『花と新緑の六合村』

先週末、三週間ぶりに山荘に行ってみた。
ゴールデン・ウィークの混雑をスル―した効果で、らくらく目的地まで到達できた。
関越道を使うと三時間少々の行程で、例の高速バス事故が報じられた藤岡ジャンクション付近では否応なく現場を意識させられた。
ドライバーは、誰でも大きなショックを受けている気がする。
渋川・伊香保出口で降り、六合村まで直行した。
ストレスが溜まると、応徳温泉や赤岩温泉にやってきて数日過ごすことがある。
一時やせ細っていた身体がすっかり回復したのは、この村の温泉のお陰だ。
近辺のどのお湯よりも、体に合ったのだろう。
しかし、その話は長くなるので別の機会に譲る。

温泉もさることながら、六合村の美しさは格別だ。
その中でも今回は、赤岩地区に絞って何枚か写真を撮った。
前にも書いたが、重要伝統建造物保存地区として認定された街並みは、散策するのも憚るほど繊細だ。
むかし話にでも登場してきそうな里山との融合。
江戸時代、捕吏に追われた高野長英をかくまった勇気ある人々の住む村だ。
カモシカやイノシシ、猿や熊にも生存の場所を与えている。
無意識に共存をうべなう姿勢が、村全体に見てとれる。

家並みと温泉施設の中間点に「赤岩ん家」という休憩所がある。
六合の産物とともに、散策のための案内地図が置いてある。
隣接する食堂で、麺類など軽い食事を摂ることもできる。
この地区のシンボル的存在である水車も、悠然と回っている。
養蚕で栄えた時期もあり、富岡製糸場とも深いつながりがあったと物の本に書いてある。

赤岩温泉は、別名「長英の隠れ湯」として知られている。
ここの湯舟から見わたす前景は、いつも光に満ちている。
広い芝生と季節の野草、それに視界を邪魔しない程度の新緑の木々。
どんなに落ち込んでいても、薄皮を剥ぐように憂鬱の膜を取り払ってくれる。
往時と建屋も状況もことなるが、取り巻く風景の癒しは長英にも注がれたにちがいない。
隠れ湯の玄関を一歩出たときに包まれるさわやかな空気の匂いが、鼻腔に甦ってくる。

赤岩地区を去るにあたって、もう一度ひっそり住まう村の家々を目に焼き付ける。
いつ訪れても清らかで、日々の生活に自制の気が流れている。
他所から来て勝手な推測をするのもおこがましいが、放埓な精神に毒されてしまえばこの風景は消えてしまう。

そうならないことを願って、村を鎮守する古式神社に手を合わせた。
どの季節だったか、この社に高い高い幟が何本も立てられているのを見たことがある。
たぶん夏祭りを控えた頃だったと思うのだが、その張り詰めた雰囲気が記憶に残っている。

いまはまだ花の季節、新緑に席を譲りつつある季節の端境期。
独りよがりな印象になりはしないかと惧れつつ、訪れるたびに新たな感慨を記すことになる。
いつもそうだが、村を去るときには自然に感謝の気持ちが湧いて出る。
天気にも恵まれ、幸せな一日となった。
(おわり)

それを写した画像、どれも素晴らしく、澄んだ大気まで運んでくれるようです。
それにしましても、名称がまた良いですね。
「村」も「地区」も良いし、そこに「里山」や「水車」があり、「野性動物」が群棲しているなんて!
三週間ぶりにせよ、いかなる間隔にせよ、第二の我が家のようなこんな地区に通えるのは、何にも増して幸せを感じさせます。
さて、そんな山荘で日々、どのような暮らしをなさっているのか、そんなことまで空想してしまいます。
ほんとうに腕が悪いのにクリアに写ってくれるんですよ。
何度目のレポートになるか、また撮っちゃいました。