蚊帳つり草
かやつり草が道端で末枯れていた
子供たちに人気があったのはいつ頃だったかな
秋の初めには寄ってたかって引きちぎり
茎を割いて蚊帳にしたり絡ませて引っ張り合ったり
ところがね 近頃じゃ誰も興味を示さないから
青々とした三角形の茎が崩れ
切れ味のいい葉っぱも枯れ始めてしまった
うしろの壁には影まで映してさ
それにしても西日はまぶしいね
だれも蚊帳など連想してくれず
邪魔な雑草としか見てくれないんだよ
青蚊帳の思い出なんて持ってる人もいないしさ
あ~あ また邪魔にされてしまった
この草だれも刈らないのかしら
行政の怠慢だとおもわない?
それでなくても歩道が狭いんだから迷惑よ
だけどオイラの代で消えるわけにはいかないよ
大昔から命をつないできた先祖に
申し訳がたたないじゃないか
江戸の時代から昭和の中頃までは人気者だったし
どうしてこんなに見放されてしまったのかな
そうか あの頃はおもちゃが少なかったんだ
パソコンもスマホもなかったし
ゲームソフトに群がる現象もなかったからね
でも オイラがよみがえる日は来ないほうがいい
物が豊かで好き放題たべられる時代が続くなら
オイラのことは忘れてしまったほうがいい
枯れ切ったら地中に潜って青蚊帳で眠る夢でも見るさ
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恥ずかしながら初めて聞きましたし、写真で見るのも初めて。
一本参ったで~す。
樺太で生まれ北海道で育ったので夏もあまり蚊がいなかったためか、蚊帳を吊るという習慣もなかったし。
でも何回か蚊帳の中で寝たような感じの記憶はどこか脳の深いところに、ちょっと甘酸っぱいような感覚とともに残っています。
あれは何処だったのだろう?
そのシーンは映画のようにクッキリ残っているのに、どこだったのかどうしても思い出せない。
この詩で久し振りにその官能的な感情と一緒に、楽しませていただきました。
感謝です。
言われてみれば暑い地方のもの、ただ東南アジアでは蚊取り線香がヒットした話をよく聞きますから、蚊帳というのは日本独特のものかもしれません。
そうはいえ、どこかで蚊帳に入ったことがあるような官能的な記憶がよみがえるんですね。
もどかしいけど、思い出せない。
もともと、ぼくも蚊帳に対しては官能的なイメージを持っていて、当ブログの短編小説『枕の下』でも、そうした使い方をしました。
ですから、知恵熱さまの感情には全くの同感です。
コメントありがとうございました。
主人公の男が京都の宿の蚊帳の中から、忍んでやって来た女を蚊帳越しに見るシーンから始まる。いいねー。
窪庭さんの小説には珍しく色っぽい出だしの一編で。
東北のあの地震と津波と原発事故に食い込んで蠢く似非学者ですが、その夜女の手で男の枕の下にICレコーダーが仕掛けられる。
それはいつか炸裂して世を驚かすのでしょうが。
僅か10ぺージの短編ですが、情緒と欲望の絡み合いを愉しませていただきました。
それにしても2000年代に入ってから何十篇もそれぞれに工夫を凝らした短編をお書きになられた、窪庭さんの腕力には感服しました。
蚊帳を使った例として『枕の下』を挙げましたが、短編集まで取り上げていただき感謝に堪えません。
このところ小説から遠ざかっておりますが、英気を養ってまいりましたので、頃合いを見て挑戦したいと思います。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
すっかり忘れていましたが、写真を見て、記憶が蘇えってきました。
「蚊帳つり草」という名前だったんですね。
あの頃は、みんな手近な木や草を使って遊びを考え出していました。
Ý字の小枝を探して、パチンコの支柱にしたり、それなりに楽しかったです。