どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(168) 『アイソン彗星と宇野千代と』

2013-10-26 02:38:28 | エッセイ

 

     『アイソン彗星と宇野千代と』

 

     

    

     
   ハッブル宇宙望遠鏡2013年5月8日に撮影したISON彗星。 


 
 
 いよいよ2013年11月29日(日本時間)にアイソン彗星が太陽の近日点を通過し、遠心力に振り回されるようにしてどこかへ飛び去るようだ。

 もっとも、太陽に極端に近づく軌道を持つ彗星の場合、近日点通過の際に、彗星本体が分裂したり崩壊したりして、姿を消してしまう可能性もあるそうだ。
 
 どちらにせよ、昨年9月に発見されたばかりなのに、あっという間(?)に視界から消えることになるらしい。

 まあ大方の彗星はそのような運命をたどるようなので、人間世界と違って実にサバサバしたものだ。

 彼らのように後腐れなく遠ざかっていけたら、爽快だろうなと羨むばかりである。


 
 まあ、たわ言の一つとして聞いてもらいたいのだが、七十歳を越えてくると次第に死後のことに興味が湧いてくるのは事実である。
 
 そのくせ能天気にいつまでも生きられるような気がしていて、自分の死についての実感がなかなか得られないのも事実・・・・。
 
 作家の宇野千代は、『私 何だか死なないような気がするんですよ』というタイトルの著書を残しているが、実に共感のできる心境であった。
 
 死に対して気負うことなく、どこか飄々としているところがいい。

 晩年『薄墨桜』に惚れこんで着物のデザインにも採り入れるなど、生と死を巧みに織り合わせた作品を残しているのもしゃれている。

 印象深い生涯で、彗星ほどサバサバしているかどうかはともかく、思い通りに生き切った感じがして後味がいい。

 

 連想があったのか、むかし読んだ『死ぬための生き方』という文庫本のことを思い出した。

 探し出してみると、奇しくも巻頭に宇野千代の『風もなく散る木の葉のように』という小文が載っている。

 慶応病院のCTスキャンで、体のどこにも悪いところがないのに断層写真を撮る・・・・という話が枕になっている。

 彼女が九歳のとき生家の竹藪を渡る風の音(笹擦れ)に死の恐怖を覚えたこと、酒造をいとなむ旧家を幼くして離れ放蕩無頼の父親に育てられたことが記されている。

 半狂人の父親が命じることは、どんなに無理なことでも残酷なことでも、理屈なしに服従したという。

「あの愛してやまぬ、半狂人の父親がつぎつぎに発したとんでもない教訓のすべてを、フラスコの中に入れてアルコール・ランプで熱すれば、ある純度の気体が出来上がる・・・・」

「その気体の中にいると、私は不幸だ、ましてや、死というものは怖ろしい、と感覚する瞬間が皆無なのです。・・・・」

 九歳のときに感じた死の恐怖が、その後何十年にわたって甦らない理由がそこにあるのだという。

 

 宇野千代にこだわるわけではないが、アイソン彗星も太陽の近日点を、分裂したり崩壊したりすることなく通過するだろうと想像する。

 彗星はサバサバ、人間はどろどろという先入観からこの話は始まったのだが、そのどろどろの液体を純化して、ある気体を創りだしてしまう人間がいることに驚かされる。

 考えてみれば、彗星のふるさと大宇宙だってある種のカオスから生じたわけだから、見た目ほどサバサバしているとは言えないかもしれない。

 人体も、脳も、小宇宙に例えられるように、宇野千代のフラスコもやはり小宇宙と見ていいだろう。

 アルコール・ランプで熱して創りだした気体の中では、どうやら死の恐怖といったものは存在しないらしい。

 ぼくには望遠鏡も根気もないからアイソン彗星を見る機会はなさそうだが、国立天文台が発表した資料を眺めがらあれこれ考えることはできる。

 秋の夜長も、むかしほど身近ではなくなったが、台風や地震に煩わされながらも、細々と味わっていきたい。

 

      (おわり)

 
 
 
 
 
   参考=国立天文台発表の資料

  http://www.nao.ac.jp/astro/sky/2013/ison.html

 

 

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2 コメント

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カオスこそ生命の・・・ (知恵熱おやじ)
2013-10-27 17:34:54
アイソン彗星から宇野千代へ。
このぶっ飛ぶような飛躍がすごいねー。確かに『私死なない気がする』と言う言葉は当時あちこちで引用されていましたね。
すっとぼけたようなその言葉を真顔で言っているわけで、これはもう誰も敵わない。たしかに宇宙というカオスから生命は誕生するのでしょうが、そうやって生まれた宇野千代自身がカオスだなあー。

いまよりはるかに倫理的にうるさかった時代に平然と東郷青児や近藤啓太郎をひらひらと渡り歩き、小説書きから着物の会社に熱中し、誰にも文句を言わせなかった。

そして10年がかりで『おはん』というとんでもない傑作を書いてしまう。長く愛人のところで暮らしながら、捨ててきた妻おはんの元に通うようになるダメ男まで受け入れちゃって、命の全肯定だよ。

宇野千代という生命そのものが炎を上げているようなものだなあ。やっぱり死にゃーしない・・・か。

面白く刺激をもらえました。今回のエッセイには。
返信する
うん、パチパチ。 (窪庭忠男)
2013-10-29 00:07:30

短いセンテンスに、充実の宇野千代論。思わず手を拍ってしまいました。
まさに命の全肯定、自分も他人も巻き込んで炎を上げるイメージがすごい。

太陽に近づこうが、壊れることなくぶっ飛んでいく宇野千代の生命・・・・カオスから生じた小宇宙が彗星にダブります。「やっぱり死にゃ―しないわ」
ありがとうございました。
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