月に想う
9月25日は中秋の名月が見られるというので、外に出て月の出を待った。
夜の8時ごろには、唐松林の枝を透かして昇っていく月の姿が見られたが、ついに森の支配を抜けて虚無の空に漂い出た月のなんと冴え冴えとしていたことか。
地上には幾万の命が蠢き、この森だけでも幾百の種が犇めいているだろうに、孤高の月はただひとり白白とした光を放って中空に懸かる。
賛辞や感嘆の溜息を無視して、有るか無きかの反映を降らすだけの潔さ。
芭蕉の月も西行の月もこの月と想える不易の気品に安堵して、ほっと息を吐く可笑しさ。
まともに月を仰がなくなって久しいが、こうして無音の月にめぐり合えて十年の澱が一時に洗い流される。
一枚、写真を撮り、傍らにカメラを置く。
あとは時の流れに耳を澄まし、渡り行く月の道を心にとどめる。
「ご飯ですよ」
人声にはっとして、俄かに湧き起こる虫の声に背を向ける。
冷えてきた外気がひときわ密度を濃くする中、森の香気を深々と胸に入れて、束の間の月見も終わりになる。
「あと数ヶ月の余命」と宣告されて日も浅い私も、今年の中秋の名月は心して眺めたものです。星座の煌きにしばし足を止めることも繁くなったようです。
生きて在ることへの愛しい思い、と言ったらキザか。次のティータイムが待ち遠しい。(M・KO氏より)
自然の一部になったように独り森の中で付きと向き合う窪庭さん。
ため息が出そうないい時間ですね。
「ご飯ですよ」という奥さんの声で、急に虫の声が耳に入って来て現実に戻る。
でもその現実も森の中で、、、。
いいなあー。今の時代、これ以上の贅沢はないでしょう。
真っ黒な中にぽつんと小さな月。本当に孤独な感じがでています。
森の香気が伝わって来る名文ですね。いや、一編の詩か。
知恵熱おやじ
素晴らしいですね! 無限の宇宙と地球上の大自然がぎゅっと凝縮された詩文とでも言えましょうか。
ブログでこんな一編に出合えるなんて至福のひとときを得られます。
「ご飯ですよ」との一言がまた、この詩文に効いてますね。