『生首』と『眼の海』の間で
(辺見庸詩文集・詩集の相次ぐ受賞の意味するもの)
3・11から一年を経て先ごろ辺見庸の詩集『眼の海』が高見順賞を受賞した。
昨年早々に詩文集『生首』で中原中也賞、そして今回立て続けといった印象での受賞である。
詩集という形での出版がこれまであまりなかったという新鮮さもあるが、文字表現の世界にいま何かが起こりつつあるのが感じられる。
作者自身はあまりジャンルの違いを意識するタイプではないと思うが、垣根を越えて出現した言葉に周囲が驚き反応したという雰囲気である。
辺見庸を知る者にとっては「詩」は氏の一部とわかっていたはずだが、詩集の形になっていきなり二冊とも受賞という現象にはさまざまな感慨がわく。
とりあえず、二つの賞はいずれも<際立った「言葉」>に授けられたものと理解しておこう。
ここで、受賞に際しての辺見庸のコメントを並べてみるのも面白い。
☆
語る:辺見庸さん 詩集『眼の海』が高見順賞に
辺見庸さんの詩集『眼(め)の海』(毎日新聞社)が、今年の第42回高見順賞に選ばれた。辺見さんは昨年、最初の詩文集『生首』(同)で中原中也賞も受賞している。実績ある作家にとって、詩作はどんな意味をもつのか。辺見さんに聞いた。【大井浩一】
◇時空を超える「自己内対話」
相次ぐ受賞は散文からの華麗な越境と映るが、実は詩との付き合いは長いという。「高校時代からずっと書いていました。でも詩人になるという意識はなくて、発表する気もなかった。僕にとって詩作は『自己内対話』だったのです」
だから、今になって詩集になり、評価されたことには「戸惑っている」と話す。
『眼の海』は2部計51編から成る。昨年3月の東日本大震災をきっかけに書かれ、雑誌『文学界』同年6月号に発表された第1部「眼の海」に、書き下ろしの第2部「フィズィマリウラ」を加えた。とはいえ、描かれているのは通りいっぺんの悲嘆や鎮魂からは遠く隔たったものだ。破壊や腐敗、死のイメージが散乱し、不穏さに満ちた言葉は、途方もなく深い場所で発せられ、はるかな時間を覆うものと感じられる。
自身では「水の中でしゃべっているような意識が常にあった」と語る。「詩は、書いている時の位置が散文と違う。水の中の深いところでものを考え、言葉を発している感覚ですね」
例えば、詩集冒頭の「水のなかから水のなかへ」は、次のように始まる。
<半世紀まえ/眼にまつわったひとつぶの予感の涙から/海がうるんで浮かんだ/海は暗い底にびっしりと声たちをしずめていた/声たちはそれぞれ整うたことばではなく/未生(みしょう)のことばであった>
「半世紀まえ」とは、宮城県石巻市生まれの作者が経験した「チリ地震津波」(1960年)の記憶による。当時住んでいた街は、昨年の津波で「跡形もなくなった」という。ただし、辺見さんの詩は、個々の事実を語るのではない。
「物心ついてからずっと海の近くに住んでいた僕にとって、海は精神のリズムの大きな要素です。海が盛り上がって家の屋根のほうまで来る夢をみたり、海に対する『畏れ』は心の深いところに植え付けられています。海によって陸地が日々浸食されていくことに、あたかも自分の自由な部分が侵されていくような強迫観念を抱いてきました」
「3・11」とは、そんな作者にとっての海が「最も巨大なイメージで現れた」出来事だった。「僕は3月11日のずっと前から、世界が破局に向かっているという予感を書いています。『眼の海』を書いた時期は、そうしたペシミスティックな予感が、ますます強まっていく過程にありました」
実際、2010年刊行の『生首』にも震災後を思わせる詩句は頻出していた。さらに、『眼の海』で「フィズィマリウラ」と名付けられた海辺を行き交う異形の存在や、印象的な散文詩「赤い入江」などに描かれた世界は、時空を超えた説話のような味わいをもつ。
「僕の場合は、詩によって過去・現在・未来を往還したいところがあります」
このような詩人が自作を「震災詩の枠内に入れてほしくない」と考えるのは自然だろう。背景には、かつて戦争協力詩を量産した歴史から目を背けてきた日本の詩人たちに対する不信がある。「意識しすぎかもしれませんが、一般に震災詩と呼ばれるものと、戦争詩の韻律は似ています」
ところで、「死者にことばをあてがえ」(別稿参照)は、次のような田村隆一の詩の一節を想起させる。<わたしの屍体(したい)に手を触れるな/おまえたちの手は/「死」に触れることができない/わたしの屍体は/群衆のなかにまじえて/雨にうたせよ>(「立棺」)
「日本的な韻律を避けようとしている」と話す辺見さんは、学生時代からブレヒトやランボー、パウル・ツェランらの詩を「乱読」したという。今も「中国語のリズムや英詩のリズムの影響が大きい」。この点、戦争の死者を作品に書いた田村や鮎川信夫ら『荒地』の詩人たちも、西欧の文学の影響が深かったことを思い合わせると興味深い。
今後も続けられるという「自己内対話」が、どんな予感をはらんだ言葉を生み出すか、注目される。
(毎日新聞2/9より)
☆
死者にことばをあてがえ
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
百年かけて
海とその影から掬(すく)え
砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
夜ふけの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ
浜菊はまだ咲くな
畔唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけのふさわしいことばが
あてがわれるまで
(『眼の海』より)
☆
「言葉と言葉の間には『詩(ポエム)』ではなく『死』がある、といつも思ってきた。去年の3月11日はそのことを再び強く感じさせた」。詩集『眼の海』(毎日新聞社)で第42回高見順賞(高見順文学振興会主催)を受けた芥川賞作家の辺見庸(よう)さん(67)は16日、東京都内で行われた贈呈式のスピーチで、故郷の宮城県石巻市などを襲った東日本大震災の犠牲者への鎮魂の思いを語った。
受賞作は、「3・11」後に文芸誌などに発表した詩を収録。「おびただしい忘れられた死体から言葉というものがくゆり立ってくる」(辺見さん)という姿勢で紡がれた言葉は、震災を踏まえながらもその主題の重さに依存しない力強さがある、と高く評価された。
辺見さんは昨年、第1詩集『生首』で中原中也賞を受賞しており、今回の選評にも「さらにパワーアップした印象」(選考委員で詩人の井坂洋子さん)と散文からの越境を歓迎する言葉が並んだ。
スピーチの冒頭で辺見さんは、この日に訃報が流れた詩人で評論家の吉本隆明さんに触れ、「わたしは信奉者ではないが、昭和が本当に終わったと思った。この国の昭和を象徴した人間だった」と死を悼んだ。
(ブログ『今生日記』より)
☆
一方、詩文集『生首』は近作および書き下ろし詩篇全5章46篇を収載、巻頭詩「剥がれて」から最終章の「世界消滅5分前」まで、見当識をあらかた失いながらさも狂いなき定位にあるかのようにふるまう人と世界への呪詛と敵意をうたいあげています。天翔る生首とはなにか。切断された身体と記憶、実存から剥がれ無化された言葉はどこに流れていくのか・・・まがまがしい予感にみちた一冊。・・・・と紹介されている。
そして、昨年この詩文集に「中原中也賞」が与えられたことは冒頭の引用記事のとおり。
面白いのは受賞に際しての辺見庸のあいさつ。
これも他より引いてみる。
「高名な夭逝詩人の名前を冠した賞を、流連荒亡をかさね、 彼よりすでに二倍以上生きて、ここまで老いさらばえた私が頂戴するというのは、なにか道理がたたないような、筋がとおらないような想いがいたします。
いつわらざる内心の声は「よせやい!」でありますし、中也も同じヤジを天国から飛ばしていることでありましょう。
ただ、生きているとこんなこともあるのだな、という引き攣ったようなおどろきもなくはなく、今夜もまた埒もない詩をひとつこしらえようとおもったことです。言祝ぎ、言祝がれるのをきっぱりこばんだはずの詩集『生首』が言祝がれるとは、まことにこの世は面妖であります。」
まさにご挨拶。辺見庸の面目躍如といったところである。
☆
詩文集『生首』<剥がれて>から一部引用。
言は剥がれ。はがれ。剥がれ。神から言が剥がされ。神が言から剥がれ。言は抜かれ。死から言が剥がされて。体からはがされ。骨から剥がれ。髄から言が剥がれ。べりべりと。意味から剥離し。意味が剥がれ。肋骨から剥がれ。削られ。・・・(略)
語れども黙示せず。もはやなにものも曳航せず。なにものにも曳航されず。言は粉砕され。瀕死の遊離魂として。プカリプカリ浮き流れ。漂い。ただ漂い。それでもうたわれて。すべての無意の語群として。あるいはすでに死にたえた遊離魂として。・・・(略)
* 言=ことば
これほど際立った言葉に触れたら、『生首』一巻を読んでみたくなるはずだ。
余分なコトバを差し挟めないので、あとは詩文集のほうへどうぞ。
ただし、集中の一篇<入江>には、<剥がれて>以上の衝撃を受けた。
<入江>
この作品は、幼児期にカツヒコちゃんと一緒に覗いた入江の記憶であり、人間の赤裸々な行為と本質が物語風に語られている。
その意味するところは、やはり作品を読んで理解してもらうしかない。
ぼくは<剥がれて>よりも、この詩文がもつ未分明な要素により惹かれるものである。
☆
さて『生首』と『眼の海』の間に何があるかとのタイトルを掲げたのは、「3・11で決定的に明らかになったものがある」のか、それとも「さしたる違いはない」のかとの自問でもある。
高見順賞の選考委員の一人は「さらにパワーアップした印象」と述べているそうだから、そうなのかもしれない。
いずれにせよ辺見庸の発する言葉と言葉の間には、自身がいうように『詩(ポエム)』ではなく『死』があるのだろう。
ずっと以前からそうした思いを抱いていたそうだから、詩が生まれれば死を予言することになる。
そして事実予言しつづけている。
「ぼくの場合、詩によって過去・現在・未来を往還したいところがあります」
どちらの詩集にどの冠の賞を与えるかではなく、辺見庸の「言葉」に何かを与えないと周囲の者が落ち着かなくてしょうがないのではないか。
二つの詩集を読んでみてのぼくの感想だが、皆さまはいかがであろうか。
(おわり)
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