『映画・奇跡のリンゴ』の描いたもの
楽しみに待っていた映画『奇跡のリンゴ』を、ロードショー初日の6月8日(土曜日)に見てきた。
まず好かったのは、リンゴが原産地から世界に広まった地理的移動をわかりやすく示してくれたことだ。
そして、現在われわれが目にするリンゴが、改良に改良を加えられた種で、農薬なしでは生産できない脆弱さを備えていることを教えてくれる。
関係者の間では「無農薬リンゴを作ることなど絶対不可能」と云うのが定説であり、難しいリンゴ栽培をやっと定着させた青森でさえ挑戦する者はいなかった。
つまり、この映画の前提となる要件を示したうえで、ひたむきな話が動き出すのである。
機械好きの少年時代を過ごした木村さんは、リンゴ農家を手伝わされるのが嫌で川崎の工場に就職し、原価計算の仕事に才能を発揮する。
ところが、事情あって実家に呼び戻され、結局リンゴ作りに携わることになる。
やがて縁談を持ち込まれ、同級生だった女性と結婚することになる。
春になると、リンゴ農家は畑で十数回も農薬を撒かなければならない。
そうしないと、病気や虫の被害で収穫が激減してしまうからだ。
自分は農薬のかゆみや痛みを我慢できるのだが、妻は皮膚や呼吸器官をやられて嘔吐し、何日も寝込むことになる。
そうした日常のなか、妻が再び吐いたのを心配して背中をさすっていると、今度は妊娠だったことを知らされる。
子を宿した妻を、いつまでも農薬の危険に曝しておくことはできない。
どうしても、無農薬リンゴへの挑戦を諦めるわけにはいかないのだ。
同時に育児のサポートをしなければと考え、子育ての本を書店の棚から取ろうとするのだが、体勢が悪く二三冊の本を落下させてしまう。
ところが落として角がつぶれた本の中に、福岡正信さんの著書『自然農法』があった。
画期的な出会いと云ってもいい。
木村さんの運命は、単なる偶然というより神様の采配としか思えないことは、前回述べたとおりである。
夢中になって本を読みふける木村さんは、農薬で苦しむ妻のためにも「無農薬リンゴ」への挑戦を決意するのであった。
しかし、リンゴの木は何年にもわたって害虫や病気で痛めつけられ、花ひとつ咲かすことができない。
妻の父親は木村家の婿となった秋則さんの気性をよく理解し、リンゴ畑のすべてを実験農場としてにゆだねるのだが、来る年も来る年も実りはなくついに農地の半分が差し押さえられてしまう。
木村さんは、義父の中に自分以上の信念を見出し、詫びながらも萎えそうになる心を奮い立たせる。
だが、ニンニク液や酢など何度散布を試みても結果は惨憺たるものだった。
そのため、さしもの木村さんもしだいに気落ちが目立つようになり、言動にもおかしな兆候が現れる。
リンゴの木に向かって「花を咲かせてくれ」と哀願したり、「咲かなかったら農薬を撒いてしまうぞ」と脅したりするのだ。
そうした時、長女が高熱を出し病院まで運ぼうとするのだが、軽トラックまで売り払い、周囲の農家からは「カマド消し」とさげすまれていた木村さんは子供を背負って走るしかなかった。
自分のふがいなさにいたたまれなくなった木村さんは、妻に「別れよう」と切り出し、妻と長女を病院に残したまま独りその場を立ち去る。
かねがね「笑いは人間だけに与えられた機能」と言っていた夫の顔から笑顔が消えているのを知っていたが、よもや離婚を切りだされるとは・・・・。
妻の目からは知らず知らず涙があふれるのだった。
長女と共に退院し家に戻ってみると、帰っていると思っていた夫はそこにいなかった。
不安になってあちらこちらを捜しまわる妻の姿が痛々しい。
実は同じころ木村さんは、荒縄を持って山中をさまよっていた。
「答えは見つかった。自分が死ねばいいんだ・・・・」
ちょうどいい枝ぶりの木を見つけ出し、そこに縄を掛けようと投げ上げた。
だが、縄はずるりと落下してしまう。
「やっぱり俺はバカなんだなあ」とがっくりする。
子供のころ、同級生だった妻に言われた言葉が甦る。
笑いと悲しみがないまぜになった瞬間・・・・というより一切のこだわりから解き放たれた瞬間、木村さんは山奥にポーっと浮かび上がる一本の木を視た。
(あれは・・・・)
クルミにも見えたが、それは野生のリンゴの木だった。
雑草や灌木に囲まれた過酷な場所で、リンゴは力強く生きていたのだ。
(なぜ、こんな場所で?)
リンゴの木の根もとを踏んでみると、ふわふわと沈み込む。
木村さんは夢中で掘り返し、手にすくい上げた土を口に含んでみる。
「そうか、そうだったのか」
長年追い求めてきた答えが出た瞬間だった。
11年目にリンゴに花が咲き、秋には最初の実がなった。
ちいさな果実だったが、その甘さは秋則にも妻にも三人の娘たちにも格別のものだった。
木村秋則は、「自分が奇跡のリンゴを作ったのではない。リンゴが耐えて花を咲かせ、実をならせたのだ」と云う意味のことを言っている。
「ありがとう。ありがとう」
木村さんは三人の子供たちと共に、一本一本のリンゴの木に頭を下げ、お酒を撒いてまわる。
品種改良されたリンゴの木が、悪銭苦闘しながら十年の歳月をかけて元の野生に還りつつあることを感じていたのかもしれない。
まさに『奇跡のリンゴ』なのだ。
映画を見ていると、妻の言葉、義父の信念、子供たちの期待と希望が大きなテーマとして取り上げられている。「家族愛」だ。
まあ、それはそれでいいだろう。
木村さんには、実家の両親も含め理解し協力してくれるすばらしい家族がいたのだから・・・・。
一方、木村さんの本を読んでいたので、UFOや宇宙人の部分をどう描くのだろうとワクワクしていたところもある。
でも、そのことはもういい。津軽の自然が神秘的だったから・・・・。
岩木山の神々しさやリンゴ畑の清々しさもあって、実に後味のいい映画だったことを喜んでいる。
*映画案内の解説も抜粋しておく。
(阿部サダヲ、菅野美穂が夫婦役を演じ、不可能と言われたりんごの無農薬栽培に取り組み続けた木村秋則さんの実話を映画化したドラマ。日本最大のりんご畑が広がる青森県中津軽郡で生まれ育った秋則は、りんご農家の娘・美栄子とお見合い結婚して婿入りし、りんご作りに携わるようになる。しかし、りんごの生産に不可欠な農薬が美栄子の体を蝕んでいることがわかり、秋則は、絶対不可能と言われていた「りんごの無農薬栽培」に挑む。私財を投げ打ち、10年にわたり挑戦を続けるが、無農薬のりんごが実ることはなかった。周囲からは白い目で見られ、家族は貧困に打ちひしがれるが、そんなある時、荒れ果てた山の中で果実を実らせた野生のリンゴにめぐり合う・・・・)
(おわり)
まずは、ストーリーの説明がいかにも端的で分かりやすく、頭にスイスイ入ってくる文章の見事さ。
合い間にりんご栽培の現場や難しさが解かれ、「奇跡のりんご」までの流れが素直に頭に入ってきました。
「そんな苦労があり」、そして「奇跡だって起こり得る」ことが理解できるようでした。
当然、ハッピーエンドに導かれていくわけですが、その道程も静かに説いていきます。
そして、当事者と同様に読者をも幸福感に酔わせてくれますね。
転載された写真=画像がまた、鮮明で素晴らしい。
素朴そうな若い夫妻の表情まで写実的に登場しており、
読者のイメージを現実化させてくれます。
上の画像に登場する父親像は、よく知られた俳優と思えますが、名前は思い出せませんでしたけれど……。
ま、この映画、鑑賞したくなりました。
挿入画像はたぶん「どうぞお使いください」という宣伝用だと思いますので、遠慮なく使わせてもらいました。
年齢のせいか一部記憶違いのところがあるかもしれませんが、おおむねストーリーは合っているかと思います。
試写会を観た人が「泣ける映画です」とかいうのを事前に聞かされていたので、ちょっと警戒するところがありましたが、ぼくにとっては期待以上の作品でした。
機会がありましたら、どうぞご覧になってください。
お勧めです。