
(『ふくろうの叫び』(パトリシア・ハイスミス著=河出文庫)と市川海老蔵事件)
これまで二週間にわたる海老蔵負傷事件のマスコミ報道を見ていて、大方の人は居心地の悪さを感じていたのではあるまいか。
重傷を負って入院しているあいだに、加害者側と目される関係者からさまざまな情報がリークされ、それがマスメディアを通じてこれでもかというほど流されたのである。
姿を見せない人間の言い分に沿って、あたかもその発言に理があるかのごとく流布された背景には、市川海老蔵という役者の生意気さとか不遜さとかいった伝聞が絡んでいると思われる。
特殊な社会で育ってきて、傍若無人な態度をとってきたとも伝えられ、そのことが今回彼を窮地に陥れたことは間違いないようだ。
無責任とも思える女性遍歴と世間知らずの言動を続けたうえ、これ見よがしの結婚式を披露するに及んで、反感を買ったとしても不思議ではない。
しかし、ことは傷害事件である。
重傷を負って肉体的にも精神的にも多大の被害をこうむったのは、市川海老蔵という一人の青年である。
何らかの挑発行為をしたからボコボコにされても仕方がないというニュアンスの解説をする者もいたが、こうした発言を聞いて背筋が寒くなる思いをしたのは当方だけではあるまい。
普段の素行とか、普通と違った性格とかを根拠に、その人間を悪しき者に仕立て上げていく風潮は、身の回りにも見出すことができそうだ。
いじめや冤罪の陰にも、同様の偏見が見て取れるではないか。
さて、事件の推移は時々刻々変化していて、その真相について意見をいうのが当コラムの目的ではない。
事件の報道を契機にある小説を思い出したので、その中のエピソードを引きながら人間性の暗部にひそむ攻撃的性向について少し光を当ててみたいのである。
取り上げる作品は、表題にもある通り、パトリシア・ハイスミスの『ふくろうの叫び』である。
映画化された『見知らぬ乗客』や『太陽がいっぱい』ほど読まれているかどうかわからないが、今回の事件と重なるところが多いので注目した次第。
主人公はロバート・フォレスター。結婚生活が破綻し、精神科医にかかったこともある機械部品の設計士である。
妻ニッキーと離婚し、それを機に転職して、現在はヘリコプターのエンジンにかかわる仕事をしている。
ニューヨークからペンシルバニア州ラングレーという田舎町に移ってきた彼を慰め、精神的なバランスを保たせているのは、キッチンの窓越しに見える見知らぬ女性の立ち姿だった。
見つからないように近づき、幸せそうな表情やしぐさを眺めていると、ロバートはそれだけで満ち足りた気分になれた。
<のぞき>と称される行為であることを重々わきまえていながら、夕食の準備の時刻になるとつい女性の家のほうにクルマを走らせてしまうのである。
その家に住む女性の名はジェニファー。グレッグという恋人がいて、ときおり訪ねてくる。
ロバートは、二人が早晩結婚するであろうと思い、そうした成り行きを想像することでジェニファーの表情から受けとる幸せをより深く享受していた。
ある時ジェニファーは、家の近くに何ものかの気配を感じる。
グレッグが訪ねてきているときにも、枯れ枝を踏むかすかな音が聞こえたりする。
グレッグは懐中電灯を手に家の周辺を探るが、人の姿を発見することはできない。
彼は変質者の徘徊を匂わせて、ジェニファーに一日も早い結婚をうながすが、ジェニファーはさほど恐れるそぶりも見せず淡々と日が過ぎていく。
日を重ねるうち、ロバートはついにジェニファーに見つけられてしまう。
警察に通報されるかもしれないと思いつつ、逃げることなく自らの存在を明らかにする。
すなわち本名を名乗り、住まいや勤務先の住所まで正直に話して、<のぞき>に至った心境を説明するのである。
これに対して、ジェニファーもパニックを起こすことなくロバートを家の中に招き入れる。
通常の反応ならば警察への通報となるところを、ジェニファーはロバートの心の動きの中に自分と重なるものを感じ取ったらしい。
一方、グレッグは自分を避けるようになったジェニファーに疑惑を感じるようになる。
しかもジェニファーから婚約の解消を申し渡されたことで、別の男の存在を確信することとなる。
やがてグレッグは、ジェニファーがロバートに心を奪われていることを突き止め、ロバートにジェニファーから手を引くように警告する。
ロバートからすれば、ジェニファーを奪い取ろうとする魂胆などないのだから、グレッグに脅されて会うのを辞めるなどという理屈はあり得ない。
それでも会う回数を減らそうとするロバートに対して、ジェニファーのほうが積極的な行動に出て、結果的にグレッグの嫉妬心を煽ってしまう。
腕力でロバートを痛めつけるしか方法を考え付かないグレッグは、ある夜ロバートの後をつけて行き、川べりの道で強引に停車させ降りてきたロバートにいきなり殴りかかる。
わずかに身をかわしたロバートとグレッグは、もつれるように斜面を滑り落ちる。
川の中まで突っ込んだグレッグは一時的に気を失ったような状態になるが、ロバートは助け起こして斜面まで引きずり上げ、そのまま放置してクルマで帰宅する。
普通ならばグレッグも帰宅してその場は収まるはずなのだが、グレッグが何日も戻らないことから家主が騒ぎ出して事件が発覚する。
川べりのクルマは運転席のドアが開けっぱなし。
斜面には人の争った痕跡があり、グレッグの姿が見えないところから、川に溺れた可能性を考え広範囲の捜索がはじまる。
報道を聞いたロバートは、迷いながらも争いの当事者が自分であると名乗り出る。
このままグレッグが遺体で発見されれば、殺人を疑われる可能性すら否定できないからだ。
そうした中、別れた妻のニッキーから悪意に満ちた電話がかかってくる。
ジェニファーを奪われたと誤解するグレッグは、すでにニッキーと気脈を通じていて、ロバートの過去を詳しく聞き出していたし、同時にジェニファーに対するロバートの<のぞき>から二人が知り合ったに違いないと告げていたのである。
ニッキーの嘲笑の裏に、グレッグとの共謀を感じ取ったロバートは、彼女がどこかのホテルにグレッグをかくまっているものと推理して、再婚相手の男から聞き出そうと試みる。
しかし、明確な答えが得られない。警察にもホテルの捜索を依頼するが、ロバートを殺人犯と思いはじめている警察は容易に腰を上げようとしない。
その間グレッグは、身を隠したまま友人になり済まして、ロバートの会社、ロバートの知人信奉者に電話や手紙を送りつける。
内容は、元妻の口から飛び出した精神異常者のレッテルと、ロバートの<のぞき>に関する件だった。
こうした悪意に満ちた誹謗が増幅して伝えられ、それまで理解者であった職場の同僚、懇意にしていた人々が、微妙な変化を見せて遠ざかっていく。
自宅で何者かの狙撃を受けても、守ってくれると約束した警官が任務を果たさないうちに、二度目の襲撃を受けて負傷する。
ロバートはグレッグの仕業だと確信しているのに、川の捜索で上がった遺体の鑑定結果がグレッグ以外と断定されない限り、警察はほとんど関心を示さない。
ここまで説明するのは、サスペンス小説にとって迷惑なことかもしれないが、周囲の思い込みや、一部の者の作為的な中傷によって真実がねじ曲げられていく過程を見ていただきたかったのである。
<精神疾患>とか<のぞき><痴漢>というレッテルを貼られて、社会的に葬られた人間はここ十年の出来事だけでもかなり思い当たる。
同様に、<奔放な言動>が目の敵にされ、あるいは<暴れ者>のイメージがもとで必要以上の制裁を受けた者も少なくない。
誰かが主導する意見にどっと流される。
そうした不幸に気付かない人々がいる以上、これからもロバートのように孤立する状況はなくならないだろう。
<のぞき>を犯罪としてではなく、人間同士の触れ合いのきっかけと捉えたジェニファーの運命は?
そこのところは伏せておくのが賢明だろう。
最後に、作者ハイスミスが主人公ロバートの口から語らせた「狭い地域社会では口うるさい名もない人たちが、文字どおりにも比喩的にも人を絞首刑にする」の一言を引用して締めにしよう。
海老蔵の引き起こした(?)事件は、事件の解明もさることながら、社会的な思惑が加味して思わぬ決着を見るかもしれない。
若気の至りと言ってすまされない重い頸木を課せられたのである。
いま当惑の渦中にある青年を、寄ってたかって引きずりおろすような報道はこれ以上見たくない。
(おわり)
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