<クーペさんのこと>
『ダメ親父のラブソング』を観て
フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で放映された番組を、私はDⅤDで観た。テレビでは見損なった私に、友人が貸してくれたのだった。
サブタイトルは、~28年ぶり 娘と再会物語~となっている。
その横に、むかし銭湯で熱い風呂を我慢していた親爺のような顔があり、これがタイトルに『ダメ親父の・・・・』とつけられた、主人公の風貌かと納得した。
語り・石橋蓮司とあり、さすがにこの俳優の名前は知っているから、少しは注意を惹かれたわけである。
ところが、その名前の上に、若い女性が手で顔を覆っている画が刷り込んである。そこだけボカシをかけたように白んでいるから、見落としていたのだ。
「そうか、これが28年ぶりに再会した父と娘の姿か」
鈍い私も、やっと気付いた。
親父は涙を堪えているのであり、娘も嗚咽を押さえようとしていたのである。
それにしても、DⅤDの真ん中の丸い穴をはさんで、親父が娘の後ろ姿を見る形になっているのが象徴的だ。ここに至るまでの紆余曲折が、暗示されているように思えた。
(まあ、いい・・)
親父も娘も、涙に咽んでいる状態だから、向き合った画像よりは気が楽だ。それぞれの思いにむかって涙を溢れさせているかぎり、ナマの重さが軽減されている。
私は、涙に対して、どちらかというと懐疑的である。
生意気なようだが、涙で流されたり、涙に溺れたりは性に合わない。
だが、映像が動き出して3分も経たないうちに、私は泣いた。
2004年新宿夏まつりの会場に現れた歌手クーペ。58歳のその日までに、故林家三平の弟子として9回の破門を言い渡され、ついに永久追放された。酒とギャンブルに溺れ、離婚、劇団を結成するも失敗し、借金地獄。ホームレス寸前の歌手と呼ばれても仕方のない境遇となった。
そんなクーペに、1歳のときに別れた娘から手紙がきた。
25年ぶりの手紙だった。
<お父さんへ こんにちは はじめまして!?> こうして始まる最初の一行が、スポットライトを浴びて浮かび上がる。
<会ってみたいと思うけど、それはやめたほうがいいと思う。でも生きているうちに一言いいたい。「私を生んでくれて、ありがとう」って。あと、今幸江は元気だよっていいたかった・・・・>
成長した娘の写真が貼ってある。
涙が止まらなかった。
鼻水をすすりながら、歌手クーペが娘をさがす旅に付き合った。
聖蹟桜ヶ丘にある『スタンド・バイ・ミー』という店が、クーペの拠点になっている。そこで活動を続けるShifo(シホ)という女性と組んで、ユニットを結成した。
クーペは、娘からの連絡をきっかけに「生まれ変わろう」と決心する。酒もやめた、ギャンブルもやめた。
ただ、住所も分からず、もらった手紙に返事も出せない。娘に会いたいが、それも適わない。せめて歌声が娘に届けと、戸惑い、うろたえ、ドキドキした歓びを詩に託した。
Shifo(34歳)が、それに曲をつけた。
『25年ぶりの手紙』・・・・。すべては、娘の手紙から始まった。
クーペ55歳でメジャーデビュー。
地方新聞に、娘をさがすクーペの記事も載った。
だが、福岡でのコンサートにも、娘は現れなかった。
手紙に残る、博多の消印。
なかなか姿を見せない娘の消息を求めて、手紙を投函したと思われる郵便局を見に行くクーペの姿がせつない。
近くの公園。ここも、幼い娘が遊んだかもしれない場所だ。娘につながるものを求めて、こころが揺らぐ。
「周りのこともあって、ワーッとやられるのがいやな子なんだろうなって。でも、騒がないと来ないし・・・・」
娘の心中を思いやって途方に暮れる父親の顔が、そこにある。木の上の小鳥を見上げるクーペの表情が、これ以上ない説得力を持つ。「だから、これからは元気に死ぬだけですよ」
突然の脳梗塞。
病院でクーペに付き添うShifoの表情が、見る者に安心感を与えてくれる。
「とりあえず、生きててよかった・・・・」
これからのことに不安を感じているのはShifoも同じだが、彼女はクーペに、ぴったりと寄り添って揺るぎない。
「受け止めているみたい」
クーペが、自分の状況を冷静に受け止めているというのだ。しょうがないなあって、運命を受け入れた諦めの顔。
もどかしげに手を動かすのは、思考ははっきりしているのに、口が回らないことに苛立っているからだ。
「右手がだめになったら、画が描けないじゃないですか」
「死にたくなった?」と、Shifo(シホ)。
「死にたい・・・・」
クーペがいう。「それだから、窓が閉めてある。死のうとしても、そこまで行けないが・・・・」
「哀れっていうのは、人間の中で一番ダメですね」
クーペの述懐。
「ロクでもないダメおやじのクーペ。でも、いなくなったら、その大きさが分かった」
「いてもいなくてもいいけど、やっぱり、いないと寂しい」
スタンド・バイ・ミーの常連客のコメント。
若年性脳梗塞から立ち直った亜希さん。クーペのリハビリを指導しながら、ポツリともらす。「・・・・病気をしたときに、どの人が大切かわかる」
クーペにとって一番大切な人は、Shifoだ。
娘への思いは、別として・・・・。
クーペは、三ヵ月後のコンサートをめざして、懸命のリハビリを続ける。これまで自分を支えてくれた人たちのために。
Shifoは、私の目に<海>のように映る。深くて、大きくて、傷ついた魂を抱いてくれる母なる海なのだ。
(クーペさんは、好い人に出会ったなあ)
故三平師匠の奥様、海老名香葉子さんの手紙。
その後段に、Shifoを気遣い励ます文面。また、涙が出る。
クーペが三平師匠を描いた、絵手紙風の画がすばらしい。
愛には力がいる・・・・。力を尽くしてくれた人のために、生きたいと思う。
「感謝の心がないときは、不幸なんでしょうねえ」
今になって、九回も破門をした師匠のこころが分かる。
クーペに、飛び切りのクリスマス・プレゼント。
娘さんからの電話だった。
「お母さんは、元気? 声が聴けるなんて、本当夢のようだし・・・・」
コンサートに来てくれると、約束してくれた。
ところが、娘に見せたくて作った本に、娘からの手紙を載せたため、娘が怒って泣いたとの話が、娘の友だちを通して伝わってきた。
新しい父親、弟、妹もいることに気が回らなかったのだ。
(気遣いが足りなかった)
落ち込むクーペ。本の出版は、発売直前に急遽差し止めた。
コンサート当日。
娘さんは、なかなか現れない。
来てくれると約束はしたが、本のことを怒って、気持ちを変えたかもしれない。観客の出入りをモニターするクーペの顔に、落胆のいろ。
客席に、帽子で顔を隠した娘さんがいるとの情報が、クーペにもたらされる。
娘の手紙から4年、やっとコンサート会場に来てくれた。
こわばっていた顔に、安堵の表情が浮かぶ。
脳梗塞から復帰したとはいえ、最後まで唄いきれるかという不安。
だが、クーペは唄いだした。『25年ぶりの手紙』を。
しわがれた、年季の入った声で、娘からもらった手紙への歓び、感謝を唄う。
唄うというより、語りかけだ。声の中に人生がある。
友人がサッチモになぞらえた、魂の声・・・・。涙で途切れかけるクーペの代わりに、Shifoの澄んだ声が客席に流れる。
クーペの絶体絶命のピンチに立ち会い、クーペの生き様を見届けてきたShifoが、クーペと同じフレーズを、承認するようになぞる。
歌が、これほど胸に迫ってきたのは初めてのことだ。
目を潤ませるShifoがいじらしくて、また涙。
「こんな場面に立ち会えるなんて・・・・」
Shifoが、しみじみという。
「もう、抜け殻ですよ。全部出しつくしました」と、クーペ。
そして、「よく、来てくれましたよね」と、父への怒りの部分を取り除けて来てくれた娘の胸中を振り返る。
父と娘の再会。
「父親はどんな人でもよかった。手紙を出しただけで、満足だった」と、娘がいう。
「お父さんのことは、小学生の頃、一度だけ話してくれた。恨んじゃだめよって」
離婚の後、父親について話した母のことばが、クーペの胸に迫る。
家族を作れなかったクーペさん。
だが、その後も会いに来てくれる娘さんと、笑顔で話をすることができた。
支持者も増え、今日も多くの人に支えられて、唄い続けている。
<構成・演出> 暮松 栄
何年にも亘ってダメ親父を追い続けた情熱が、このドキュメンタリーを出色のものにしているようだ。
(了)
それを台本のごとく再現してくれましたネ。それもまた、すごい。視聴者ご本人の涙入りで。
クーペという親父の全人生を一時間足らずに凝縮してドラマ化するのに、製作者はたいへんな迷いや労苦を伴ったでしょうが、こうしてブログで読むと、すっきりとまとまっているのが驚きです。
願わくば、少し脱線してでも、筆者はクーペとシホと娘さんの近未来も創作してみたら面白いかもね。
もっとも、このドラマは映画化される可能性もあるようで、そこから何かが見えてくるかもしれません。