映画『カルメン故郷に帰る』をめぐって
前回の当ブログ<隠れた昭和のノスタルジー>に寄せて、映画に詳しい「知恵熱おやじ」氏と「くりたえいじ」氏から補強のコメントがあったので、もう一度奇遇ともいうべき出来事について書かせていただく。
浅間牧場の奥まで続くハイキングコースを天丸山まで一時間ほどかけて登り、ゆっくりスタート地点の売店まで戻ってくると、『カルメン故郷に帰る』の大きなカラーポスターが目に入った。
行きに気がつかなかったのは売店の裏手板壁に貼られていたからで、逆に帰りしなには遠くからでも目立つ位置だったというわけである。
二人の踊り子が派手な衣装で並んでいる見覚えのあるポスターと、ここ浅間高原での映画ロケ風景を集めた白黒写真のパネルが、それぞれ別の場所に置いてあったので思わず行ったり来たりしながら覗き込んだという次第である。
たしか並木座で観たぞ! 記憶をまさぐって妻と二人懐かしげにしゃべっていると、われわれと同じように覗き込んでいた三人連れの中のご婦人が「この人はこの映画を撮影したご本人なんですよ」と話しかけてきたのだ。
見るとかなりご高齢の男性が、奥様と思われる女性と並んで立っている。手には何かの記録帳らしい古びた大学ノートを持っていた。
話しかけてきたご婦人は、「この人・・・・」と指し示したニュアンスから、娘さんではない印象を持った。身内のひとりだとすると、姪御さんあたりだろうか。あまり詮索するのも失礼だから確かめなかったが・・・・。
ともあれお聞きしたお名前をポスター上で確認すると、<色彩技術>の欄に小松崎正枝・赤沢定雄と載っている。
ロケ現場のパネル写真の前に移ると、赤沢さんは「いやあ、これだ、これだ。この写真よく残ってたなあ。今とあまり変わってないねえ」
すっかり感激した様子で写真に顔を近づけた。
「何年ぐらい前なんですか、撮影したのは?」
「もう六十年近くになるかもしれんな」
おそらく八十歳をいくつか越えているであろう老人が答えた。
「木下恵介、松山善三、笠智衆、佐野周二、佐田啓二などポスターに載っている人のほとんどが亡くなっていますね」
妻が水を向けると、「そうだなあ、みんな死んでるね。・・・・しかし、女は強いよ。二人ともまだ元気だもの」
昔の男のたしなみなのか、話しかけた妻の方ではなく連れの女性たちに向かって照れ笑いを見せたのが印象的だった。
爆笑の中、赤沢さんが「二人とも・・・・」といった女性とは誰と誰だろうと思った。
一人はおきん(リリイ・カルメン)役の高峰秀子、もう一人はマヤ朱美役の小林トシ子を指したのだろうか。
前回のコメントで、「くりたえいじ」氏がヒントをくれたもう一人の踊り子のことが頭に浮かび、きっと女優小林トシ子もまだ健在なのだろうと思い至った。
「撮影にはご苦労があったでしょうね?」
こちらはあまり映画の知識もないし、専門的な質問などできないから、ありふれた聞き方をした。
「日本で初めてイーストマン・カラーを使ったわけだから、少し撮っては色が違うといって何度もやり直しをしたねえ」
このあたり、「知恵熱おやじ」氏のご指摘どおり、未知の総天然色映画に取り組んだ関係者の苦労が偲ばれるところである。
お二方のご教示をいただいたので、あらためて『カルメン故郷に帰る』のポスター写真を調べてみると、撮影者は「楠田浩之」となっている。
連れのご婦人が言った「撮影したご本人よ」の言葉は、厳密にいえば勘違いを起こさせるものだったかもしれないが、広く「撮影にかかわった人」との意味でいえば赤沢定雄さんのポジションは大変重要な位置を占めていたに違いない。
説明抜きで会話ばかりを再現してしまった当方の怠慢については、申し訳なく思っている。
木下恵介ファミリー総出の映画作りだったという経緯は、「知恵熱おやじ」氏のコメントで初めて知ることができた。
立ち話だったし、カメラの方に気を取られていて、赤沢定雄氏の経験を詳しく聞けなかったのは後から思えば残念なことである。
スナップ写真を撮ってあるが、ご本人の承諾を得ることができないので、ロケ風景のパネル画像のみ投稿して『カルメン故郷に帰る』との再会を祝いたい。
なお参考までに、主なスタッフと出演者名を列記しておく。
監督・脚本「木下恵介」、撮影「楠田浩之」、音楽「木下忠司」、色彩技術「小松崎正枝・赤沢定雄」、助監督「小林正樹・松山善三・川頭義郎」、出演者「高峰秀子・小林トシ子・坂本武・磯野秋雄・佐野周二・井川邦子・城澤勇夫・小沢栄・三井弘次・笠智衆・佐田啓二・山路義人・・・・」(allcinema/参照)
いずれも著名な制作者・俳優が名を連ねている。
この映画は1951年の公開と記されているから、日本初の総天然色のインパクトとあいまって当時の若者には強烈な印象を残したはずである。
東京から帰郷したド派手衣装のストリッパーたちが巻き起こす騒動は、日本の農村に内在する喜劇性を反照して今でも新鮮である。
「くりたえいじ」氏から小林トシ子の存在を示唆されていたおかげで、この女優の魅力を語る映画評をみつけたのも、うれしいことであった。
浅間山を背景に踊るストリッパーたちの映像は、カラーを活かすためのシナリオだと教えてくれた「知恵熱おやじ」氏にも感謝。
もう一人、映画評論のプロ「EJIMAR」氏がどんなコメントを寄せてくれるか楽しみである。
たまたまストリッパーを主人公にして物語を書いている最中なので、赤沢定雄氏との偶然の出会いとともに、忘れかけていた『カルメン故郷に帰る』の主役たちを思い出させてくれた不思議さに、何ともいえないこの世の面白さを感じた一日であった。
赤沢定雄さんは色彩技術担当だったのですね。
納得です。
日本最初の総天然色映画であり、色彩効果のキーマンだったわけで日本映画の新しい時代を開くという意味で重要な役割を果たした方だったということですね。
いい方と出会いましたね。
しかも窪庭さんがちょうどストリッパーとその弟を中心とする小説を書いている最中に、、。
面白いですね。これも何かの縁なのでしょう。
執筆中の小説が『よい運』を背負っているのかも。
小説のつづきに期待して待っています。
知恵熱おやじ
前回の傑作エッセーをなぞるように、よくぞ続編を書いてくれました。
単刀直入に言って当方は「カルメン故郷に帰る」を観て以来、準主役の小林トシ子さんが気になって仕方ないのでした。美貌の高峰秀子はともかく、少し野性的で野放図で、泥臭さも持ち合わせたこの女優にひところ、どれほどひそかに思い入れをしていたことでしょうか。今となって告白できることですが、これも窪庭さんがここに一文を投稿したためです。
総天然色うんぬんにつきましては、先人のおっしゃる通りだと思います。
いくぶん過剰な抒情性ゆえに、木下恵介の国際的評価は黒澤・溝口・小津監督らに比してさほど高くはないが、「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「楢山節考」など常に佳作・意欲作を世に問うて、私たち映画ファンを存分に楽しませてくれた。
ことに「カルメン故郷に帰る」は筋書きはともかく、本邦初のイーストマン・カラーによる総天然色作品という画期的なもので、この映画に関わったすべてのキャスト・スタッフにとっては小さな扱いでもいい、タイトルロールに名をとどめたかったに違いない。撮影監督は楠田浩之だから、窪庭さんが出会った赤沢定雄氏は主に編集スタディオでの色彩技術調整に携わったのかもしれない。
私は雑誌編集者時代、「スリランカの愛と別れ」完成直後の木下恵介監督を取材したが、「カルメン撮影のときにはね、葉っぱの緑が足りない気がして、緑のペンキ絵の具を塗りたくったもんです」とも聞いた。その現場に赤沢定雄氏は情熱的に立ち会っていたに違いない、そんな感慨を持ちました。(EJIMAR)