修三がアキナちゃんと初めて出会ったのは、隣家が引っ越してきた翌日のことである。飼い主夫妻とは、早春の地鎮祭のときに顔を合わせているから、アキナちゃんとの出会いは、それから六ヶ月ほど後のことであった。
ともあれ、飼い主に連れられてヒョコヒョコと現れたアキナちゃんは、気弱そうに修三を見上げる小型ミックス犬のお嬢さんであった。
「名前はなんというのかな」
ありきたりの質問をしながら手を出すと、怯えたように後退りする。
「この子は、ほんとに弱虫で・・・・」
令夫人が言うように、癇性の強そうな子犬だった。
そういう令夫人は、秋物の裾が靡くようなワンピースで装っている。紺に近い紫色が、まるで舞台衣装のようだ。
この辺りの住宅街では見かけたことがないものだから、修三ならずともおもわず見とれてしまう。向かいのアパートからも、いくつかの視線が注がれているような気がした。
「初めての場所ですから、無理もないですよ」
修三がお愛想を言うと、足の長いご主人がリードで愛犬をうながし、「ほら、アキナ、これからお世話になるお隣さんだよ。ご挨拶しなさい」
自分の娘にでも言い聞かせるように語りかける。
アキナちゃんは、仕方なく修三に頭を撫でさせたが、相変わらず肢を踏ん張ったままで、顎に手を回すと、迷惑そうに顔を振って拒絶の意思を示した。
「内弁慶なもので・・・・」
ご主人の言い訳を待つまでもなく、アキナちゃんの反応は神経質すぎる気がした。
修三は、自分に問題があるのかとも考えて、それ以上の接触をやめ、次回の出会いに期待を寄せることにした。
ところが、修三はアキナちゃんと正規の再会をする前に、生垣越しの顔合わせをしてしまった。
庭に出て、四季咲きのバラの手入れをする際に、垣根の隙間から見えるアキナちゃんに、つい声をかけてしまったのである。
「アキナちゃん、小父さんだよ」
あとから恥ずかしくなるような声音で、修三はテラスの上の子犬に呼びかけた。
「ひとりぽっちで、寂しくないかい・・・・」
そのときは、なんとか気に入られようとおもっていたから、自分の卑屈な猫撫で声にも気付かなかった。
飼い主夫婦に甘やかされているうえに、他より高所の場所を独占したことで、アキナちゃんは、彼女の優位をはっきりと意識している。そこへもってきて、修三のような矜持のない男が擦り寄ろうとする。
アキナちゃんは、大型トラックの運転席から周囲を睥睨するような気分で、修三を無視し、快感を味わっているはずである。
以来、アキナちゃんにとって、修三は遥か下位に位置する存在にしか過ぎず、相手をするのも面倒なヤツと認識していたに違いない。それなのに、散歩に出かけた折など、なおもしつこく話しかけてくる鬱陶しいジジイなのだ。
飼い主と一緒だから我慢をしているが、普通だったら「あたしに近寄らないで!」と、遠慮会釈なく肘鉄を食らわせてやりたい気分だったろう。
事実、きのうの朝など、懲りもせずに顎を撫でようとした修三は、癇癪を起こしたアキナちゃんに、危うく噛み付かれそうになった。
「アキナ!」
警戒していたご主人がたしなめたので事なきを得たが、彼女の本心が現れた行動だった。
「いやあ、アキナちゃんは難しくて、小父さんお手上げだ・・・・」
「すみません、まだ子どもなもので」
ご主人が、しきりに恐縮している。
そんなに気を遣うほどの人物でもないのにと、アキナちゃんは不服顔だ。ちょっとやそっとじゃ靡かないぞと、そっぽを向いて抵抗していた。
引越し早々のころには、こうして何度もコミュ二ケーションをとろうと努力をした修三だったが、アキナちゃんに嫌われていることがわかって、まもなく親密な近所付き合いを諦めるようになった。
(もしかしたら、加齢臭でも嗅がれたかな・・・・)
あらためて、嫌われた理由を考えてみることはあったが、結論に到達することはなかった。
(続く)
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