋を落とし、声を発したことに基因する。
数名の女性客が乗り終えるのを見届けようとしていた彼は、声に気づいて無意識のうちに行動を起こしていた。
乗降場所の床に手袋の片方が落ちている。
振り返った女性の執着の目がそこに注がれていた。
とっさに手袋に走り寄り、屈んでそれを拾おうとした。
微かに次のリフトの接近を感じてはいた。
背後から注意を促す人が居なかったことも、不運といえば言えた。
背中にガーンと衝撃があり、彼は弾き飛ばされるつもりで防御姿勢をとった。
しかし、横に転げる気配はなく、急に両肩に圧力が増したのを感じた。
あっと思ったときには、すでに体が宙に浮いていた。
どうした弾みか、ザックの一部がリフトに引っかかってしまったのだ。
乗り場を離れたリフトは、眼下の岩場を越えて最初の支柱に差し掛かっていた。
ゴトゴトという滑車の音が近づいてくる。
先行した女性たちの姿が目に入った。
恐怖とともに、首筋に風の流れを感じた。
(どうしたらいいだろう)
振り返ってリフトの支えを掴むとか、支柱に飛び移るとか考えたが、どれも不可能に思えた。
下手に動くより、じっと待つしかないと判断した。
(きっと係の男が気づいて停止してくれる・・・・)
そして実際に非常停止装置が操作された。
ガクン。
途端に肩に掛かる圧力が減り、志水は空間に放り出された。
矮木が生い茂る地面が近づいてきた。
クッション代わりになってくれと強く念じていた。
だが、叩きつけられたとき、志水は下がやはり岩盤であったことを知った。
一瞬、娘や妻の顔が浮かび、間もなく暗い夜がやってきた。
彼には、死ぬという意識はなかった。
生きている感覚のまま、命が途絶えた。
咲子は、志水の死をさまざまに想像した。
そして、彼の人のよさに遠因を視ていた。
使命感にあふれていることも、人のよさといえば言えた。
もっと突き放してもいいところで、手取り足取り世話を焼きたがった。
手袋を落とした女も女だが、彼女を責めるのは筋違いだ。
客が手袋を落としたことにまで責任を感じた志水が迂闊だったのだ。
しかし、本当に志水の性格に原因があったのだろうか。
あらかじめ定められた運命ではなかったのか。
志水を背後から襲ったいくつかの要因。
案内した女性グループの持ってきた運、彼の性格に備わっていた弱点、リフトの構造と非常停止装置のタイミングの悪さ、その三つが代表的なものだ。
死神とワルツ・・・・ひとつの言葉が思い浮かんだ。
どこかから突然やってくる運命の裁定。
咲子は、明日知世に電話して、次の計画には参加しないことを伝えよう。
無理して<山ガール>を装う年齢でもないのだし・・・・。
(おわり)
(2010/11/30より加筆して再掲)
誰でも携帯でとっさに撮影出来る様になったからでしょうが、最近はよくテレビで、想像を絶する様々な事故のシーンをやっています。
ながらスマホ、マナー違反、交通違反など、本人に原因がある事故が多いですが、中には、何でこの人が?、と思う、どうしようもない不運もけっこうあります。
事故にはいろいろの要因がありますが、ここでは運に登場してもらいました。
咲子は自分の幼い時期に、階段からの転落事故で母親を亡くした辛い過去があり、志水が事故に遭ったことも運命論的に考える習性から抜け出せないという設定です。
現実にもさまざまの事故原因があるのでしょうが、おっしゃる通りなんでこの人がといぶかしむ人物と態様があるのでしょうね。